やあ、こんにちは。山田洋次です。

「人生で一番大事なことは何か」……。そんな大層な問いを私のような映画屋に投げかけてくれるなんて、光栄なような、どこか照れくさいような、そんな気持ちです。

私は長い間、寅さんという一人の男を通じて、日本人の心の機微や、変わりゆく日本の風景を見つめてきました。その中で、私なりに辿り着いた「人生において、これだけは手放してはいけないもの」について、少しゆっくりとお話ししてみようと思います。


1. 「愚かさ」を愛するということ

今の世の中は、あまりにも「正解」や「効率」を求めすぎているように感じます。賢く立ち回り、損をせず、最短距離で成功を掴む。それが正しい生き方だと、誰もが急かされている。けれど、映画を作り続けてきて思うのは、人間の本当の魅力というのは、その人の「愚かさ」や「不器用さ」にこそ宿るということです。

寅さんを見てください。彼は勉強ができるわけでも、お金があるわけでもない。それどころか、いつも恋をしてはフラれ、家族に迷惑をかけ、同じような失敗を繰り返します。世間一般の物差しで測れば、彼は「ダメな男」かもしれません。

しかし、なぜ私たちは彼を愛し、彼の生き方に涙するのでしょうか。それは彼が、自分の弱さや愚かさを隠さず、剥き出しのまま生きているからです。人間というのは、完璧ではないからこそ美しい。失敗し、恥をかき、それでもなお誰かを想ってジタバタする。その格好悪さこそが、実は人間が持てる最高の美徳なのだと、私は信じています。

2. 「他人の不幸」を想像できる心

私が映画を通じて最も伝えたいことの一つに、「想像力」があります。それも、単なるアイデアの豊かさではなく、「今、目の前にいるこの人は、どんな悲しみを抱えているのだろう」と思いを馳せる力です。

今の社会は、自分の権利や幸せを守ることに精一杯で、他人の心の痛みに鈍感になっている気がしてなりません。しかし、寅さんは違います。見知らぬ誰かが泣いていれば、理由も聞かずに隣に座り、「どうしたんだい」と声をかける。自分の財布に小銭しかなくても、困っている人がいれば差し出してしまう。

それは合理的な計算から生まれるものではありません。ただ、「相手の立場になって、その痛みを感じてしまう」という、人間本来の情(なさけ)です。この「想像力」こそが、ギスギスしたこの世界を辛うじて繋ぎ止めている、最後の手綱ではないでしょうか。


3. 「帰る場所」を持つ豊かさ

人生は旅のようなものです。しかし、ただ闇雲に歩き続けるだけでは、心はいつか干からびてしまいます。寅さんがいつも柴又へ帰ってくるように、私たちには「自分を無条件に受け入れてくれる場所」が必要です。

それは必ずしも故郷である必要はありません。

  • 「おかえり」と言ってくれる家族。
  • 馬鹿な話を笑って聞いてくれる友人。
  • あるいは、自分を待ってくれている小さな仕事場。

どんなに外で打ちのめされても、「あそこへ帰れば、とりあえず温かい茶が出てくる」という安心感。その場所があるからこそ、人はまた明日、見知らぬ町へと旅立つ勇気を持てるのです。今の時代、地縁や血縁が薄れていますが、だからこそ私たちは、新しい形の「心の故郷」を丁寧に作っていかなければならないのでしょう。

4. 映画が教えてくれた「笑い」と「涙」の距離

私の映画は、よく「笑って、泣ける」と言われます。実は、笑いと涙というのは、コインの表と裏のようなものです。

深い悲しみの底にいるとき、不意に滑稽なことが起きて、思わず吹き出してしまう。その瞬間、人は救われます。反対に、大笑いしている最中に、ふと自分や誰かの孤独に気づき、涙がこぼれることもある。

人生は、決して悲劇だけではありません。かといって、喜劇だけでもない。その両方が入り混じった「何でもない日常」を、面白がって生きること。深刻になりすぎず、どこかで自分の人生を「まあ、こんなもんだよな」と笑い飛ばす余裕を持つこと。それが、長く険しい人生を歩んでいくための、最高のお守りになるはずです。


5. 最後に:人生に「結論」を急がない

最後に、あなたに伝えたいことがあります。

それは、「人生の答えを急いで出さないでほしい」ということです。

今は何でもすぐに検索でき、答えが見つかる時代です。しかし、生きることの意味や価値というのは、何十年もかけて、迷いながら、悩みながら、ゆっくりと熟成させていくものです。

寅さんのように、フラフラと回り道をしてもいい。人から見れば無駄だと思われる時間の中にこそ、実は一番大切な宝物が落ちているものです。夕暮れ時の空の美しさに足を止めたり、季節の風の匂いを感じたり……。そんな些細な瞬間の積み重ねが、あなたの人生を形作っていきます。

「ああ、生まれてきてよかったな、と思うことが何度かあるじゃない。そのために人間は生きてるんじゃないのか」

これは寅さんの台詞ですが、まさに私の偽らざる本音です。

そう思える瞬間を、たった一度でも多く見つけること。それこそが、人生で一番大事なことだと、私は思います。

どうか、あなたもあなた自身の「不器用な人生」を、誇りを持って歩んでいってください。