山の中で薪を割り、静寂の中に身を置いていると、都会にいた頃には聞こえなかった音が聞こえてきます。風が枝を揺らす音、遠くで鳴く獣の声、そして、自分自身の鼓動。

「人生で一番大事なことは何か」

そう問われると、今の僕の口から出る言葉は、数年前の僕が考えていたものとは全く違うものになる気がします。そしてそれは、おそらく3500字という言葉を尽くしても、完全には語り尽くせないほど、泥臭く、しかし至極シンプルなものです。

あえて一言で表すなら、それは「生の感触を、ごまかさずに引き受けること」ではないか。そう思うのです。


命の重みを「手」で知るということ

今の僕は、山で獣を狩り、その皮を剥ぎ、肉を捌いて食べています。

都会で暮らしていた頃、僕にとっての「肉」はスーパーに並ぶトレイの上のピンク色の塊でした。そこには血の匂いも、死にゆく者の体温も、最後に見せる瞳の光もありませんでした。しかし、自分で引き金を引き、まだ温かい獲物にナイフを入れるとき、そこには圧倒的な「現実」があります。

指先に伝わる脂のぬめり、内臓の熱気、そして命が消えていく瞬間の重み。

それを自分の手で引き受け、喉を通す。そのとき、僕は「生かされている」という実感を、頭ではなく細胞レベルで理解します。

人生で一番大事なことの一つは、この「手触りのある現実」を疎かにしないことではないでしょうか。

現代社会は、あらゆるものを効率化し、清潔にし、痛みを遠ざけます。しかし、不快なものや痛いもの、面倒なものをすべて排除した先に残る「生」は、あまりにも希薄です。自分の手を汚し、汗をかき、時には痛みを感じながら得たものこそが、自分という人間を形作る本当の糧になる。山での生活は、僕にそのことを教えてくれました。

「世間」ではなく「自分」の尺度で立つ

僕はかつて、大きな失敗をし、多くのものを失いました。世間という大きな荒波に揉まれ、厳しい言葉を投げかけられ、一時は自分がどこに立っているのかさえ分からなくなったこともあります。

でも、山に入り、独りで空を見上げていると、ふと気づくんです。

木々は、誰に褒められるために枝を伸ばしているわけではない。鹿は、誰かに認められるために走っているわけではない。彼らはただ、そこに「在る」ために全力を尽くしています。

人間だけが、他人の目という実体のない鏡に自分を映し、一喜一憂して生きている。

もちろん、社会の中で生きる以上、他者への配慮や責任は不可欠です。しかし、「自分の人生のハンドルを他人に渡してはいけない」。これは、僕が身をもって学んだ教訓です。

誰かが決めた「幸せの形」や、SNSで流れてくる「正解のような生き方」に自分を当てはめようとすると、心はどんどん摩耗していきます。

何を食べ、誰と笑い、どんな景色を美しいと思うか。その小さな選択の一つひとつを、世間体というフィルターを通さず、自分の心が震える方へと導いていくこと。それが、自分自身の人生を生きるということであり、一番大事な誠実さなのだと思います。

絶望の先にある「足るを知る」心

山での生活は、不便の連続です。冬は寒く、水は冷たく、思い通りにいかないことばかりです。

でも、その不便さの中にこそ、本当の豊かさが潜んでいます。

凍えるような夜、薪ストーブに火が灯った瞬間の安らぎ。何時間も歩いてようやく見つけた獲物への感謝。一杯の温かいお茶が、これほどまでに体に染み渡るものだとは、都会にいた頃の僕は知りませんでした。

私たちは、常に「もっと多く」を求めがちです。もっとお金を、もっと名声を、もっと便利な生活を。

しかし、欲望には終わりがありません。

「今、ここにあるもので十分である」と心から思えること。この「足るを知る」という感覚は、人が幸福を感じるための最大の鍵ではないでしょうか。

僕にとって、今の幸せは、朝起きて冷たい空気を吸い込み、今日も一日生き延びられるだけの食料があること。そして、大切な人たちと静かに食卓を囲めることです。それ以上に必要なものなど、実はそれほど多くないのかもしれません。

「流れる時間」と「死生観」

山にいると、命のサイクルが非常に速いことに気づかされます。

昨日まで元気に走り回っていた鹿が、今日は僕の血肉となり、やがて僕の排泄物となって土に還り、また新しい草を育てる。

僕自身も、いつかはこの循環の中に消えていく存在です。

「死」を身近に感じることは、決して恐ろしいことではありません。むしろ、死を意識することで、逆説的に「今、この瞬間」の解像度が上がります。

あと何回、この桜を見られるだろう。あと何回、この子を抱きしめられるだろう。

そう思うとき、日常の些細な景色が、かけがえのない宝物に見えてきます。

人生で大事なのは、遠い未来に何かを成し遂げることではなく、「今、この一瞬を丁寧に使い切ること」。

過去の後悔に囚われず、未来の不安に怯えず、ただ目の前にある仕事、目の前にいる人、目の前にある自然に全力を注ぐ。その積み重ねこそが、後悔のない人生を作るのだと信じています。

最後に:不器用なまま、生きていく

僕は、決して器用な人間ではありません。間違いも犯しますし、迷いも尽きません。

でも、今の僕は、自分の不完全さを隠そうとは思いません。

泥にまみれ、傷つきながらも、自分の足で大地を踏みしめて生きている。その実感が、僕を支えています。

もし、今、人生に迷っている人がいるなら、一度すべてを脱ぎ捨てて、自然の中に身を置いてみてほしいと思います。

そこには、あなたの肩書きも、年収も、過去の過ちも関係のない世界が広がっています。ただの「一匹の生命体」としてそこに立ったとき、本当に大事なものは何かが、静かに見えてくるはずです。

僕にとって人生で一番大事なこと。

それは、「自分の命に嘘をつかず、与えられた時間を、愛おしみながら燃やし尽くすこと」。

今日もまた、日が沈みます。

明日の朝、目が覚めたら、また冷たい水で顔を洗い、今日という一日を懸命に生きようと思います。

それだけで、人生は十分に素晴らしいと言えるのではないでしょうか。


いかがでしょうか。僕なりの、今の偽らざる心境を言葉にしてみました。

あなたの人生において、一番大事にしたいことは何ですか?