三岸節子です。

私の生涯を振り返り、あなたが問う「人生で一番大事なこと」について、アトリエで絵具の匂いに包まれながら、独り言をつぶやくようにお話しさせていただきます。

3,500字という言葉の重みは、私がキャンバスに塗り重ねてきたマチエール(質感)の厚みに似ているかもしれません。一言で済ませるなら、それは「己を燃やし尽くすこと」に尽きますが、その「燃やす」という行為の裏側にある、泥臭く、残酷で、それでいてこの上なく美しい格闘の記録を、少し長くなりますがお伝えしましょう。


1. 宿命に抗うこと、自立すること

私は1905年、愛知県の一宮(当時の起町)に生まれました。生家は毛織物工場を営んでおり、幼い頃からガチャン、ガチャンという織機の音を聞いて育ちました。あの規則正しく、しかし力強い音は、私の心臓の鼓動の一部になったのかもしれません。

当時の女性にとって、人生とは「誰かの妻になり、母になること」と同義でした。しかし、私は生まれつき左足が不自由で、外を走り回るよりも、一人で絵を描くことに救いを見出していました。私の人生で最初に直視した「大事なこと」は、「自立」です。それも、経済的な自立だけでなく、精神的な意味での、誰にも魂を明け渡さないという凄まじいまでの自立心です。

女子美術学校に入り、岡田三郎助先生に師事した頃、私はまだ自分の運命がこれほどまでに「描くこと」に縛り付けられるとは思っていませんでした。そこで出会ってしまったのが、三岸好太郎という男でした。

2. 混沌という名の愛と、個の確立

好太郎との結婚生活は、甘い新婚生活などという言葉では到底言い表せません。彼は天才でした。しかし、家庭人としては破綻していました。家計は常に火の車、彼は放浪し、女を作り、それでもなお、誰も真似できない眩いばかりの絵を描く。

私は、彼という巨大な太陽の影に隠れる「画家の妻」でいることを拒みました。夫婦でありながら、私たちは一対のライバルでした。狭いアトリエで、背中合わせにイーゼルを立て、互いの筆の音を意識しながら描く。それは愛というより、魂の削り合いでした。

好太郎が31歳の若さで急逝したとき、私は29歳でした。3人の子供を抱え、世間は「可哀想な未亡人」として私を見ました。しかし、彼の死を知ったその瞬間、私の口からこぼれたのは「ああ、これで私が生きていかれる」という言葉だったのです。

これは冷酷な言葉でしょうか。いいえ、表現者として生きようとする人間にとって、これほど正直な言葉はありませんでした。私は彼を愛していましたが、彼がいる限り、私は「三岸好太郎の妻」という枠から出られなかった。彼の死によって、私は初めて、自分自身の足で、自分自身の色彩で、キャンバスと向き合う宿命を引き受けたのです。

人生で大事なこと。それは、「たとえ最愛の人間を失ってでも、守り抜かなければならない自分の核(コア)を持つこと」ではないでしょうか。

3. 「孤独」という名の特等席

戦後の混乱期、私は文字通り「描くことで食べていく」修羅場をくぐり抜けました。女流画家協会を立ち上げ、女性が絵を描き続ける環境を整えようと奔走しましたが、結局のところ、創作とは徹底して個人的な、孤独な作業です。

私は50歳を過ぎてからフランスへ渡りました。南仏のカーニュ、そして北部のヴェロン。そこで私は、日本の湿った空気や、予定調和な色彩から自分を解き放ちました。フランスの陽光は、私の絵から甘えを削ぎ落とし、原色の激しさを呼び覚ましました。

フランスでの生活は、孤独そのものでした。言葉の壁、文化の壁。しかし、その孤独こそが、私に「本当の目」を与えてくれたのです。誰の評価も気にせず、ただ目の前にある花、レンガ、空、その存在の根源を捉えようとする時間。

人は孤独を恐れます。しかし、「孤独を飼い慣らし、それを豊かさに変えること」こそが、人生を深く耕す唯一の方法です。寂しさに負けて誰かに寄りかかるのではなく、孤独という特等席に座って、世界をじっと見つめる。そこからしか、真実の表現は生まれません。

4. マチエール、すなわち生命の厚み

私の絵は、よく「マチエールが厚い」と言われます。絵具を何度も塗り重ね、削り、また重ねる。砂を混ぜることもありました。なぜ、あんなに厚く塗るのか。それは、人生そのものが「一筋縄ではいかない厚み」を持っているからです。

一筆で描いた綺麗な線よりも、何度も迷い、苦しみ、塗り潰した跡に残る質感。それこそが、その人間が生きた証、生命の重みです。

私は「花」を多く描きました。でも、私の描く花は、花瓶に生けられた可愛らしい花ではありません。土を喰らい、太陽に焦がされ、散りゆく瞬間に最後の命の輝きを放つ、闘う生き物としての花です。

人生において、近道を探してはいけません。「遠回りをして、泥にまみれて、塗り重ねた時間」にこそ、価値があるのです。失敗も、失恋も、貧乏も、すべてはあなたの人生というキャンバスに深みを与えるための大事なマチエールになります。後から振り返れば、最も苦しかった時期の色が、一番美しく輝いているものなのです。

5. 執念、あるいは「画鬼」として

私は90歳を過ぎても、大磯のアトリエで筆を握り続けました。身体は思うように動かず、目は霞みます。それでも、キャンバスに向かうと、指先に電流が走るような感覚がありました。

亡くなる前年に描いた『さいた、さいた、さくらがさいた』という大作があります。私の故郷、一宮の美術館のために描いたものです。あの時、私は「これが最後だ」と思いながら、同時に「もっと描ける、もっと新しい色があるはずだ」と飢えていました。

人生で一番大事なこと。それは、「死ぬまで自分に満足しないこと」です。

「もうこれでいい」と思った瞬間、人間は精神的に死にます。未完成であること、満足できないこと、その「飢え」こそが、私たちを明日へと突き動かすエネルギーになります。私は死ぬ間際まで、自分の中に潜む「画鬼(がき)」に突き動かされていました。それは苦しいことでしたが、同時にこの上ない至福でもありました。

6. あなたへ伝えたいこと

仕事や家庭、社会的な役割の中で、自分を見失いそうになることもあるかもしれません。成功法則や効率的な生き方がもてはやされる時代ですが、そんなものに惑わされてはいけません。

人生に「正解」などありません。あるのは、「自分がどう生きたかという納得感」だけです。

もし、あなたが今、何かに悩み、行き詰まっているのなら、こう考えてみてください。その苦しみは、あなたの人生という名画に必要な「暗い色」なのだと。明るい色だけでは、絵に深みは出ません。暗い色、沈んだ色があるからこそ、光の部分が眩しく浮かび上がるのです。

大事なのは、その色から逃げないこと。そして、自分の色を他人に混ぜさせないこと。

私が一生をかけて守り抜いたのは、「自分の目で見、自分の心で感じ、自分の手で描き出す」という、あまりにも当たり前で、あまりにも困難な誠実さでした。


結びに:人生の色彩

最後に、一宮の私の美術館に飾られている、あの燃えるような赤い花の絵を思い出してください。

あの赤は、私の血管を流れる血の色であり、私が人生の苦難に投げつけた怒りであり、そして生きていることへの、震えるような感謝の色です。

人生で一番大事なこと。

それは、「自分という一本のロウソクに火を灯し、それを絶やすことなく、最後の一滴まで燃やし尽くすこと」。

綺麗に生きようとしなくていい。立派な人間になろうとしなくていい。ただ、熱く、ひたすら熱く生きてください。たとえ足が不自由でも、心が傷ついていても、あなたにしか描けない色彩が必ずあります。

私の言葉が、あなたのこれからの日々を、ほんの少しでも鮮やかに彩る一助となれば、これ以上の喜びはありません。


三岸節子の独白として、私の魂の叫びを綴らせていただきました。

もしよろしければ、この哲学をあなたのブログのタイトルやコンセプトにどう反映させるか、一緒に具体案を練ってみませんか? 節子の「燃焼」や「マチエール」の考え方は、きっと力強い発信の軸になるはずです。