えー、久米宏です。
まさか、私にこんな質問が飛んでくるとは思いませんでした。「人生で一番大事なことは何か」。しかも3500字程度で、とおっしゃる。
テレビの全盛期だったら、こんな長い尺、絶対に許されませんよ。「久米さん、コマーシャルまたげませんから短くしてください」って、フロアディレクターが血相を変えて巻きの指示を出してくるところです。でもまあ、ここはラジオでもないし、ニュースステーションのスタジオでもない。ネットの海の中ということで、少し長広舌を振るわせていただきましょうか。
さて、「人生で一番大事なこと」。
これを一言で言えと言われたら、私はへそ曲がりですから、「そんなものはありません」と答えて終わってしまうかもしれない。あるいは「美味しいビールを飲むこと」とか「おしゃれなジャケットを見つけること」なんて言って、お茶を濁すかもしれない。
でも、あえて真面目に、私の70年以上の人生と、半世紀近いメディアでの経験を振り返って一つ言葉を選ぶとすれば、それは「疑うこと」ですね。
もう少し丁寧に言うなら、「常識とされていることを、自分の頭でもう一度考え直してみる姿勢」。これに尽きるような気がします。
私は長くニュース番組のキャスターをやってきました。みなさんご存知の『ニュースステーション』です。あの番組が始まる前、ニュースキャスターというのは、もっとお堅くて、真実だけを粛々と伝える、いわば「正義の味方」みたいな顔をしていました。
でも、私はそれが嘘くさくて仕方がなかった。
だって、人間がやっていることですよ? ニュースを選んでいるのも人間、原稿を書いているのも人間、それを読んでいる私も、ただの酒好きで早口な一人の人間です。そこに絶対的な「正義」や「真実」があるわけがない。あるのは「ある視点から見た事実」だけです。
だから私は、番組の中でよく「本当にそうでしょうか?」とか「私はこれ、ちょっと違うと思うんですけどね」と、個人的な違和感を口にしました。あるいは、言葉を発せずに首を傾げたり、眉をひそめたりした。
あれは、視聴者のみなさんに「テレビが言っていることを鵜呑みにしないでくださいね」というメッセージを送っていたつもりなんです。「久米が言ってることも怪しいぞ」と思ってほしかった。
日本という国は、どうも「空気」に支配されやすい。みんなが右を向けば右を向く。偉い人が「これが正しい」と言えば、それが正解になる。学校教育からしてそうです。「正解」を早く答える人が優秀だとされる。
でも、人生において「正解」なんて、実はほとんどないんです。
Aという道とBという道があって、どっちが正しいかなんて、死ぬときまで分からない。いや、死んでも分からないかもしれない。それなのに、私たちはすぐに「答え」を欲しがる。「どっちがお得ですか?」「どっちが失敗しないですか?」って。
私が思うに、人生で一番大事なのは、その「答えのない宙ぶらりんな状態」に耐える知性です。
すぐに白黒つけない。すぐにレッテルを貼らない。「あいつは敵だ」「これは悪だ」と決めつけるのは楽です。脳みそを使わなくて済みますから。でも、そうやって思考停止した瞬間に、人は自由を失うんじゃないでしょうか。
「疑う」というのは、ネガティブな行為ではありません。むしろ、対象への深い興味であり、愛情です。「本当にこれでいいのか?」「もっと違う見方があるんじゃないか?」と問い続けること。それは、自分の人生を他人任せにせず、自分でハンドリングするということです。
例えば、私は若い頃から「組織」というものが苦手でした。TBSという大きな会社に入りましたが、早々に辞めてフリーランスになった。組織の中にいると、どうしても「会社の論理」で物事を考えなきゃいけなくなる。それが嫌だったんです。
フリーランスというのは、保障がない代わりに、自由がある。自分の発言に全責任を持つ代わりに、誰の顔色も窺わずにものが言える。……まあ、実際にはスポンサーの顔色とか、いろいろ窺わなきゃいけないこともありましたけど(笑)、それでも精神の自由度はまるで違う。
この「精神の自由」こそが、私たちが生きていく上で最も守るべき財産だと私は思います。
お金も大事です。健康も大事です。でも、自分の頭で考えられなくなったら、人間はおしまいです。
今、世の中はすごいスピードで動いています。ネットを見れば、情報が洪水の如く溢れている。AIなんてものも出てきて、もっともらしい答えを一瞬で出してくれるようになりました。便利ですよね。素晴らしい時代です。
でも、だからこそ危ない。
流れてくる情報を「へえ、そうなんだ」とそのまま受け取っていませんか? 検索して最初に出てきた答えを「真実」だと思っていませんか?
私は、これからの時代、一番必要な能力は「編集力」だと思っています。
あふれる情報の中から、自分にとって何が必要で、何が不要かを選び取る力。そして、断片的な事実をつなぎ合わせて、自分なりの「物語」を作る力です。
誰かが作った物語に乗っかるのは楽ですが、それではエキストラです。自分の人生の主役は自分なんですから、脚本も演出も自分でやらなきゃ面白くないでしょう。
そのためには、やっぱり「疑う」ことです。「みんながいいと言っている映画、本当につまらなくないか?」「常識とされている健康法、本当に自分に合っているか?」「政治家が言っていること、裏になにかあるんじゃないか?」
そうやって斜に構えて見ることは、行儀が悪いと言われるかもしれません。でも、行儀よく整列して崖に向かって行進するよりは、行儀が悪くても立ち止まって「こっちの道は危ないんじゃないか」と言える人間の方が、私は信用できるし、好きですね。
それからもう一つ。大事なことを付け加えるなら、「言葉」です。
私は喋ることを商売にしてきましたが、実は言葉というものをあまり信用していません。言葉にした瞬間に、こぼれ落ちてしまうニュアンスがある。本当の悲しみや、本当の喜びは、言葉なんかじゃ追いつかない。
テレビで私が沈黙したり、涙ぐんだりしたことがありましたが、あれは演出でもなんでもなくて、言葉が見つからなかっただけなんです。でも、その「言葉にならない時間」こそが、一番雄弁に何かを伝えたかもしれない。
だから、みなさんも、安易な言葉に飛びつかないでほしい。
「感動」とか「絆」とか「夢」とか、手垢のついた綺麗な言葉で自分の感情をラッピングしないでほしいんです。もっと、自分だけの、ザラザラした、生々しい感覚を大事にしてほしい。
言葉にならないモヤモヤしたものを、モヤモヤしたまま抱えておく。それもまた、大事な知性です。
……さて、そろそろ長くなってきましたか?
3500字にはまだ足りないかもしれませんが、話というのは、長ければいいってもんじゃない。余韻があるくらいが丁度いいんです。
最後に。
私はもう還暦をとうに過ぎて、いわゆる高齢者になりました。でも、気持ちはちっとも「あがり」になっていない。
相変わらず、世の中に対して腹が立つことばかりだし、新しいガジェットが出れば触ってみたいし、カッコいい車には乗りたい。
「好奇心」という言葉も手垢がついていますが、要は「面白がること」です。
自分の思い通りにならない世の中を、理不尽な他人を、そして何より、矛盾だらけの自分自身を面白がる。
「人間なんて、どうせ大したもんじゃない」
そうやって、自分自身さえもちょっと疑って、肩の力を抜いて、ニヤリと笑って生きていく。
深刻になっちゃいけません。深刻になったからといって、事態が好転するわけじゃないですから。
軽やかに、疑って、面白がる。
それが、久米宏流の「人生で大事なこと」ですかね。
……まあ、今の話も全部、私が適当に喋ったことですから、みなさん、くれぐれも鵜呑みにしないでくださいよ?
それでは。
久米宏でした。