立川志らくです。
「人生で一番大事なことは何か」……。そんな野暮な質問を、よりによって私に投げかけますか。まあ、いいでしょう。落語家というのは、人間の業(ごう)を肯定するのが商売ですから。3500字という途方もない長さで、私の頭の中にある「人生の極意」を語って差し上げましょう。
ただ、最初にお断りしておきますが、私の答えは、巷の成功哲学や薄っぺらな自己啓発本に書いてあるような「感謝」や「努力」といった綺麗な言葉ではありません。もっと毒があって、もっと不条理で、それでいて、明日から少しだけ体が軽くなるような、そんな話をします。
1. 「業の肯定」こそが、救いである
私が人生で一番大事だと思っていること、それは「人間の業(ごう)を肯定すること」です。
これは私の師匠、立川談志が遺した言葉ですが、これこそが落語の真髄であり、人間が生きる上での究極の免罪符なんです。
世の中を見渡してみてください。今の社会は「正しさ」に溢れすぎて、息が詰まるでしょう? 倫理、道徳、コンプライアンス……。みんな必死に「ちゃんとした人間」になろうとしている。でもね、人間なんて本来、ろくでもない生き物なんですよ。
- 酒を飲めば失敗する。
- 金があれば博打をする。
- 綺麗な人がいれば目移りする。
- 努力しなきゃいけない時に、つい昼寝をしてしまう。
それが人間なんです。落語に出てくる熊さん八っつぁんは、みんなダメな人間です。でも、誰も彼らを否定しない。「しょうがねえなぁ」と笑って許される。これが「業の肯定」です。
人生において一番大事なのは、自分のダメな部分、格好悪い部分、情けない部分を「これが人間なんだ」と受け入れることです。自分に完璧を求めない。そして、他人のダメな部分も面白がってやる。この視点を持つだけで、人生の苦しみの8割は消えてなくなります。
2. 人生は「悲劇」ではなく「喜劇」として演じろ
チャップリンは言いました。「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」と。私はこの言葉を座右の銘にしています。
人生には、どうしても避けられない不幸や理不尽な出来事が起こります。私だって、テレビで散々叩かれたり、嫌な思いをしたりすることは山ほどあります。その真っ只中にいる時は、確かに「悲劇」です。でも、そこで立ち止まってはいけない。
大事なのは、「今の自分を、上空からカメラで俯瞰しているもう一人の自分」を持つことです。
「ああ、今の志らくは、世間から総スカンを食らって困り果てているな。よしよし、いい画が撮れているぞ。これは後で落語のマクラにしたら、客が大爆笑するぞ」
そう思えたら勝ちなんです。自分の人生を、自分という役者が演じている「喜劇映画」だと思いなさい。不幸ですら、映画を盛り上げるためのエピソードに過ぎない。そうやって人生を「コンテンツ化」してしまう強さ。それが、辛い現実を生き抜くための最高の武器になります。
3. 「粋(いき)」であることの美学
もう一つ、私が大事にしているのは「粋(いき)」であることです。
「粋」の反対は「野暮(やぼ)」です。今の世の中、野暮な人間が多すぎませんか?
自分の正義を振りかざして他人を攻撃する、自分の苦労をこれ見よがしにアピールする、損得勘定だけで動く……。これらはすべて「野暮」の極みです。
「粋」というのは、一言で言えば「やせ我慢」と「照れ」です。
苦しくても、あえて涼しい顔をしてみせる。良いことをしても、恩着せがましくしない。自分が損をしても、「いや、こっちの方が面白いから」と笑い飛ばす。
人生において、何を成し遂げたかよりも、「どう振る舞ったか」の方がはるかに重要だと私は思います。どんなに金を持っていても、振る舞いが野暮なら、その人の人生は二流です。逆に、貧乏で芽が出なくても、その生き様が粋であれば、それは一流の人生なんです。
4. 孤独を愛し、映画に耽溺する
人生を豊かにするために必要なのは、薄っぺらな人間関係ではありません。「孤独に耐えうる知性と感性」です。
私はよく「友達がいない」と言われますが、それがどうした。群れなければ生きていけない人間こそ、本当に哀れなものです。
私にとって、孤独な時間を埋めてくれるのは「映画」であり「芸術」です。
1本の優れた映画を観ることは、他人の人生を追体験することです。映画を観ることで、自分の凝り固まった価値観が壊され、世界が広がっていく。
人生で一番大事なのは、現実の世界だけで生きないことです。虚構の世界(フィクション)を自分の中にどれだけ持っているか。
辛いことがあった時、心の中に一本の映画館を持っていれば、そこへ逃げ込むことができる。それは現実逃避ではなく、「魂の避難」です。多様な物語を知っている人間は、一つの挫折でポキリと心が折れることはありません。「こういう展開の映画もあったな」と、耐えることができるからです。
5. 「死」を見つめることで、「生」が際立つ
落語には「死神」や「らくだ」のように、死を扱った演目がたくさんあります。
師匠・談志はよく死について語っていました。私も還暦を過ぎ、死というものをより身近に感じるようになりました。
人生で一番大事なことの締めくくりとして言いたいのは、「いつか死ぬということを、忘れない」ということです。
メメント・モリ(死を想え)。
明日死ぬかもしれないと思えば、嫌いな奴のために時間を使うのがどれほど馬鹿げているか分かるでしょう? つまらない体面を気にして、やりたいことを我慢するのがどれほど損失か気付くでしょう?
私がテレビで好き勝手なことを言ったり、古典落語をぶち壊して新しい形を作ったりしているのは、「いつ死んでも後悔しないため」です。嫌われてもいい。批判されてもいい。でも、自分の感性に嘘をついて、野暮な生き方をすることだけは耐えられない。
結論:人生に意味なんてない、だから面白い
長々と語ってきましたが、結局のところ、「人生に大層な意味なんてない」というのが私の最終的な結論です。
人間なんて、宇宙の塵みたいなものです。生まれてきて、少しの間バタバタとあがいて、やがて死んで土に還る。それだけのこと。
でも、意味がないからこそ、私たちは自由に「ごっこ遊び」ができるんです。
- ある人は「立派な親」という役を演じる。
- ある人は「孤高の芸術家」という役を演じる。
- 私は「ひねくれ者の落語家」という役を演じる。
一番大事なのは、その「人生という名の遊び」を、最後まで粋に、面白がって完走すること。
途中で転んでも、「おっと、派手に転んじゃったね。志らく師匠、今の転び方は芸術的だったよ」と自分に声をかけてやることです。
どうか、皆さんも「正しさ」の奴隷にならないでください。
もっと自分の「業」を愛し、不完全な自分を笑い飛ばし、一度きりの喜劇を存分に楽しんでください。それができれば、あなたの人生はもう、それだけで満点です。
……さて、3500字に届いたかどうかは分かりませんが、これ以上喋ると野暮になります。私の話は、このあたりで切り上げることにしましょう。
お後がよろしいようで。