私は鈴木翠軒です。
明治、大正、昭和という激動の時代を、ただ一本の筆とともに歩んでまいりました。愛知の渥美の海を眺めて育った少年が、いつしか筆の運びの中に宇宙を見出し、国定教科書の文字を通じて日本中の子供たちと対話することになるとは、人生とは実におもしろく、また不思議な縁に満ちたものです。
「人生で一番大事なことは何か」
そう問われれば、私は静かに墨を磨り、一枚の真っ白な紙に向き合う時のあの心持ちでお答えしましょう。書道という「道」を歩み続けた一介の書家として、私が見出した答え。それは「誠を尽くして、己の真実を刻む」ということです。
約3,500字という限られた言葉の連なりではありますが、私の魂を筆に乗せるつもりで、人生の神髄についてお話しいたします。
一、 「構え」こそがすべてを決定する
書を志す者が最初に学ぶのは、技術ではありません。「執筆(しつひつ)」、つまり筆の持ち方であり、姿勢です。背筋を伸ばし、重心を安定させ、呼吸を整える。この「構え」ができていなければ、どんなに器用に指先を動かしたところで、死んだ文字しか書けません。
人生もこれと同じです。何をするか、何を得るかという「術(じゅつ)」に走る前に、自分はどのような姿勢でこの世界に立っているのか。その「構え」こそが最も重要です。
私が若き日に教職に就き、その後、文部省(現在の文部科学省)で教科書の執筆を任されたとき、私を支えたのは「日本の子供たちが、一生使う文字の土台を作る」という使命感、すなわち人生に対する構えでした。私利私欲や名声のために筆を握れば、その迷いは必ず線に現れます。
人生で一番大事なことの第一は、「自分の心の重心をどこに置くか」を定めることです。正しく立ち、正しく構える。これさえできていれば、向かい風が吹こうとも、筆先が震えることはありません。
二、 臨書(りんしょ)に学ぶ「敬意と謙虚」
書道には「臨書」という修行があります。古の名筆、たとえば王羲之(おうぎし)などの古典を徹底的に模写することです。なぜ、自分の個性を出したい芸術の世界で、他人の真似を延々と続けるのか。それは、先人たちが数千年の歳月をかけて磨き上げた「真理」を、体の中に叩き込むためです。
人生においても、全くの独りよがりで成功を収めることは不可能です。私たちは、先人が築いた文明、親から受け継いだ命、そして多くの師から得た知恵の上に立っています。
私は生涯をかけて、古典を研究し続けました。しかし、それは単なる模倣ではありません。先人の呼吸を感じ、その時代の空気を感じ、なぜその一本の線がそこに引かれたのかを問い続ける対話です。
現代の皆さんは、個性を重んじるあまり、土台となる「型」を軽視してはいないでしょうか。「守・破・離」という言葉がありますが、まずは徹底して「守る」こと。敬意を持って歴史や先達に学び、謙虚に自分を磨くこと。この「学ぶ姿勢(謙虚さ)」こそが、人生を豊かにする絶対の条件です。基礎のないところに、本物の個性は宿りません。
三、 「勢い」と「断捨離」― 今この瞬間に命を懸ける
私は、人から「翠軒の書は速い」と言われることが多くありました。迷いなく、一気に書き上げる。そのスピード感こそが翠軒流の特徴だと言われることもあります。
しかし、速く書くこと自体が目的ではありません。大事なのは「筆勢(ひっせい)」、つまり命の勢いです。墨をたっぷり含んだ筆が紙に触れた瞬間、そこにはもう後戻りできない一期一会のドラマが始まります。書き直すことはできません。一画一画に、全人格を投入して決断を下していくのです。
人生の時間は、一振りの筆の運びと同じです。過去を悔やんで筆を止めたり、未来を案じて筆を震わせたりしていては、線が濁ります。
一番大事なのは、「今、この瞬間に、迷いなく命を乗せること」です。これを私は「断(だん)」と呼びたい。余計な執着を捨て、ただ目の前の一画に集中する。昨日までの失敗も、明日への不安も、すべてを断ち切って、現在という「点」を打ち抜くのです。その点の連続が、結果として美しい一本の線になります。
四、 教育書道に見る「利他」の精神
私は芸術家としての活動と並行して、「教育書道」に心血を注ぎました。一部の特権階級や芸術家だけが喜ぶ難解な書ではなく、誰が見ても美しく、そして誰でも学べる「標準」を作ることに一生を捧げたのです。
昭和初期、私が書いた国定教科書の手本は、日本中の教室で開かれました。私の文字を見て、小さな手で一生懸命に筆を動かす子供たちの姿を想像することが、私にとって最大の喜びでした。
ここで気づいたことがあります。自分のために書く書は、時に「傲慢(ごうまん)」に陥ります。しかし、誰かのために、次世代のためにと願って書く書には、不思議な「温もり」と「強さ」が宿ります。
人生において、自分の成功や幸福だけを追い求めているうちは、本当の満足は得られません。「自分の持てる力を、いかにして他者や社会の役に立てるか」。この利他の精神こそが、人生に究極の意味を与えてくれます。私が作った教科書の文字が、何十年経っても誰かの記憶の片隅に残っているとしたら、それこそが私の人生の報酬なのです。
五、 翠軒流の「かな」― 柔らかさと強さの調和
私は漢字だけでなく、日本独自の「かな」の研究にも力を入れました。漢字が大陸から伝わった男性的で剛健なものだとしたら、かなは日本人の繊細な感性が生んだ女性的で柔らかなものです。
翠軒流のかなは、鋭い筆致の中に、水が流れるような優雅さを同居させることを目指しました。人生もまた、この「調和」が大事です。
頑固なだけでは折れてしまいます。柔らかいだけでは流されてしまいます。「芯には一本の揺るぎない正義(強さ)を持ちながら、表面はどこまでも穏やかで慈愛に満ちた(柔らかさ)人間であること」。
この「剛柔(ごうじゅう)の調和」が取れたとき、人の生き方は一つの芸術へと昇華します。他人の意見に耳を傾ける柔軟さを持ちつつ、自分の信念という筆の軸は決して曲げない。そのバランスこそが、美しい生き方の極意です。
六、 「不完全」を受け入れる勇気
私は九十歳近い長寿を全うしましたが、一度として「完璧な書が書けた」と思ったことはありません。書き終えた瞬間には必ず反省があり、次の一枚への渇望が生まれます。
皆さんに伝えたいのは、「未完成である自分を愛しなさい」ということです。
書道において、墨の「掠れ(かすれ)」や「滲み(しじみ)」は、計算して出せるものではありません。それは、その時の気温、紙の質、筆の状態、そして私の心の揺らぎが一体となって生まれた「偶然の産物」です。しかし、その掠れこそが、人間味のある深い味わいを生むのです。
人生における失敗や挫折、思い通りにいかない不器用さ。それらはすべて、あなたの人生という作品における「味わい深い掠れ」です。完璧を求めて息苦しくなる必要はありません。ただ、その時々の自分に誠実でありさえすれば、不完全なままのあなたで十分なのです。
結びに代えて ― 鈴木翠軒からの遺言
さて、長々とお話ししてまいりましたが、最後に一つだけ、私が最も大切にしていた言葉を贈ります。
「一(いち)に精進、二に誠(まこと)」
才能があるかないか、環境に恵まれているかどうか、そんなことは些細な問題です。
一番大事なのは、自分が選んだ道に対して、どこまで「誠」を尽くせるか。そして、その歩みを止めずに「精進」し続けられるか。それだけです。
人生は、一枚の大きな和紙です。
あなたは今、どのような筆を持ち、どのような墨色で、最初の一画を踏み出そうとしていますか。
他人の書いた手本をなぞるだけの人生で終わってはいけません。古典に学び、礼節を重んじながらも、最後にはあなたにしか書けない、あなただけの命の線を、力強く、そして軽やかに書き記してください。
私が愛知県の田原で海を眺めていた頃の初心を忘れなかったように、あなたもまた、自分の中にある「清らかな志」を一生持ち続けてください。
筆を置く時、その紙の上に「誠」の一文字が、たとえ掠れていようとも光り輝いていること。
それが、私の考える「人生で一番大事なこと」の結末です。
皆さんの人生という作品が、混じりけのない純粋な光を放つことを、心より願っております。