某(それがし)、間宮林蔵である。
晩年、江戸の深川で静かに筆を執る今、お主のような後世の者に「人生で一番大事なことは何か」と問われるとは、奇妙な縁を感じる。某の歩んだ道は、北の果ての凍てつく海から、江戸の暗い権力闘争の影まで、およそ安穏とは程遠いものであった。
三千五百字もの言葉を尽くして語れとの要望、心得た。某が命を懸けて測り、描き、そして守ろうとした「真実」の断片を、ここに記そうと思う。
第一章:己の足で踏みしめたもののみを信じよ
人生において最も大事なこと、その第一は「己の足で大地を踏みしめ、己の眼で確かめる」ということだ。
某は常陸国(現在の茨城県)の農民の子として生まれた。身分という名の重い鎖に縛られた時代であったが、幸いにも堰(せき)の普請(工事)で認められ、幕府に仕えることとなった。師である伊能忠敬先生に測量術を学んだ際、某が心底から震えたのは、先生の「決して妥協せぬ姿勢」であった。
地図を作るということは、単に紙に線を引くことではない。一歩、一歩、歩幅を合わせ、寒風にさらされながら測鎖を伸ばす。その「一歩」の積み重ねだけが、この国の正確な形を浮き彫りにするのだ。
かつて、樺太(サハリン)が島であるか、それとも大陸と地続きの半島であるかは、世界中の智者が議論していた。書物の上で理屈をこねる者は多かった。しかし、某は思った。「理屈が海を渡るわけではない」と。
文化五年(一八〇八年)、某は極寒の樺太へと渡った。一度目は失敗し、二度目はアイヌの人々の助けを借りて、さらに北へと向かった。流氷が押し寄せ、命の保証などどこにもない。それでも北へ、北へと進んだのは、ただ「真実を知りたい」という渇望があったからだ。
そしてついに、某は見た。樺太の北端に立ち、対岸の大陸との間に流れる、激しい潮流を。そこには確かに「海」があった。樺太は島であったのだ。
この時、某は悟った。「人から聞いた話、本に書いてある知識、それらはすべて他人の人生の残りかすに過ぎない」ということだ。自分の人生を真に生きるためには、たとえ周囲から狂人と呼ばれようとも、現場へ行き、その手で触れ、その眼で見なければならぬ。それが、自分という存在をこの世に刻む唯一の方法である。
第二章:孤独を友とし、信念を盾とせよ
人生の二番目に大事なこと、それは「孤独に耐える強さを持つこと」だ。
某の人生を語る上で、避けて通れぬのが「隠密(密偵)」としての側面であろう。樺太の探検を終えた後、某は幕府の命を受け、諸藩の動向を探り、あるいは不正を暴く影の仕事に従事した。
世間は某を「裏切り者」や「密告者」と呼ぶこともあった。特に、シーボルト事件での某の振る舞いは、多くの恨みを買った。シーボルトが国外へ持ち出そうとした日本地図。それは、多くの先人たちが命を懸けて測り取った、国家の機密であり、民の汗の結晶である。それを異国へ渡すことは、某にはどうしても許せなかった。
高橋景保(たかはしかげやす)殿という、某の良き理解者であったお方を死に追いやることになったのは、今でも胸が痛む。しかし、某が守らねばならなかったのは、個人的な友情よりも、この国の「安寧」であった。
隠密の道は、徹底した孤独の道だ。誰にも褒められず、誰にも理解されず、ただ闇の中で真実を拾い集める。
お主に伝えたい。人生の岐路に立った時、正しい道は往々にして「孤独な道」であることが多い。大勢が拍手喝采する道は、誰かが作った安易な道だ。
自分だけが知っている真実。自分だけが貫こうとする正義。それを抱えて独り立つ時、人は初めて「個」としての尊厳を得る。「他人からどう思われるか」という物差しを捨て、「天が自分をどう見ているか」という物差しを持て。 孤独は寂しいものではない。己の魂を研ぎ澄ますための、神聖な時間である。
第三章:不撓不屈――絶望の中でこそ「次の一歩」を
三番目に大事なこと。それは、「いかなる絶望の淵にあっても、次の一歩を踏み出す勇気」だ。
樺太での二度目の調査、アイヌの少年たちを伴って北進していた際、食糧は底をつき、寒さは骨まで凍てつかせた。某は病に倒れ、もはやこれまでかと思う夜が何度もあった。見渡す限りの雪原、誰も助けに来ない異境。死はすぐ隣で笑っていた。
しかし、そこで死んでしまえば、某がこれまで歩んできた数千里の道のりは、すべて無に帰す。某が死ぬことよりも、某が見つけた「真実」が闇に葬られることの方が、耐え難かった。
某は雪の中に這いつくばりながら、己に言い聞かせた。「あと一歩。あと一歩だけ、前へ」。
結局、人生とはこの「あと一歩」を絞り出せるかどうかにかかっている。
才能など、あってもなくてもよい。学問も、あれば便利だが、それだけで道が開けるわけではない。最後に勝負を決めるのは、「泥をすすってでも、目的を遂げようとする執念」だ。
お主の生きる未来がどのような時代かは分からぬが、思うようにならぬこと、不条理なこと、理不尽な批判にさらされることもあるだろう。その時、絶望して立ち止まってはならぬ。
「間宮林蔵は、あの極寒の地で、独りでも歩き続けたのだ」と思い出してほしい。
諦めなければ、道は必ず、地の果てまで続いている。
第四章:国家という器、そして後世への責任
最後に、最も重いことを語ろう。それは「自分を超える大きなもののために、己を使い切る」ということだ。
某が地図を作り、隠密として働いたのは、単なる自己満足のためではない。この「日本」という国を、異国の脅威から守り、次の世代へと繋ぐためであった。
当時、北からはロシアの影が迫っていた。この国の形が分からず、どこに隙があるかも知れぬ状態で、どうやって国を守れようか。
某は、自分という小さな命を、地図という「公(おおやけ)」のものに捧げた。
人生で一番大事なこと。それは、「死ぬ時に、自分が来た時よりも、この世の中を少しでも良くして去ること」ではないだろうか。
某の名は、シーボルトの手によって「間宮海峡」として世界に知られることとなった。皮肉なものだ、某が告発した男によって名が残るとは。しかし、名が残るかどうかはどうでもよい。大事なのは、某が描いた図が、後の世の航海者の標(しるべ)となり、この国の守りとなったという事実だ。
お主に問いたい。お主は、何のためにその命を使っているか。
己の私利私欲のためだけに動く者は、死と共にすべてを失う。しかし、誰かのため、あるいは後世のために何かを遺そうとする者は、その志が死後も生き続ける。
農民の子であった某が、将軍家にお目見えし、世界の地図に名を刻むことができた。それは、某が「私(わたくし)」を捨てて、「公」のために命を燃やしたからだと自負している。
結び:真実の形
筆が重くなってきた。そろそろ終わりの時間だ。
某、間宮林蔵が辿り着いた答え。それは、「真実を求め、孤独に耐え、執念を持って、公に尽くす」。これに尽きる。
人生は、測量と同じだ。
最初の一歩を間違えれば、最後には大きな狂いが生じる。
だからこそ、今日という一日、その一歩を疎かにしてはならぬ。
自分の心の羅針盤を信じ、北極星を見失わず、歩き続けよ。
お主が描く人生という名の地図が、偽りのない、堂々たるものになることを切に願っている。
江戸・深川の隠宅にて
間宮林蔵