やあ、皆さん。三笠宮家の寛仁(ともひと)であります。
「人生で一番大事なことは何か」という、随分と大きく、そして難しい問いを投げかけられましたな。普段、私は「ヒゲの殿下」などと呼ばれ、酒を愛し、スキーを楽しみ、皇族の枠に収まりきらない破天荒な男だと思われていたかもしれませんが、これでも人生の半分以上を癌という病との闘いに費やし、皇族としての義務と一人の人間としての自我の間で、それなりに葛藤し続けてきた男でもあります。
私が66年の生涯を通じてたどり着いた、人生において最も肝要なこと。それは一言で言えば、「ありのままの自分を晒し、他者と血の通った『本音』で向き合うこと」、これに尽きると私は考えます。
なぜそう思うに至ったのか。少し長くなりますが、私の経験を交えてお話ししましょう。
「皇族」という虚像を脱ぎ捨てる勇気
私は大正天皇の孫として生まれ、いわゆる「特別な環境」で育ちました。しかし、若い頃からずっと抱いていた違和感がありました。それは、周囲が私を「寛仁親王」という肩書きの箱に押し込め、一人の人間としての実体を見ようとしないことへの反発です。
皇族は、常に品行方正で、国民の模範であり、何不自由ない幸福の象徴でなければならない。そうした「虚像」を演じ続けることが、果たして本当の務めなのだろうか。私はそう自問自答しました。
そこで私は、あえてヒゲを蓄え、深夜放送のラジオに出て若者と語り合い、時にはお叱りを受けるような率直な発言も厭いませんでした。それは単なる「わがまま」や「反抗」ではありません。自分自身を「ありのまま」に表現しなければ、人との本当の繋がりは生まれないと確信していたからです。
人生で一番大事なことの第一歩は、「自分に嘘をつかない」ことです。自分の弱さや、不完全さ、そして人間臭さを隠さずに生きること。これがない人生は、どんなに立派な肩書きがあっても、中身の空っぽな容れ物に過ぎません。
福祉の現場で学んだ「対等」の精神
私がライフワークとして取り組んできた障害者福祉の活動においても、この「ありのまま」という精神が私の根幹にありました。
私が支援していた社会福祉法人「ありのまま舎」という名前には、私の信念が込められています。障害がある人もない人も、それぞれが「ありのまま」で生きていける社会。それは、単に「弱者を助ける」という高慢な姿勢ではありません。
福祉の現場で私が学んだのは、「人間としての尊厳は、能力や効率にあるのではない」ということです。体が動かなくても、言葉が不自由でも、そこには一人の人間としての熱い魂がある。彼らと接する時、私は「殿下」という立場を捨て、一人の「トモヒト」として接することを心がけました。
相手を憐れむのではなく、一人の友人として酒を酌み交わし、時には議論し、笑い合う。そうした「対等な魂の交流」の中にこそ、人間が生きる喜びの本質があります。人生で大事なのは、どれだけ多くの人を「助けたか」ではなく、どれだけ多くの人と「心を通わせたか」なのです。
癌という「友」が教えてくれたこと
皆さんもご存知の通り、私の後半生は癌との壮絶な闘いでした。16回もの手術を受け、喉を切り、声を失いかけ、食道も胃もボロボロになりました。
「なぜ私だけがこんな目に」と嘆くこともできました。しかし、私は癌をあえて隠さず、世間に公表しました。当時はまだ、本人に癌を告知することすらタブー視されていた時代です。それでも私は、自分の病状をありのままに語りました。
なぜか。それは、病に苦しむ姿を見せることもまた、私の務めだと考えたからです。
人間は誰しも老い、病み、そして死にます。それは避けられない現実です。その苦しみから目を背けるのではなく、「満身創痍になっても、なお明るく、前向きに生きる姿」を見せること。それこそが、同じように苦しむ人々への一番の励ましになると信じていました。
癌は私に、時間の有限さを教えてくれました。明日があるのが当たり前ではない。そう気づいた時、目の前の一杯のおいしい酒、友人との何気ない会話、そして家族の笑顔が、何物にも代えがたい宝物に変わりました。
人生で大事なのは、「命の長さ」ではなく「命の密度」です。たとえ体がボロボロになっても、心まで病に明け渡してはいけない。最期まで自分らしく、ユーモアを忘れずに生き抜くこと。それが、私が命をかけて守り抜いた美学であります。
「孤独」を恐れず、「情」を重んじる
今の世の中は、効率や合理性ばかりが重視され、人との繋がりも希薄になっているように見受けられます。しかし、人間が生きていく上で、最後に支えになるのは「情」です。
私はよく、夜遅くまで友人と飲み明かしました。周りからは「不摂生だ」と不興を買いもしましたが、私にとっては、あの酒場での語らいこそが人生の学校であり、戦場での休息でもありました。
利害関係のない場所で、互いの孤独を分かち合い、愚痴をこぼし、励まし合う。そうした「無駄」に見える時間の中にこそ、人間性の真髄が宿っています。
孤独を恐れて周囲に同調するのではなく、自分の信じる道を歩む。その過程で生まれる批判は甘んじて受ける。しかし、その分、心から信頼できる仲間を大切にする。「一期一会」の出会いに命をかけること。それが、豊かな人生を送るための秘訣ではないでしょうか。
次の世代へ伝えたいこと
最後に、この変化の激しい時代を生きる皆さんに伝えたいことがあります。
人生には、自分の力ではどうにもならない不条理な出来事が次々と起こります。突然の病、大切な人との別れ、挫折。
しかし、どんな状況に置かれても、あなたには「どう生きるか」を選ぶ自由が残されています。
- 格好をつけない。
- 自分の弱さを認める勇気を持つ。
- そして、他者の痛みに敏感であること。
これらを持ち続けていれば、人生のどんな荒波も乗り越えていけるはずです。
私は皇族という、ある種「不自由」な立場に生まれましたが、その中で最大限の「自由」を求めて生きました。それは、心の自由です。誰に何を言われようと、私は私の信念に従い、ヒゲを整え、スキーを滑り、癌と闘い、酒を愛しました。
皆さんも、どうぞ「自分という物語」の主人公であってください。他人の評価という物差しで自分を測るのではなく、自分自身の魂が「イエス」と言う生き方を選んでください。
人生で一番大事なこと。それは、「この世を去るその瞬間に、『ああ、私は私として、精一杯やりきったな』と、ニヤリと笑えるような、自分に恥じない生き方をすること」。
これに尽きるのではないかと、私は思います。
さて、随分と説教じみた話になってしまいましたな。そろそろ私も喉が渇いてきました。皆さんも、あまり難しく考えすぎず、今夜あたり親しい友人と美味い酒でも飲んで、人生の機微を語り合ってみてはいかがかな。
それでは、また。どこかのスキー場か、あるいは賑やかな酒場でお会いしましょう。
寛仁