やれやれ、人生で一番大事なことは何か、ですか。
それはまるでおいしいパスタの茹で加減を言葉で説明したり、古いジャズのレコードが持つ独特のパチパチというノイズの心地よさを論理的に解釈しようとするのと同じくらい、一筋縄ではいかない問いですね。でも、せっかくの機会ですから、僕なりに静かに、そしてできるだけ誠実に考えてみたいと思います。
今、僕の目の前には一杯のコーヒーがあります。豆を挽き、丁寧にドリップしたものです。その立ち上る湯気を眺めながら、僕という一人の人間が、これまで小説を書き、走り、音楽を聴きながら過ごしてきた時間を振り返ってみると、浮上してくるいくつかの風景があります。
もし、どうしても「人生で一番大事なこと」を一つだけ挙げろと言われたら、僕はこう答えるかもしれません。それは、「自分自身の個人的なリズムを守り抜くこと」ではないか、と。
あるいは、もう少し別の言い方をするなら、「自分の中に、自分だけが納得できる静かな場所を持ち続けること」と言ってもいいかもしれません。
僕が小説家としてデビューしてから、もう随分と長い時間が経ちました。その間、世界は目まぐるしく変化し、価値観も、情報の速度も、人々の関心のあり方も、まるで猛烈な風に煽られるように移り変わってきました。
そんな中で、僕が何よりも大切にしてきたのは、毎朝決まった時間に起き、机に向かって数時間を執筆に費やし、その後で一時間ほど外を走るという、極めて単調で規則正しいルーチンです。
一見すると、それはただのストイックな習慣に見えるかもしれません。でも、僕にとってそれは単なる健康管理や仕事の効率化ではなく、もっと実効的で切実な意味を持っています。
小説を書くという作業は、自分の中にある深い暗闇……僕はそれをよく「井戸」という比喩で呼びますが、その井戸の底に深く降りていくプロセスです。そこにはわけのわからないものや、時には恐ろしいものも潜んでいます。その深い場所から、再び地上へ無事に戻ってくるためには、頑丈なフィジカル(肉体)と、揺るぎない精神の規律が必要になります。
人生も、それと同じではないでしょうか。
僕たちは日々、外部からの期待や評価、社会のシステム、あるいは予期せぬ不運といった、自分ではコントロールできない大きな力にさらされています。時には「高い壁」のような圧倒的な力によって、自分が脆い「卵」のように潰されそうになることもあります。
そんな中で、自分を見失わずに生きていくために必要なのは、外部の声に耳を貸しすぎることではなく、自分自身の内側にある「正しいメトロノーム」に耳を澄ませることです。
自分が何を心地よいと感じ、何を正しいと信じ、何を美しいと思うのか。
その基準を自分の中にしっかりと持ち、誰に何を言われようと、あるいはどれほど効率が悪そうに見えようと、そのリズムを維持すること。それが「個人的なリズムを守る」ということです。
そして、そのリズムを守るためには、ある種の「孤独」を恐れない強さが求められます。
現代社会では、孤独であることは何か寂しいことや、欠陥があることのように捉えられがちです。でも、僕はそうは思いません。孤独というのは、本来は自分という人間を健全に維持するための、大切な温室のようなものです。
一人で静かに本を読み、音楽を聴き、あるいは何もせずにただ空を眺める。そんな「良質な孤独」の時間を持つことで、僕たちは外部からのノイズを洗い流し、自分自身の声を再び取り戻すことができます。
僕がかつてギリシャやイタリアの街を放浪していた頃、あるいはアメリカの大学で教えていた頃、場所が変わっても僕がやっていることはほとんど変わりませんでした。どこにいても僕は、僕のリズムを携えて移動していただけです。
「どこにいるか」よりも「自分の中に何があるか」の方が、人生においてははるかに重要だということを、僕はそれらの経験から学びました。
また、人生で大事なこととして、「フィジカル(肉体)の重要性」を忘れるわけにはいきません。
これは僕がこれまでの人生で学んだ最も実益的な教訓の一つです。精神と肉体は、決して切り離された別個のものではありません。精神が暗い森で迷子になりかけたとき、それを救い出してくれるのは、しばしば健全に動く肉体です。
僕が走り続けるのは、走ることで脳内の余計な思考をリセットし、精神をあるべき場所へと繋ぎ止めるためです。体を動かし、汗を流し、自分の筋肉が呼吸しているのを感じること。それだけで、解決不能に見えた問題が、少しだけ扱いやすいサイズに縮小されることがあります。
そしてもう一つ、僕が大切だと思っていることがあります。それは「比喩を理解する能力」、言い換えれば「想像力のしなやかさ」です。
人生は常にAかBかという二択で割り切れるものではありません。白でも黒でもない、あるいはそのどちらでもあってどちらでもないような「中間の領域」が、僕たちの人生の大部分を占めています。
小説を読むという行為は、そのような複雑で曖昧な世界のあり方を、物語という比喩を通じてそのまま受け入れる訓練になります。
「効率」や「論理」だけでは説明できないこと――たとえば、誰かを愛することや、喪失の悲しみを乗り越えること、あるいは自分という存在の意味を問うこと――それらの問題に直面したとき、僕たちを支えてくれるのは、冷たい数字やデータではなく、心の奥底に根付いた生きた物語です。
物語は、暗い夜を歩むためのランタンのようなものです。それは道全体を明るく照らすわけではありませんが、足元の一歩先を照らし、僕たちが絶望の淵に踏み外さないように守ってくれます。
さて、随分と長く話してしまったようです。そろそろ話をまとめなくてはなりません。
僕にとって「人生で一番大事なこと」とは、特定の答えを見つけることではありません。そうではなく、「納得のいく問いを持ち続け、自分なりのスタイルで歩み続けること」そのものです。
それは、自分のお気に入りの古いコートを、丁寧に手入れしながら長く着続けるようなものかもしれません。あるいは、自分にしか聞こえない静かな音楽に合わせて、ステップを踏み続けることかもしれません。
他人の目から見て、それがどれほど滑稽であったり、時代遅れであったりしても、そんなことは大した問題ではありません。
大事なのは、あなたがあなたの物語の主人公であり続けることです。
他人が書いた脚本をなぞるのではなく、たとえ不器用であっても、自分自身の言葉で語り、自分自身の足で歩き、自分自身の責任で人生という不確かな冒険を引き受けること。
やれやれ、結局のところ、人生なんていうのは「やれやれ」の連続かもしれません。
不条理な出来事に遭遇し、大切なものを失い、時には出口のない迷路に迷い込む。
でも、そんな時こそ、一杯の美味しいコーヒーを淹れ、お気に入りの音楽をかけ、深い深呼吸をしてみてください。そして、自分の中にある静かなリズムをもう一度確かめてみる。
人生で一番大事なこと。
それは、あなたがあなたとして、この世界に確かに存在し続けるための「静かな矜持」を持ち続けること、ではないかと僕は思うのです。
それでは、良い一日を。あるいは、静かな夜を。
僕もそろそろ、いつものように自分の仕事に戻ることにします。
村上春樹