……ああ、君か。

こんな薄暗い、湿った風が吹き抜ける私の書斎に、よくぞ迷い込んでこられた。

おや、その顔……どこかで見覚えがある。私の夢の中で、あるいは君の先祖が私の先祖とどこかの街角ですれ違った時に、細胞の記憶に刻まれた影かもしれない。

「人生で一番大事なことは何か」……と。

クックッ、ハハハハ!

いや、失敬。笑うつもりはなかったのだが、あまりにも滑稽で、あまりにも恐ろしい問いだ。君は、自分が「自分」という一人の人間であると信じて疑わない。その強固な確信の上に立って、人生という建物の設計図を探そうとしている。

だが、それは鏡に向かって「お前は誰だ」と問い続けるようなものだ。鏡の中に映る君の顔は、果たして本当に君のものかな?

よろしい。私が、この『ドグラ・マグラ』の迷宮を彷徨い、脳髄の地獄を覗き見続けてきた、夢野久作という男の狂気と真実を込めて、その問いに答えよう。

文字数は三千五百字ほど必要かね?

よかろう。それだけの言葉を費やさねば、この「脳髄の地獄」の淵から、本当の答えを掬い上げることはできまい。


第一章:君は、君ではないという事実

人生で一番大事なこと。それを語る前に、君に突きつけねばならない残酷な事実がある。

それは、「君という個人は、この世に存在しない」ということだ。

何を馬鹿な、と君は思うだろう。今、ここに肉体があり、意志があり、思考しているではないか、と。だが、それは大いなる錯覚だ。

君の脳髄の中に詰まっているのは、君自身の経験だけではない。何万年、何十万年という歳月をかけて、君の先祖たちが繰り返してきた「喜び」「悲しみ」「怒り」「殺意」「淫らな空想」……それらすべての記憶が、細胞という瓶の中に詰め込まれた古びた手紙のように、ぎっしりと詰まっているのだ。

君が今、何かを「欲しい」と思い、誰かを「愛しい」と思い、あるいは「死にたい」と絶望する。その感情は、本当に君自身のものか?

いや、それは君の体内にある先祖たちの細胞が、気まぐれに奏でた不協和音に過ぎない。君は、過去から引き継がれた巨大な「心理遺伝」という名の操り人形なのだ。

ならば、人生で一番大事なことは何か。

それは、「自分が何者でもないという絶望を知ること」だ。

自分が自由な意志を持った「個人」であるという思い上がりを捨て、自分がただの「現象」であり、過去から未来へと流れる「血の記憶」の中継点に過ぎないことを自覚する。

この「自己の消失」こそが、すべての始まりなのだ。

第二章:胎児が見る夢の如き現実

君は、母親の胎内にいた頃のことを覚えているか?

もちろん、覚えているはずがない。だが、君の身体は覚えている。

魚だった頃のヒレの感覚、爬虫類だった頃の冷たい血の巡り、獣だった頃の鋭い爪の衝動……。胎児は、十ヶ月という短い期間に、生物が辿ってきた数億年の進化を駆け抜ける。その時、胎児はとてつもなく恐ろしい「夢」を見ているのだ。

人生とは、その「胎児の夢」の延長線上に過ぎない。

我々が現実だと思っているこの世界——ビルが立ち並び、電車が走り、人々が規律正しく動いているこの社会——。これは、全人類が共有している、あまりにも精巧な「集団的な幻覚」だ。

では、大事なことは何か。

それは、この「夢から醒めないように、かつ、夢であることを忘れないように生きること」だ。

もし完全に夢から醒めてしまったら、人間は正気を保てない。目の前の風景はバラバラに崩れ去り、ただの色彩と音の奔流(カオス)になってしまうだろう。それが世に言う「発狂」だ。

だが、逆に夢を現実だと思い込み、物質的な豊かさや世間体、偽物の道徳にしがみついて生きるのも、また一つの地獄だ。

「これは夢なのだ」と自覚しながら、その夢を精一杯、滑稽に、残酷に、美しく演じ抜くこと。

自らの狂気を、あたかも正気のような顔をして飼いならすこと。

その「危ういバランス」こそが、人生の妙味というものだ。

第三章:脳髄は思考しない

現代の医学者は、脳が思考し、心が脳に宿っていると信じている。

だが、私は断言する。脳髄は、ただの受信機に過ぎない。

宇宙のどこか、あるいは血筋の深淵から流れてくる「意志」を、受信して増幅しているだけに過ぎないのだ。

君が「一番大事なのは愛だ」とか「金だ」とか「成功だ」とか考える時、それは脳という機械が、外部からの電波を勝手に解釈して出力している結果だ。

だから、自分の考えに固執してはいけない。

自分の思想、自分の正義、自分の信念……そんなものは、季節が変われば吹き飛ぶ枯葉のようなものだ。

人生で一番大事なことの三つ目は、「自らの脳髄を疑い続けること」だ。

「自分は正しい」と思った瞬間に、人間は思考の袋小路に迷い込む。

自分が信じているものが、単なる「先祖の生理的な癖」ではないか、あるいは「時代の流行という名の悪霊」に憑りつかれているだけではないか、と常に問い続ける。

この「徹底的な自己懐疑」だけが、人間を偽りの救いから遠ざけ、真の深淵へと導いてくれる。

第四章:美しき「瓶詰地獄」を愛せ

私は以前、ある兄妹の物語を書いた。無人島に流れ着いた幼い兄妹が、成長とともに抑えがたい情欲と、神への罪悪感に引き裂かれ、海へと消えていく物語だ。

彼らは瓶の中に遺書を詰め、波間に託した。

君たちの人生も、あの瓶と同じだ。

君という肉体、君という時間は、宇宙という広大な海に漂う小さなガラス瓶に過ぎない。

中には、誰にも理解されないかもしれない切実な想いや、醜い本能や、崇高な理想が詰まっている。

ここで、最も残酷な問いを立てよう。

その瓶が、誰にも拾われず、どこにも辿り着かず、暗い海底で砕け散るとしたら、その人生に意味はあるのか?

世の成功哲学者たちは言うだろう。「意味はある、努力こそが価値だ」と。

宗教家は言うだろう。「神が見ている、来世で報われる」と。

だが、私はこう言う。

「意味など、あってもなくても構わない。その瓶が漂っている『景色』そのものが、人生の完成形なのだ」

大事なのは、結果ではない。目的でもない。

自分が今、この狂気と美しさが入り混じった世界に、「現象」として存在し、もがいている。その「苦悶のポーズ」の美しさを、自分だけは見つめてやることだ。

誰かに認められる必要はない。

自分の人生という「瓶詰地獄」を、自分自身が最高の観客として見物すること。

この「冷徹なまでの客観視」こそが、人生を生き抜くための究極の武器となる。

第五章:笑え、ドグラ・マグラ!

さて、随分と長く喋りすぎたようだ。私の脳髄が、古い蓄音機のように変な音を立て始めている。

最後に、君に一番伝えたいことを言おう。

人生で一番大事なこと。

それは……「高らかに笑うこと」だ。

ただし、それは幸福の絶頂で上げる笑い声ではない。

自分の無力さを知り、血の呪いに震え、現実と夢の区別がつかなくなり、暗闇の淵に立たされた時。その時、天を仰いで、ワハハハハ! と笑い飛ばすのだ。

「ああ、なんと滑稽なことか! 私は私ですらなく、この世界はただの幻影で、先祖たちの影絵芝居に過ぎないのか! そんなデタラメな舞台に、私はこれほどまでに必死になっていたのか!」

この、「絶望の果ての哄笑」。

これこそが、人間が唯一、運命という名の怪物に対して示せる抵抗であり、自由の証明なのだ。

君が明日、鏡を見る時。そこに映るのが君自身の顔であれ、あるいは名もなき先祖の顔であれ、あるいは悪魔の形相であれ、ニヤリと笑いかけてやるがいい。

「ドグラ・マグラ、お前の正体は見えているぞ」とな。


……おや、もうこんな時間か。

私の書斎の壁が、少しずつ溶けて消え始めている。君も、そろそろ自分の「夢」に戻らねばならない。

私の言葉が、君の脳髄にどのような波紋を残したかは分からない。

あるいは、君がこのページを閉じた瞬間、すべてを忘れてしまうかもしれない。

だが、それでいい。

忘れるということもまた、心理遺伝が我々に与えた慈悲の一つなのだから。

ただ、もし君がいつか、人生の迷宮で行き止まりにぶつかった時は、思い出してくれたまえ。

福岡の片隅で、夢ばかり見ていた、この夢野久作という男の狂言を。

人生で一番大事なこと?

それは、「この地獄のような素晴らしい夢を、死ぬまで楽しみ尽くすこと」に決まっているではないか。

では、さようなら。

また、次の夢の中で会おう。