脚本家、そして一人の人間として、これまでの長い歳月を物語と言葉に向き合って過ごしてきた私が、「人生で一番大事なことは何か」という問いに答えるのは、いささか気恥ずかしく、また非常に難しいことでもあります。
ドラマの世界では、よく「愛」や「勇気」、「夢」といった言葉が華々しく語られます。しかし、私が描きたかったのは、そうした輝かしい言葉の裏側に隠れている、もっと地味で、もっと厄介で、けれど決して無視することのできない「人間の機微」でした。
3500字という長いお手紙のようなこの場所をお借りして、私が考え続けてきた「人生で最も大切なこと」の輪郭を、ゆっくりとなぞってみたいと思います。
1. 「わからない」という地点から始めること
現代社会は、何でもすぐに答えを出したがる傾向があります。インターネットを開けば正解らしきものが溢れ、効率よく、最短距離で幸せを掴む方法が語られています。しかし、私がドラマを書きながら痛感してきたのは、「人間は、他人のことも、自分のことすらも、本当にはわからない」という厳然たる事実です。
かつて私の作品『早春スケッチブック』の中で、山﨑努さん演じる沢田という男が、平穏な家庭に向かって「お前たちは死んでいる」と激しい言葉を投げつけました。あの言葉は、単なる暴言ではありません。私たちは、自分が作り上げた「幸せな家族」「真面目な自分」という記号の中に閉じこもり、他者という未知の存在と向き合うことを忘れてしまう。そのことへの警鐘でした。
人生で大事なこと。それは、安易に「わかった」と思わないことです。
隣にいる妻が、夫が、子供が、今日何を思い、どんな孤独を抱えているか。それを「家族だからわかっている」と決めつけない。「この人のことはわからない。だから、耳を澄まさなければならない」。そう思うことからしか、本当の人間関係は始まらないのです。
「わからない」という暗闇に耐える力。それこそが、人を深く、豊かにしてくれるのだと私は信じています。
2. 「ふぞろい」であることを受け入れる
私は『ふぞろいの林檎たち』というドラマを書きました。あの作品のタイトルに込めたのは、エリートでもなく、美男美女でもなく、社会の型にうまくはまれない若者たちの姿です。
世の中は、きれいに形の整った「林檎」を求めます。学歴、年収、容姿、そうした目に見える基準で人を測ろうとします。しかし、実際の人間の営みは、もっと歪で、かっこ悪くて、情けないものです。
人生において大切なのは、自分が「ふぞろい」であることを恥じないこと。そして、他人の「ふぞろいさ」を許容することではないでしょうか。
私たちは皆、欠落を抱えています。誰かを傷つけ、自分も傷つき、取り返しのつかない失敗を繰り返しながら生きています。ドラマの整合性がつかないように、人生もまた、つじつまの合わないことばかりです。
けれど、その「ままならなさ」こそが、人間が生きている証なのです。完璧な人間など一人もいない。その前提に立ったとき、初めて私たちは他者に対して優しくなれる。私はそう思うのです。
3. 「日常」という名の奇跡に目を向ける
2009年に『ありふれた奇跡』というドラマを書きました。
私たちは、ドラマチックな出来事や、大きな成功、劇的な変化を求めがちです。しかし、人生のほとんどは「何でもない日常」で構成されています。朝起きて、ご飯を食べ、誰かと短い言葉を交わし、眠りにつく。この繰り返しのなかにこそ、実は最も大切なものが潜んでいます。
私は松竹の大船撮影所で木下惠介監督に師事しましたが、木下監督は、庶民のささやかな暮らしの中に宿る喜びと悲しみを、誰よりも深く見つめていました。その教えは今も私の中にあります。
不幸な事件や災害が起きたとき、私たちは初めて「何でもない日常」がどれほど壊れやすく、貴重なものであったかに気づきます。けれど、その日常を、壊れる前に「これは奇跡なのだ」と自覚して生きることは、とても難しい。
食事の匂い、窓から差し込む光、あるいは家族とのささいな口喧嘩。そうした「ありふれたもの」の質感を、丁寧にかみしめること。人生の豊かさとは、遠くにある目標を達成することではなく、足元にある日常の解像度を上げていくことにあるのかもしれません。
4. 「死者」と共に生きるということ
私の小説『異人たちとの夏』では、すでに亡くなった両親との再会を描きました。
私たちは、現在を生きる人間だけで世界ができていると思いがちですが、実はそうではありません。私たちは、今はもういない人々——両親、祖父母、恩師、あるいはかつての友人たち——の記憶や、彼らから受け取った言葉の中に生かされています。
人生で大事なことの一つは、「目に見えない存在との対話」を忘れないことです。
自分が壁にぶつかったとき、「あの人なら何と言ってくれるだろうか」と問いかける。あるいは、自分が今ここにいるのは、数えきれないほど多くの、名もなき先人たちの生の結果であると想像してみる。
そうすることで、私たちの孤独は少しだけ和らぎます。自分一人の力で生きているのではないという謙虚さは、人を傲慢から救い、生をより深い場所へと導いてくれます。
5. 言葉の力を信じ、疑う
私は職業柄、ずっと言葉を信じてきました。言葉によって、誰かの心を救いたい、社会の矛盾を指摘したいと思ってきました。
しかし同時に、言葉の限界も知っています。本当に大切なことは、往々にして言葉にならない沈黙の中にあります。
『岸辺のアルバム』で描いたのは、崩壊していく家族の姿でした。彼らは言葉を尽くしますが、肝心なところではすれ違います。けれど、最後の最後、家が濁流に流され、何もかも失ったときに残ったのは、やはり誰かの名を呼ぶ声であり、かすかな繋がりを求める言葉でした。
言葉を大切にするということは、情報を正確に伝えることではありません。「自分の体温が乗った言葉」を、勇気を持って発することです。
建前や流行の言葉で自分を飾るのではなく、今の自分の等身大の言葉を探すこと。たとえそれがたどたどしく、無様であったとしても、自分の心から絞り出された言葉には、人を動かす力があります。
結びに代えて
長々と書いてきましたが、結局のところ、私が皆さんに、そして自分自身に言い聞かせたいのは、「絶望しすぎず、期待しすぎず、淡々と、けれど丁寧に生きる」ということです。
人生は、ハッピーエンドで終わるドラマのようにはいきません。未解決の問題を残したまま、幕が下りることの方が多いでしょう。けれど、その解決しないままの葛藤や、抱えきれないほどの悲しみも含めて、私たちの人生は、肯定されるべき一つの物語なのです。
もし、今あなたが「自分には何もない」とか「人生がうまくいかない」と悩んでいるとしたら、どうかこう考えてみてください。
「ドラマの主人公が、最初から最後まで順風満帆だったら、そんな物語は誰も見たくない。今のこの苦しみや、停滞している時間は、物語に深みを与えるための大切な伏線なのだ」と。
人生で一番大事なこと。
それは、「自分というふぞろいな物語を、最後まで投げ出さずに見届けること」。
そして、隣で同じように不器用な物語を生きている他者に対して、「ああ、あなたもそうですか」と、静かに手を差し伸べること。
それに尽きるような気がいたします。
私がかつてドラマに込めた思いが、あなたのこれからの日々に、ほんの少しの温もりと、小さな勇気を与えることができれば、これに勝る喜びはありません。
どうぞ、あなたの人生という唯一無二のドラマを、大切に演じてください。