こんにちは。外山滋比古です。
「人生で一番大事なことは何か」という問いですね。これは、私が長年取り組んできた「思考」というテーマの、いわば終着点のような問いでもあります。
現代は、放っておけば外から情報が濁流のように流れ込んでくる時代です。その中で、私たちはともすれば「自分自身の頭で考える」という、人間にとって最も基本的で、かつ最もエキサイティングな営みを忘れかけているのではないでしょうか。
私が考える人生で最も大切なこと。それは一言で言えば、「自前のエンジンを持って、未知の空へと飛び立つ『飛行機人間』であり続けること」です。
そして、その飛行を支えるために必要な「忘却」と「醸造(じょうぞう)」の作法について、私の考えをお話ししましょう。
1. 「グライダー」から「飛行機」への脱皮
私が『思考の整理学』を書いた際、最も強調したのが「グライダー」と「飛行機」の対比です。
学校教育の場では、先生から教えられたことを効率よく吸収し、正解を導き出す能力が重視されます。これは、他人に引っ張られて空を飛ぶ「グライダー」の能力です。グライダーは、引っ張ってくれる飛行機(教師や教科書)がいる限り、優雅に、美しく飛ぶことができます。しかし、ひとたび牽引索を放されると、自力で高度を維持することはできません。
一方、「飛行機」は自前のエンジンを持っています。誰に導かれることもなく、自らの意志で、まだ誰も行ったことのない未知の領域へと飛び立つことができます。
人生において一番大事なのは、この「自前のエンジン」を育てることです。
多くの人は、学校を卒業した時点で学びが終わったと考えがちですが、本当の学びはそこから始まります。既知の知識を詰め込むだけの「受動的な知」から、自ら問いを立て、未知の課題に挑む「能動的な知」へ。この転換こそが、人生を豊かにし、自分という個性を確立させる唯一の道なのです。
2. 「忘却」という名の整理術
私たちは、知識を「覚えること」にばかり価値を置きすぎているように思います。頭の中に知識が詰まっていることが「賢さ」であるという、一種のコンプレックスを抱えている。
しかし、知的生活において、あるいは人生を健やかに生きる上で、本当に大切なのは「いかに上手に忘れるか」です。
頭の中を一つの倉庫だと考えてみてください。古い荷物、使い道のないガラクタ、他人から押し付けられた不要な情報がぎっしりと詰まっていたら、新しいものを受け入れるスペースがなくなってしまいます。
- 知識のメタボリック症候群: 情報を仕入れるばかりで、それを使わず、捨てもしない。これでは思考が停滞し、精神的な健康を損なってしまいます。
- 創造的忘却: 新しいアイデアを生み出すためには、既存の知識を一度手放し、頭の中に「余白」を作る必要があります。
「忘れる」ということは、決して能力の欠如ではありません。それは、本質的なものだけを濾(こ)し取るための、高度に知的なプロセスなのです。人生の後半戦になればなるほど、この「捨てる技術」が、その人の知性の深さを決定づけることになります。
3. 「醸造」を待つという忍耐
現代社会は「スピード」を求めすぎます。問いを立てれば、すぐに検索エンジンが答えを教えてくれる。しかし、そんな安直な答えは、あなたの人生にとって何の肥やしにもなりません。
思考には「醸造」の時間が必要です。
良いアイデアや、人生の深い洞察というものは、インスタントラーメンのように数分で出来上がるものではありません。
- 種まき: 疑問を持ち、情報を集める。
- 放置: 一度、そのことを忘れて「寝かせる」。
- 発酵: 無意識の層で、情報が化学反応を起こすのを待つ。
私はこれを、よく「お酒づくり」に例えます。最高の素材を揃えても、時間をかけて発酵・熟成させなければ、ただの濁った液体です。思考も同じです。焦って形にしようとせず、心の奥底でじっくりと発酵させる。
「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」という言葉がありますが、まさにその通りです。時間をかけて醸成された知恵こそが、人生の荒波の中であなたを支える揺るぎない土台となるのです。
4. 「朝」の知性を信じる
具体的な生活習慣として、私が人生で最も大切にしてきたのが「朝の時間の活用」です。
私たちの脳は、睡眠という休息を経て、朝起きたときが最もクリーンで、創造性に満ちています。私はこれを「カクテル・パーティー」のような状態と呼んでいます。様々なアイデアが軽やかに、自由に交差する時間帯です。
一方、夜の頭は、一日の活動で溜まった情報のゴミで濁っています。夜遅くまで悩んで出した結論よりも、朝起きてふと思いついたひらめきの方が、はるかに本質を突いていることが多いものです。
- 創造的な仕事は朝に: 執筆や思索など、エンジンを全開にする作業は朝のうちに済ませる。
- 事務的な処理は午後に: 他人の声を聞いたり、定型的な作業をしたりするのは、頭が少し疲れてきた午後で十分です。
自分のバイオリズムを知り、最も「飛行機」として高く飛べる時間を大切にすること。これは、自分自身の人生を、自分の支配下に置くための第一歩です。
5. 「エディター(編集者)」としての生き方
人生は、一本の長い糸のようなものではなく、無数の断片的な経験や出会いの集積です。それをどう繋ぎ合わせ、どのような物語にするか。つまり、私たちは自分自身の人生の「編集者」でなければなりません。
編集者に必要なのは、単に情報を並べることではなく、そこに「関係性」を見出し、新しい意味を与える力です。
- 点と点を結ぶ: 一見、関係のない趣味と仕事、あるいは失敗の経験と成功の予感。それらを結びつけて「自分だけの文脈」を作り出す。
- 余白を愛する: 文章に句読点が必要なように、人生にも「休み」や「遊び」が必要です。何もしていないように見える時間が、実は最も重要な「編集」の時間であったりします。
自分の人生を、借り物の言葉や社会の物差しで測るのではなく、自分なりの美意識で編集していくこと。そこにこそ、生きる喜びがあります。
結びに:個の確立と自由
人生で一番大事なこと。それは、「自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で歩く自由を、死ぬまで手放さないこと」です。
他人の評価という「牽引索」に頼るグライダーの生き方は、一見楽に見えます。しかし、それでは本当の意味で空の広さを知ることはできません。
自前のエンジンを動かすには、エネルギーが必要です。時にはエンジントラブルに見舞われ、高度を下げることもあるでしょう。しかし、自分の意志でプロペラを回し、風を切って進むその瞬間にこそ、人間としての尊厳が宿ります。
知識を詰め込むな。
答えを急ぐな。
そして、何よりも自分を信じて「寝かせる」ことを恐れるな。
そうして磨かれた知性は、あなたをどこまでも遠くへ、そして高くへと運んでくれるはずです。
私の話が、あなたの人生という名の「思考の整理」に、少しでもお役に立てば幸いです。