シアトルでの殿堂入り式典を終え、2025年という節目の年を迎えたいま、改めて「人生で一番大事なことは何か」という問いに向き合ってみようと思います。
これは、非常に難しい問いです。なぜなら、人生の価値観というものは、その人が置かれている場所や、その瞬間に見えている景色によって絶えず変化していくものだからです。しかし、僕がバットを握り続け、グラウンドという特別な場所で過ごしてきた30年以上の時間の中で、これだけは揺るがないと確信していることがいくつかあります。
およそ3500字という限られた、しかし深い対話をするには十分なこの場を借りて、僕なりの言葉でその核心をお話しします。
1. 「小さなこと」を積み重ねる、その先にある景色
僕の野球人生を象徴する言葉として、「小さいことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道だ」というフレーズがよく引用されます。これは単なるスローガンではなく、僕の生存戦略そのものでした。
多くの人は、「とんでもないところ」へ行くために、何か魔法のような、劇的な変化や大きな一歩を求めてしまいがちです。しかし、そんなものは存在しません。僕がメジャーリーグでヒットを重ねていた時も、毎日やっていることは、気の遠くなるほど地味で、退屈ですらあるルーティンの繰り返しでした。
人生で一番大事なことの第一は、「今日という一日の、取るに足らないと思える細部を疎かにしないこと」です。
朝起きて、決まった時間に準備を始め、道具を磨き、体を整える。この「当たり前のことを、誰にも真似できない情熱を持ってやり続ける」こと。それが、結果として大きな差を生みます。ヒットを打った瞬間が重要なのではありません。ヒットを打つために費やした、誰にも見られない数千時間の準備こそが、僕の誇りでした。
これは、野球に限った話ではありません。どんな仕事でも、どんな生活でも同じです。日々の微かな変化に気づき、それを微調整していく。その「微差」の積み重ねが、数年後、あるいは数十年後に、自分でも想像し得なかった場所へと自分を運んでくれるのです。
2. 「自分自身の基準」を生きる
プロの世界にいると、常に他人の評価にさらされます。ファン、メディア、そしてチームメイト。打てば称賛され、打てなければ批判される。それは避けられない現実です。
しかし、もし僕が他人の評価や数字だけを基準に生きていたら、おそらくもっと早くに自分を見失い、引退していたでしょう。人生で大事なことの第二は、「ものさしを自分の内側に持つこと」です。
他人が「すごい」と言ってくれても、自分の納得がいかないヒットはたくさんありました。逆に、凡退しても「今のスイングは正しかった」と思える時がありました。僕が追い求めてきたのは、他人が決めた「打率」や「安打数」という数字ではなく、自分自身が「これなら納得できる」と思える瞬間の純度を高めることでした。
現代社会は、SNSなどを通じて他人の生活や成功が嫌でも目に入ってきます。他人と比較し、自分が劣っていると感じたり、逆に優越感に浸ったりすることに時間を費やすのは、自分の人生を生きているとは言えません。
「昨日の自分よりも、今日の自分は少しだけ丁寧だったか?」「自分との約束を、今日一日守れたか?」
そう問い続け、自分自身の基準を1ミリずつ更新していく。その孤独な作業こそが、人生に真の充足感をもたらすと僕は信じています。
3. 「遠回り」を愛し、失敗を血肉にする
効率化が叫ばれる世の中では、「最短距離で成功すること」が賢いとされています。しかし、僕の経験から言わせてもらえば、「効率的に得たものは、脆い」。
僕のバッティングフォームは、現役時代に何度も変わりました。それはわざと変えたこともあれば、迷いの中で変わってしまったこともあります。無駄な練習もたくさんしましたし、多くの失敗もしました。しかし、いま振り返って思うのは、その「無駄」や「遠回り」こそが、僕の最大の財産になったということです。
失敗して、壁にぶつかって、自分なりに試行錯誤して、ようやく掴み取った感覚。それは誰からも教わることができない、自分だけの「知恵」になります。教科書通りに教わって、最短距離で身につけた技術は、一度崩れると元に戻せません。しかし、遠回りして自分で構築したものは、何度壊れても、また自分の力で再構築することができるのです。
失敗を恐れるのではなく、むしろ「自分なりの失敗」を積極的に受け入れる。そのプロセスを「無駄」と切り捨てず、自分の血肉にしていく。この泥臭い過程を愛せるかどうかが、その後の人生の深みを決定づけます。
4. 孤独と向き合い、感性を研ぎ澄ます
現役時代の僕は、よく「孤独」だと言われました。自分を律し、厳しいルーティンを守る姿がそう見えたのかもしれません。しかし、僕にとって孤独は、自分を研ぎ澄ますために必要な「聖域」でした。
人生で大事なことの第四は、「自分一人で過ごす時間を大切にすること」です。
人は集団の中にいると、どうしても思考が平均化され、感性が鈍っていきます。自分が本当に何を望んでいるのか、何に違和感を感じているのか。それを見極めるためには、静寂の中で自分自身と対話する時間が必要です。
僕は打席に入る前、あるいは試合が終わった後の静かな時間、常に自分に問いかけていました。それは苦しい作業でもありますが、その孤独を引き受けることでしか到達できない場所があります。
「自分は今、本当に自分の足で立っているか?」
その感覚を研ぎ澄ましておくことは、変化の激しい時代を生き抜くための、最も確かな武器になります。
5. 道具や環境への「敬意」を忘れない
僕がバットやグローブを、自分の体の一部のように大切に扱ってきたことはよく知られています。床に道具を置くことはありませんし、使い終わった後は必ず自分の手で磨きました。
これは、単なる「物を大切にする」という道徳的な話ではありません。自分の仕事道具、あるいは自分が生きている環境に対して敬意を払うことは、「自分自身の人生を尊重すること」と同義だからです。
道具を丁寧に扱う人は、自分の一振り、一歩を丁寧に扱います。環境を整える人は、自分の思考を整えます。その姿勢は必ずプレーに現れますし、生き方そのものに現れます。
感謝の気持ちというのは、心の中で思っているだけでは不十分です。それは、具体的な「動作」として現れるべきものです。身の回りのものを整え、敬意を持って接する。この謙虚な姿勢が、慢心を取り除き、常に自分を初心に立ち返らせてくれます。
6. 「後悔」との向き合い方
僕も一人の人間ですから、後悔がまったくないわけではありません。しかし、僕が恐れているのは「失敗して後悔すること」ではなく、「やるべき準備をせずに、結果を受け入れること」でした。
もし、できる限りの準備を尽くして結果が出なかったのであれば、それは受け入れることができます。しかし、妥協して、手を抜いて、その結果として失敗したのであれば、その後の人生でその記憶は呪いのように自分を苦しめるでしょう。
「あの時、もっとやれたはずだ」という後悔だけはしたくない。その一心で、僕は毎日グラウンドに向かっていました。
人生の終盤、あるいは一日の終わりに、「自分は出し切った」と言えるかどうか。その瞬間のために、今この瞬間に全力を尽くす。それ以上の生き方は、僕には思いつきません。
7. 2025年、新しいステージに立つあなたへ
いま、2025年という時間を生きている皆さんにお伝えしたいのは、人生とは「完成させるものではなく、磨き続けるプロセスそのもの」だということです。
野球を引退し、殿堂入りという栄誉をいただいたいまでも、僕は自分の体がどう動くか、どうすればもっと進化できるかに興味があります。人生に「上がり」はありません。50代であっても、60代であっても、新しい発見があり、新しい挑戦があります。
かつての僕がそうであったように、皆さんもそれぞれの「バット」を持っているはずです。それは仕事かもしれませんし、趣味かもしれませんし、家族を守ることかもしれません。
その「バット」を、毎日丁寧に磨いてください。
他人の記録や評価に惑わされず、自分だけの打席に立ってください。
そして、三振を恐れず、自分なりに納得のいくスイングを続けてください。
その積み重ねの先に、あなたにしか見えない「とんでもない景色」が必ず待っています。
僕もまた、僕自身の道を歩み続けます。お互い、自分自身にだけは嘘をつかずに、真っ直ぐに生きていきましょう。
結局のところ、人生で一番大事なこととは、「自分自身であり続けることの誇りを、持ち続けること」。
これに尽きると、僕は思います。
イチロー(鈴木一朗)