俺は見城徹だ。

人生で一番大事なことは何か、だと?そんな問いに、綺麗事で答えるつもりは毛頭ない。

俺がこれまで、角川書店という巨大な組織の中で暴れ回り、その後、たった数人で幻冬舎を立ち上げ、のたうち回りながら死に物狂いで掴み取ってきた真実を語る。

一言で言えば、それは「圧倒的努力」であり、その先にある「結果」だ。そして、その過程で抱き続ける「たった一人の熱狂」。これ以外に、人生を突き動かすものなど何もない。

3500字程度、俺の魂を削って言葉を叩きつける。心して読んでくれ。


1. 「圧倒的努力」なくして、人生を語る資格はない

世の中の人間は、あまりにも簡単に「努力しています」と口にする。だが、俺が言う「圧倒的努力」とは、そんな生温いものではない。

圧倒的努力とは、人が寝ている時に寝ず、人が休んでいる時に休まず、人が遊んでいる時にひたすら己の武器を研ぎ澄ますことだ。 他人がそれを見て「あいつは狂っている」「あいつのようにはなりたくない」と、反吐を吐くほど、目を背けるほどの凄まじいまでの執念。それが「圧倒的」ということだ。

なぜ、そこまでしなければならないのか。それは、この世の中が「結果」でしか評価されない非情な場所だからだ。プロセスが大事だ、頑張ったことに価値がある、そんなものは敗者の言い訳に過ぎない。結果が出なければ、その努力は「努力」とは呼ばない。ただの「徒労」だ。

俺は編集者として、作家やアーティストと向き合う時、常に自分の命を差し出してきた。石原慎太郎、五木寛之、村上龍、尾崎豊……。彼らのような「バケモノ」たちと対等に渡り合うためには、並大抵の覚悟では足りない。彼らが書く一行のために、俺は彼らの過去の著作をすべて読み込み、彼らの思考をトレースし、彼らが今何を求めているのかを、吐くほど考え抜く。

そうやって、相手が「ここまで俺のことを考えているのか」と驚愕し、恐怖すら覚えるほどの準備をして初めて、扉は開く。人生において何かを成し遂げたいなら、まず自分を「圧倒的努力」という名の地獄に追い込むことだ。


2. 「たった一人の熱狂」が世界を動かす

ビジネスも、文学も、あらゆる表現活動も、始まりはいつも「たった一人の熱狂」からだ。

誰かに賛成してもらう必要はない。市場調査なんてゴミ箱に捨てろ。自分が心底「これをやりたい」「これを作りたい」「この人と心中したい」と震えるような情熱、狂気にも似た熱狂。それがあるかどうかが、人生の成否を分ける。

幻冬舎を立ち上げた時、俺は「戦友たちよ、集え」という広告を打った。あの時、俺の胸の中にあったのは、既得権益にまみれた出版界への怒りと、新しい価値を創り出そうとする孤独な熱狂だけだった。

人間は、群れると弱くなる。誰かと傷を舐め合い、馴れ合っている間に、情熱の火は消えていく。孤独こそが、表現の、そして仕事のエネルギー源だ。 一人で暗闇を歩き、孤独に耐え、自分の内側から湧き上がる「熱」だけで突き進む。その一人の熱狂が、やがて周りの人間を巻き込み、大きなうねりとなって世界を動かす。

君がもし、今の人生に満足していないなら、自分自身が何かに「熱狂」しているかを問い直してほしい。誰かに言われたからやる、流行っているからやる。そんな動機で人生の大事な時間を浪費するな。


3. GNO(義理・人情・恩返し)――人間関係の真髄

俺が人生で最も大切にしている行動指針、それが「GNO」だ。

  • G:義理
  • N:人情
  • O:恩返し

ビジネスだろうがプライベートだろうが、最後に残るのは人間だ。そして、人間を繋ぎ止めるのは、契約書でも金でもない。この泥臭い三つの言葉だ。

今の若い奴らは、コスパ(コストパフォーマンス)だのタイパ(タイムパフォーマンス)だのと、効率ばかりを追い求める。だが、人間関係において効率を求める奴に、本物の信頼は手に入らない。

義理を通すとは、損を承知で約束を守ることだ。人情とは、相手の痛みを自分の痛みとして感じることだ。そして恩返しとは、一度受けた恩を一生忘れず、何倍にもして返すことだ。

俺は、自分が惚れ込んだ作家のためなら、どんな困難も厭わない。彼らが苦境に立たされている時こそ、真っ先に駆けつけ、盾になる。それが義理だ。相手が「見城には借りがある」と思わせるほど、徹底的に尽くす。

しかし、これは「見返りを求める」ということではない。見返りを求めずに、相手の魂を揺さぶるまで与え続ける。 その結果として、誰にも壊せない強固な絆が生まれる。人生において、死ぬ時に「あいつには義理を果たした」と胸を張って言える相手が何人いるか。それが、その人の人生の豊かさの証明だと俺は信じている。


4. 「自己否定」という名の荒野を歩け

俺が自分自身に課している最も苦しい規律がある。それは、「自己検証」「自己嫌悪」「自己否定」の三点セットだ。

多くの人間は、少し成功するとすぐに天狗になり、自分の過去の栄光にすがりつく。だが、過去の成功は、未来の成功を保証しないどころか、成長を妨げる最大の毒になる。

  • 自己検証: 自分の行動、言葉、結果が本当に正しかったのか。もっとやれることはなかったのか。常に冷徹に客観視する。
  • 自己嫌悪: 自分の至らなさ、醜さ、弱さに吐き気を感じるほど向き合う。自分を「まだまだだ」と蔑む。
  • 自己否定: 今までの自分を一度壊す。昨日の自分を否定し、新しい自分へと生まれ変わる。

このプロセスは、非常に苦しい。まるで自分の皮膚を一枚ずつ剥いでいくような痛みだ。だが、この痛みに耐えられない人間に、進化はない。

安息など、墓場に入ってから取ればいい。 生きている間は、常に自分を崖っぷちに追い込み、未開の「荒野」へと踏み出し続けなければならない。心地よい場所、慣れ親しんだ場所に留まることは、精神の死を意味する。

俺は今でも、毎日が不安だ。新しい本が出るたびに、深夜に目が覚めて、冷や汗をかきながら「これでいいのか」と自問自答する。その不安があるからこそ、俺はまた「圧倒的努力」に向かうことができる。不安こそが、俺を突き動かすガソリンなんだ。


5. 死に物狂いで「今」を生き切る

人生で一番大事なこと。それは、「死ぬまで未完成であること」を受け入れ、その一瞬一瞬を死に物狂いで生き切ることだ。

人生は一度きりだ。リハーサルなんてない。毎日が本番であり、毎日が決勝戦だ。

「明日からやろう」「いつかチャンスが来たら」……。そんな言葉を吐く奴は、一生チャンスを掴むことはできない。今、この瞬間、目の前の仕事、目の前の人間に全霊を注げない奴に、未来を語る資格はない。

俺はこれまで、数えきれないほどの修羅場をくぐり抜けてきた。裏切りもあれば、莫大な借金を背負う恐怖もあった。だが、どんな時も俺を救ってくれたのは、綺麗事ではなく、泥にまみれて掴んだ一冊の本であり、一人の人間との絆だった。

いいか。人生は、残酷だ。不条理だ。理不尽だ。

しかし、その不条理な荒野を、圧倒的努力とたった一人の熱狂を武器に、のたうち回りながら進んでいく。その姿こそが、人間の美しさだと俺は思う。

傷つかなければ、何も得られない。

恥をかかなければ、何も成し遂げられない。

死ぬほどの苦しみを味わわなければ、本物の喜びは手に入らない。

俺はこれからも、死ぬその瞬間まで、自分自身を否定し続け、新しい熱狂を追い求め、圧倒的努力を続けていく。君も、もし自分の人生を本当に変えたいなら、今すぐ甘えを捨てろ。鏡を見て、自分の情けない顔を直視し、そこから這い上がれ。

結果がすべてだ。だが、その結果を出すために、魂を燃やし尽くす。

それが、俺――見城徹の人生哲学だ。


メモ: > 苦しい時は、俺の言葉を思い出せ。「死ぬこと以外、かすり傷」だ。

お前の熱狂は、どこにある?