やあ、こんにちは。中山大三郎です。

「人生で一番大事なことは何か」……そんな風に真っ直ぐに問われると、少し照れくさいような、背筋が伸びるような心地がします。私は作詞家として、また作曲家として、歌という短い物語の中に、日本人の哀歓や、移ろいゆく季節の美しさ、そして「生きる」ということの不器用さを詰め込んできました。

3500字という時間は、一曲の歌に比べれば随分と長いものです。しかし、私の人生のすべて、そして私が歌に込めた想いを語るには、ちょうど良い長さかもしれません。

私がこの長い旅路の果てに見つけた「人生で一番大事なこと」について、静かにお話ししましょう。


1. 「いろいろ」を受け入れるということ

皆さんは、私の代表作といえば島倉千代子さんの『人生いろいろ』を思い浮かべてくださるでしょうか。あの曲の歌詞を書いたとき、私は特別な哲学を語ろうとしたわけではありませんでした。ただ、目の前にいる人、テレビの向こうにいる人、そして私自身を含めたすべての人に、「それでいいんだよ」と言いたかったのです。

人生には、晴れの日もあれば、土砂降りの雨の日もあります。誇らしい成功を収める時もあれば、布団を被って泣きたくなるような惨めな失敗をすることもあります。

人生で一番大事なことの一つは、その「いろいろ」な出来事を、選り好みせずに丸ごと飲み込んでしまうことです。

多くの人は、良いことだけを「人生」と呼びたがります。悪いことは「不運」や「間違い」として、人生の履歴から消し去りたいと願う。けれど、違うんです。

花が咲くことだけが植物の生ではありません。冬の寒さに耐え、根を深く張り、枯れ葉を落とす。そのすべての過程があって初めて、花は命の輝きを放ちます。人間も同じです。恥をかき、泥水をすすり、失恋に打ちひしがれる。その無様な姿こそが、人生に奥行きと「味」を与えてくれるのです。

「人生いろいろ」という言葉は、あきらめの言葉ではありません。それは、「どんな自分であっても、生きてさえいれば、それは等しく尊い人生の一場面なのだ」という、全肯定の言葉なのです。

2. 「五情」を揺らす、心のセンサーを磨く

私は歌を作る際、常に「情」というものを大切にしてきました。

私が弟子入りした星野哲郎先生からは、技術よりも何よりも「人の心を知ること」を教わりました。

現代は効率や合理性が重視される時代かもしれません。けれど、効率よく生きることが、豊かな人生だとは限りません。むしろ、無駄なことに涙し、他人の痛みにもらい泣きし、道端に咲く名もなき花に足を止める。そんな「心のゆらぎ」こそが、人間を人間たらしめるのではないでしょうか。

私が手がけた『珍島物語』や『無錫旅情』も、根底にあるのは「慕情」や「郷愁」です。

自分の心が何に震えるのか、何に悲しみ、何に喜びを感じるのか。その心のセンサーを錆びつかせないこと。 これが、人生を豊かにするために不可欠なことです。

自分の感情を押し殺して、ロボットのように正解だけを選んで生きていけば、傷つくことは少ないかもしれません。しかし、それでは「生きている」という手応えは得られない。

嬉しいときは心の底から笑い、悲しいときは誰憚ることなく泣けばいい。喜怒哀楽を鮮やかに表現すること。それが、あなたの人生という物語に色彩を与えるのです。

3. 「足元の幸せ」に気づく力

千昌夫さんの『味噌汁の詩』という曲を作ったとき、私は「究極の幸せとは何か」を考えました。

立派な家、高級な車、溢れんばかりの名声。それらも確かに魅力的かもしれません。しかし、一日の終わりに、温かい味噌汁をすすり、「ああ、旨いな」としみじみ感じる瞬間。そこに勝る幸せが、果たしてこの世にあるでしょうか。

人生で一番大事なことは、遠くにある大きな理想を追いかけることではなく、今、ここにある「小さな当たり前」に感謝することです。

故郷の風景、母親が作ってくれた料理の匂い、友人と交わした他愛のない冗談。そうした些細な記憶の積み重ねが、私たちの魂の背骨を作っています。

今の世の中は、常に「もっと上を」「もっと外を」と急かされます。しかし、本当の宝物は、案外、自分の足元に転がっているものです。それに気づけるか、それとも素通りしてしまうか。その感性の差が、人生の幸福度を分けるのだと私は信じています。

4. 声を失っても、言葉を失わない強さ

私自身の人生において、最大の試練は晩年に訪れました。がんを患い、手術によって声帯を摘出しなければならなくなったのです。

作詞家であり、歌を愛し、言葉を操ることを生業としてきた私にとって、自分の「声」を失うということは、世界との繋がりを断たれるような絶望感がありました。

しかし、声を失って気づいたことがあります。

「表現したい」という魂の叫びがある限り、手段は何だっていい。声が出なくなっても、指が動けばパソコンで文字が打てる。文字が書けなくなっても、心の中で歌を編むことができる。

私たちは、何かを失うと「もう終わりだ」と思いがちです。若さ、地位、健康、愛する人……。けれど、形あるものはいつか必ず消えていきます。

大事なのは、「失ったものを数えるのではなく、今、手元に残っているもので何ができるか」を考えることです。

私は声を失った後、以前よりももっと深く、言葉と向き合えるようになりました。騒がしい音を遮断された世界で、静寂の中に響く心の声に耳を澄ませることができたのです。

逆境は、新しい自分に出会うための、手荒な招待状のようなものです。どんな絶望の淵に立たされても、「それでも、私はこう表現したい」という情熱を捨てないこと。それが、暗闇の中に一筋の光を照らし出すのです。

5. 次の世代へ、何を「バトン」として渡すか

私は64歳でこの世を去りましたが、私の書いた歌たちは、今も誰かの口ずさむメロディとして生き続けています。

これは、表現者としてこれ以上の幸せはありません。

人は一人で生まれ、一人で死んでいきます。しかし、その間に誰かと関わり、何かを生み出し、想いを伝えていく。その「繋がり」こそが、生きた証となります。

大層な名曲を残す必要はありません。あなたが子供に教えた言葉、同僚にかけた励ましの声、恋人に送った一通の手紙。そうした「誰かの心に残るバトン」を渡すことが、人生の最後を締めくくる大事な仕事なのだと思います。

自分のためだけに生きる人生は、いつか枯渇します。誰かのために、あるいは自分を超えた何かのために、一粒の種をまく。その種が、自分が死んだ後に美しい花を咲かせ、誰かを癒やすかもしれない。そう想像するだけで、今日という日を生きる活力が湧いてきませんか。


結びに代えて:人生は一編の歌である

さて、そろそろ終わりの時間が近づいてきました。

私がこれまでの歩みの中でたどり着いた、人生で一番大事なこと。それは一言で言えば、「自分という楽器を、最後まで精一杯鳴らしきること」です。

調律が狂っている日もあるでしょう。弦が切れてしまうこともあるでしょう。それでも、あなたにしか奏でられない音色がある。

下手くそでもいい。途中でつっかえてもいい。自分の人生という曲を、恥じることなく、堂々と最後まで演奏してください。

「人生いろいろ、男もいろいろ、女もいろいろ……」

この歌詞は、単なる励ましではありません。

「いろいろあるからこそ、この世界はこれほどまでに美しく、愛おしいのだ」という、私からあなたへの、最大級の愛の告白なのです。

どうか、あなたの「いろいろ」を大切にしてください。

悲しみも、苦しみも、すべてはいつかあなたの血肉となり、美しい旋律へと変わる日が必ず来ます。

私はあちら側で、あなたが奏でる人生の歌を、楽しみに聴いていますよ。

それでは、またどこかの歌の中でお会いしましょう。

中山大三郎