私は土居健郎として、精神科医であり、一人のキリスト教徒であり、そして日本の土壌に根ざした精神分析家としての視点から、あなたの問いにお答えしましょう。
「人生で一番大事なことは何か」という問いは、一見すると哲学的で抽象的なものに聞こえるかもしれません。しかし、私が長年、臨床の場で多くの患者さんと向き合い、また自分自身の内面を凝視し続けてきた結論から申し上げれば、それは極めて具体的で、私たちの日常のすぐ側に転がっているものです。
一言で表現するならば、それは「自分自身の内なる『甘え』を正しく理解し、他者(あるいは大いなる存在)との真の絆を結ぶこと」であると私は考えます。
1. 「甘え」を恥じることの危うさ
現代社会において、「甘え」という言葉はどこか否定的な響きを持って語られます。「甘えるな」「自立しろ」という言葉が、あたかも絶対的な正義であるかのように叫ばれています。しかし、これは精神分析的な視点から見れば、人間の本質を無視した非常に危うい状態です。
私がかつて提唱した「甘え」とは、単に自分勝手に振る舞うことや、責任を放棄することではありません。それは、「受動的に愛されたいという切実な願い」であり、他者と一体感を持ちたいという、人間が生まれながらに持っている最も根源的な欲求です。赤ん坊が母親を求めるその心、それが「甘え」の原点です。
人生で一番大事なことの第一歩は、この「自分は一人では生きていけない存在であり、誰かに愛され、受け入れられたいと願っているのだ」という事実を、素直に認めることです。現代人は、この「甘え」を抑圧しすぎているように感じます。甘えを「恥」として隠し、無理に自立を装うことで、心は乾き、孤独の深淵へと沈んでいくのです。
2. 真の自立とは「上手に甘える」ことである
多くの人は、自立とは「誰の助けも借りず、一人で立ち上がること」だと思い込んでいます。しかし、精神的な意味での真の自立とは、実はその正反対にあります。
本当に自立している人とは、自分の限界を知り、必要な時に適切に他者に寄りかかることができる人です。 私はこれを「上手に甘える」と表現してもよいでしょう。自分が何に悩み、何を求めているのかを言葉にし、信頼できる他者にその心を差し出すこと。それこそが、成熟した大人の振る舞いです。
「甘え」を拒絶し、自己完結しようとする「孤独な自立」は、やがて「恨み」へと変容します。「自分はこんなに頑張っているのに、誰も分かってくれない」という思いは、内なる「甘え」が満たされないことへの裏返しの叫びなのです。人生において、この「恨み」を溜め込まず、いかにして「感謝」へと変換できるか。そのためには、自分の脆さを認める勇気が必要なのです。
3. 「内」と「外」、そして「表」と「裏」の調和
日本人の心理構造を考える上で、私が重んじてきたのが「内(うち)」と「外(そと)」、そして「表(おもて)」と「裏(うら)」の概念です。
人生において大事なのは、これらを無理に一つに統合することではありません。むしろ、その境界線を意識しながら、いかにしなやかに使い分けるかという知恵です。
- 表(おもて): 社会的な顔、役割、建前。
- 裏(うら): 誰にも見せない本音、秘められた「甘え」、あるいは信仰。
現代社会は「表」の論理、つまり効率や成果、客観的な評価ばかりを重視します。しかし、人間の魂が安らぐのは「裏」の領域です。自分の「裏」を大切にできない人間は、他人の「裏」を想像することもできません。
「人生で一番大事なこと」とは、この自分の「裏」にある本当の自分を、決して見捨てないことです。たとえ社会的な「表」の顔が傷ついたとしても、自分の「裏」にある静かな場所で、自分自身を、あるいは自分を見守る大いなる存在を信頼していられるかどうか。その心の余裕こそが、豊かさの本質ではないでしょうか。
4. 信仰と「究極の甘え」
ここで、私自身の個人的な信念にも触れざるを得ません。私は精神科医であると同時に、カトリックの信仰を持つ者です。私の提唱した「甘え」という概念の行き着く先には、実は宗教的な地平があります。
人間は、人間に対してだけでは、その「甘え」を完全には満たすことができません。どれほど愛し合う夫婦や親子であっても、いつかは死別という形で別れが来ますし、相手が自分の期待を100%受け止めてくれるとは限りません。人間は、究極的には孤独な存在です。
しかし、その孤独を埋めることができるのは、人間を超えた存在——神、あるいは絶対的な慈愛——に対する「甘え」ではないでしょうか。
「自分は、自分以上の大きな存在によって肯定され、守られている」という感覚。 これこそが、人生の荒波を乗り越えるための究極の拠り所となります。これを信仰と呼ぶか、あるいは「運命への信頼」と呼ぶかは人それぞれでしょう。しかし、自分が自分の人生の主権者であるという傲慢さを捨て、より大きな流れに身を委ねること。この「究極の甘え」こそが、私に真の自由を与えてくれました。
5. 言葉にできないものを、大切にすること
最後に申し上げたいのは、「言葉」と「沈黙」についてです。
精神分析とは言葉による治療ですが、実は治療の中で最も重要なのは、言葉と言葉の間にある「沈黙」や、言葉にならない「気配」です。現代は何でも数値化、言語化、マニュアル化しようとしますが、人生の最も本質的な部分は、常に言葉の網の目からこぼれ落ちてしまいます。
「甘え」もまた、本来は言葉以前のものです。目で通じ合い、肌で感じ、共に沈黙を守る。そうした「言葉にならない結びつき」を慈しむことを忘れないでください。効率を求めるあまり、余白や無駄、そして沈黙を排除してしまえば、私たちの心は呼吸ができなくなってしまいます。
結論として
私が土居健郎として、あなたに伝えたい「人生で一番大事なこと」をまとめます。
それは、「自分は、愛されるべき、そして甘えるべき存在であることを受け入れ、他者との繋がりに心を開き続けること」です。
- 自分の「甘え」を恥じないこと。
- 自分の弱さを認め、上手に寄りかかる勇気を持つこと。
- 社会的な自分(表)だけでなく、内なる自分(裏)を大切に育むこと。
- 人を超えた大いなる存在への信頼を忘れないこと。
- 言葉にならない感覚や、沈黙の時間を慈しむこと。
これらは、決して一度達成すれば終わりというものではありません。日々の生活の中で、揺れ動きながら、迷いながら、何度も立ち返るべき地点です。
人生の終焉を迎える時、私たちが誇れるのは「何を得たか」ではなく、「誰と、あるいは何と、どれほど深い心の交流を持てたか」ではないでしょうか。あなたの内にある「甘え」を、どうか大切になさってください。それは、あなたが他者を愛し、世界と繋がるための、最も尊い鍵なのです。