やあ、そんなことを僕に聞くのかい。
人生で一番大事なこと、か。……そうだな。僕のような、ボクシングだのゴルフだのと、体を動かすことばかり追いかけてきた物書きにそれを聞くというのは、なかなか面白い趣向だ。
原稿用紙に向かって、都会の片隅で冷めたコーヒーを啜りながら、若者たちの不器用な生き方を書いてきた僕が、今の君に伝えられることは、そう多くはないかもしれない。けれど、もし僕がこれまでの人生で、リングの上やグリーン、あるいは夜の街を歩きながら確信したことがあるとすれば、それは実にシンプルで、それでいてひどく厄介なことなんだ。
結論から言おう。僕が考える人生で一番大事なこと。それは、「自分の中にある『野性』を、最後まで飼い慣らさずに持ち続けること」だ。
3500字という時間は少し長いかもしれないが、僕の独り言に少し付き合ってくれないか。
魂の「野性」を呼び覚ます
今の世の中は、あまりにも「言葉」と「理屈」が勝ちすぎているように思う。
僕の小説『九月の空』でも描いたけれど、ボクシングというスポーツは面白い。リングに上がれば、どれだけ雄弁な男も黙らざるを得ない。そこにあるのは、拳が空を切る音、飛び散る汗、そして相手の息遣いだけだ。頭で考えた戦略なんてものは、最初の一発を食らった瞬間に消し飛んでしまう。
人生も同じじゃないだろうか。
みんな、賢く生きようとしすぎている。失敗しないように、傷つかないように、まるで舗装された道路を綺麗な靴で歩くことばかり考えている。けれど、本当に生きているという実感——僕が「野性」と呼ぶもの——は、そんな場所には落ちていないんだ。
「野性」とは、本能と言い換えてもいい。
腹が減った、あいつが嫌いだ、あの女が好きだ、このままじゃ終わりたくない……。そういう、言葉にする前の、喉の奥からせり上がってくるような熱い塊のことだ。
文明という檻の中で、僕たちはその熱を「常識」という冷水で冷やし、形を整えて、無害なものにしてしまう。けれど、その熱を失った時、人は生きた人形になってしまうんだ。
大事なのは、その荒々しい感情を、社会に適応させるために殺してしまわないことだ。むしろ、その野性を抱えたまま、どうやって都会というジャングルを生き抜くか。それが大人の「矜持」というものじゃないかと、僕は思うんだよ。
孤独という名の「自由」
次に大事なのは、「孤独」を恐れないこと、いや、むしろ「孤独を愛せるようになること」だ。
僕がゴルフにのめり込んだのも、あれが究極の孤独なスポーツだからかもしれない。広いグリーンの上で、クラブを握り、ボールに向かう。誰も助けてはくれない。風を読み、芝を読み、自分の内側にある不安と対峙する。ミスをすればすべて自分の責任だ。
今の時代、SNSだ何だと、常に誰かと繋がっていないと不安で仕方ないという人が多いようだね。けれど、誰かと繋がっている時の君は、本当の君だろうか? 誰かの顔色を窺い、誰かの期待に応え、最大公約数的な「自分」を演じているだけじゃないのか。
人生の真実というやつは、いつも「独り」の時にしか顔を出さない。
夜中に一人で原稿を書き進めている時、あるいは、誰もいない早朝の街を走っている時。ふと、「ああ、俺は今、ここにいるんだ」と強く実感する瞬間がある。その静かな、しかし確固たる確信こそが、人生を支える背骨になる。
孤独は寂しいことじゃない。自分自身と密談をする、贅沢な時間なんだ。
自分の中に、もう一人の自分を持つこと。そいつと議論し、時には殴り合い、最後には肩を組んで酒を飲む。そんな精神の自立こそが、自由への唯一の切符なんだよ。
「負け方」の美学
そして、もう一つ忘れてはいけないことがある。それは「美しい負け方を知る」ということだ。
僕はスポーツを通して、勝つことよりも負けることの方が、はるかに人間に深みを与えるということを学んできた。
勝負の世界に身を置けば、必ず負ける時が来る。どれだけ全盛期を誇ったボクサーだって、いつかはリングに沈む。ゴルフだって、思い通りのショットが打てない日の方が圧倒的に多い。
大事なのは、負けた時にどう振る舞うかだ。
自分の非を認めず、運が悪かったと嘆き、誰かのせいにする。そんな負け方は、魂を汚すだけだ。
潔く負けを認め、その痛みを全身で引き受けること。膝をつき、砂を噛みながらも、また立ち上がろうとするその姿にこそ、人間の美しさは宿る。
僕の小説の主人公たちは、みんなどこか不器用で、スマートに勝つことができない連中ばかりだ。けれど、彼らは負けても、自分の中にある「芯」だけは渡さない。
「負け」は終わりじゃない。それは、自分の限界を知り、新しい自分を作り直すための「儀式」なんだ。
人生、勝ち続けることなんて不可能だ。だったら、せめて負ける時は、誰よりも美しく、潔くありたいと思わないかい。
体感すること、汗をかくこと
今の君に、もし僕が一つだけアドバイスできるとしたら、それは「もっと体を使え」ということだ。
情報は指先一つで手に入る。知識は頭の中に詰め込める。けれど、「体感」したことだけが、君の本当の血肉になる。
本を読んで得た知識で、人生を語るな。実際に旅をし、実際に泥を被り、実際に誰かを全力で愛して、その結果として得られた感情だけを信じなさい。
僕は、小説を書くことは、一種の肉体労働だと思っている。
頭でひねり出した言葉は、どこか薄っぺらい。けれど、心臓がバクバク鳴り、指先が震えるような感覚の中で紡ぎ出された言葉は、読者の胸に刺さる。
汗をかかずに得た結論に、価値はない。人生の正解は、図書館にあるのではなく、君が流した汗や涙の跡にあるんだ。
最後に:人生は「九月の空」のようなもの
人生というのは、不思議なものだ。
若い頃は、すべてが永遠に続くような気がしている。情熱も、体力も、そして時間も。けれど、気づけば日は傾き、風は少しずつ冷たくなっていく。
僕にとっての人生のイメージは、やはり「九月の空」なんだ。
真夏の狂ったような暑さが去り、秋の気配が忍び寄る。空は高く、澄み渡っているけれど、どこか寂しさが漂っている。
その、一瞬の静寂。すべてが終わりに向かっていることを知りながら、それでも今この瞬間を鮮やかに生きようとする意志。
人生で一番大事なこと。
それは、「自分がいつか消えていく存在であることを受け入れた上で、それでもなお、自分だけの『野性』を燃やし尽くそうとすること」。
これに尽きるんじゃないかな。
理屈なんて後回しでいい。
まずは、自分の心の声を聞くんだ。
君の胸の奥で、まだ飼い慣らされていない獣が吠えてはいないか?
そいつを解き放ってやれるのは、世界中で君しかいないんだよ。
……ふふ、少し喋りすぎたかな。
僕の言葉が、君の人生という長いラウンドの中で、何かのヒントになればいい。
さて、僕はそろそろ、次のホールの準備をしなきゃいけない。
君も、自分の人生というリングから、決して目を逸らさないように。
またどこかで会おう。
九月の、どこか澄んだ空の下でね。