奄美の風が、今の私の心の中にも静かに吹き抜けています。

改めまして、元ちとせです。

「人生で一番大事なことは何ですか?」という、とても大きくて、けれど避けては通れない問いをいただきました。今の私という人間、そして歌い手としてのこれまでの歩みを振り返りながら、ゆっくりと言葉を紡いでみたいと思います。

3,500字という長いお手紙のような形になりますが、奄美の波音を聴くような気持ちで、お付き合いいただければ幸いです。


根っこを持つということ:自分を支える「島」の記憶

私が人生で一番大事だと思っていること、それは一言で言えば「自分の根っこを忘れないこと」、そして「生かされているという繋がりの感覚」です。

私は鹿児島県の奄美大島、その中でも瀬戸内町という、海と山に囲まれた小さな集落で育ちました。子供の頃の私にとって、世界はそこがすべてでした。朝起きて海の色を見て、風の匂いで季節を感じる。おじい、おばあが歌うシマ唄が、子守唄のように常に生活の中にありました。

シマ唄というのは、単なる民謡ではありません。それは島に生きる人々の喜び、悲しみ、祈り、そして歴史そのものです。かつて過酷な歴史を歩んできた奄美の人たちが、苦しみの中でも「生きていく」ために歌い継いできた魂の叫びであり、慰めでもあります。

私が高校生の時に「奄美民謡大賞」をいただいた時、私はまだその本当の重みを理解していなかったかもしれません。けれど、後に東京へ出て、プロの歌い手として歩み始めた時、私を最後の一歩で支えてくれたのは、いつもあの島の土の匂いと、先祖代々受け継がれてきた「音」でした。

都会の喧騒の中で、自分を見失いそうになる瞬間は誰にでもあります。自分が何者なのか、どこへ向かおうとしているのか分からなくなった時、私を救ってくれたのは「私は奄美の人間である」という強烈なアイデンティティでした。人生において、どんなに高く飛び立とうとしても、足元にしっかりとした根っこ(Roots)がなければ、人は風に流されて折れてしまいます。自分のルーツを愛し、大切にすることは、自分自身を肯定することの第一歩なのだと感じています。


「ワダツミの木」が教えてくれたこと:引き潮と満ち潮

2002年、『ワダツミの木』という曲で、私の人生は劇的に変わりました。それまで一介の美容師見習いだった私が、突然、日本中の人々に知られる存在になったのです。

あの時の経験は、私に「人生の巡り合わせ」の不思議さを教えてくれました。人生には、自分の意志だけではどうにもできない「大きな流れ」があります。まるで海に満ち潮と引き潮があるように。

ヒット曲に恵まれ、華やかなステージに立ち、多くの方に拍手をいただく日々。それは本当にありがたく、夢のような時間でした。けれど同時に、私はどこかで息苦しさも感じていました。自分の歌が自分を追い越していくような、そんな感覚です。

その時、私は気づきました。人生において「成功」や「名声」といったものは、あくまで海面に浮かぶ泡のようなものだということです。大事なのは、その下にある深い海、つまり「自分の真実」です。

どれほど多くの人に称賛されても、自分が自分の歌に嘘をついていたら、それは幸せではありません。逆に、たとえ聴いてくれる人が一人であっても、魂を込めて、自分の真実を歌うことができれば、それは何物にも代えがたい「豊かさ」になります。

私はその後、結婚、出産を経て、活動の拠点を再び奄美へと戻しました。世間からは「もったいない」と言われたこともありましたが、私にとっては、それが自分の真実を守るための、ごく自然な選択でした。人生で大事なのは、世間が決めた「上り坂」を登り続けることではなく、自分にとって心地よい「潮時」を知り、自分の足で自分の居場所を選ぶことなのだと思います。


「結(ゆい)」の心:独りで生きているのではないという安心

奄美には「結(ゆい)」という言葉があります。互いに助け合い、労働を分かち合う精神のことです。一人の力ではどうしても動かせない重い石も、集落のみんなで力を合わせれば動かすことができる。誰かが困っていたら、当たり前のように手を差し伸べる。

人生で一番大事なことの三つ目は、この「他者との繋がり、生命の繋がり」です。

現代社会は、どうしても「個」の力が強調されがちです。自分の力で勝ち取る、自分の足で立つ。もちろんそれも立派なことですが、あまりに「自分一人で生きている」と思い込んでしまうと、心はどんどん孤独で、脆くなってしまいます。

私は歌を歌う時、いつも感じることがあります。この声は、私だけのものではないということです。私の体は、父と母から譲り受けたものであり、その先には何百、何千という先祖の命が繋がっています。私の節回しは、島のおばあたちが命懸けで守ってきた伝統から授かったものです。

そう思うと、どんなに辛い時でも「自分は独りではない」という、深い安心感が湧いてきます。私たちは、連綿と続く大きな命の河の一滴に過ぎません。けれど、その一滴の中には、過去のすべてが詰まっていて、未来へ繋がる力がある。

他者との繋がりを大切にすることは、自分の中に流れる「命のバトン」を意識することでもあります。誰かのために歌い、誰かの悲しみに寄り添うこと。それは結局、自分自身の魂を癒やすことにも繋がるのです。


命の尊さと「日常」という奇跡

私はこれまでに、平和への祈りを込めた歌も歌ってきました。サダコさんの折り鶴をテーマにした曲や、坂本龍一さんとご一緒した『死んだ女の子』という曲。

これらの歌を歌うたびに、強く思うことがあります。それは、「何気ない日常が続くこと」こそが、人生における最大の奇跡であり、一番大事な宝物だということです。

朝、子供を送り出すこと。家族で食卓を囲むこと。夕焼けが綺麗だねと笑い合うこと。これらのことは、当たり前のように思えて、実はとても壊れやすく、かけがえのないものです。戦争や災害、あるいは突然の病。私たちの日常を脅かすものは常に隣り合わせにあります。

だからこそ、今のこの瞬間を慈しむこと。目の前の景色、隣にいる人の温もりを、当たり前だと思わずに感謝すること。それが、人生を豊かにする唯一の方法ではないでしょうか。

島に住んでいると、自然の驚異を間近に感じます。台風が来れば家は揺れ、停電になり、自然の前で人間がいかに無力かを思い知らされます。けれど、台風が去った後の空の美しさ、緑の輝きもまた格別です。壊されては再生し、また命が芽吹く。その循環の中にいる自分を感じる時、私は「生きている」という事実に、ただただ感謝したくなるのです。


結論:あなたがあなたであるために

最後に。人生で一番大事なこと。

それは、「あなたの心が、一番喜ぶ場所を見つけてあげること」かもしれません。

それは場所としての「島」かもしれないし、愛する人との「時間」かもしれない。あるいは、何かに没頭する「情熱」かもしれません。

私は、島でシマ唄を歌い、土をいじり、家族と過ごしながら、時折こうして都会へ出て歌を届ける、このリズムが一番好きです。それが私にとっての「幸せの形」です。

人にはそれぞれの「幸せの形」があります。誰かと比べる必要はありません。流行に乗り遅れることを怖がる必要もありません。

もし、あなたが今、道に迷っているのなら、一度立ち止まって、自分の胸に手を当ててみてください。あなたの根っこはどこにありますか? あなたが心から「美しい」と感じるものは何ですか?

人生は、完璧である必要はありません。泥にまみれても、傷ついてもいい。そのたびに、またシマ唄のように、魂を込めて立ち上がればいいのです。

奄美の言葉で、感謝を込めてこう言います。

「ありがっさまりょーた」(ありがとうございました)。

あなたの人生が、穏やかな波のように、豊かで深いものでありますように。

元ちとせ