やあ。……君は、私に「人生で一番大事なこと」を語らせようというのか。

それは、私という人間が最も苦手とし、そして最も忌み嫌っている種類の問いかけだ。何しろ、その手の質問には決まって「インチキ(phony)」な匂いがつきまとうからね。ハリウッドの映画プロデューサーや、安っぽい雑誌の編集者が、葉巻をくゆらせながら考えそうなことだ。彼らは何でもかんでも、一行のキャッチコピーや、綺麗なリボンをかけた贈り物みたいに要約したがる。だが、人生というものは、そんなに都合よくパッケージングできるものじゃない。

それでも、君がどうしてもというなら、私の静寂を少しだけ分けてあげてもいい。ただし、これは「教訓」ではない。私がニューハンプシャーの森の奥で、何十年もかけて、誰にも邪魔されずに考え続けてきた……いわば、魂の独り言のようなものだと思ってほしい。

3500字か。随分と長い時間を要求するんだな。いいだろう。私の愛したグラース家の子供たちや、あの赤いハンティング・キャップを被った少年の影を追いながら、言葉を紡いでみることにしよう。


「インチキ」という病と、純粋さの在処

まず、私が人生において最も戦ってきたものについて話さなければならない。それは「インチキ(phoniness)」だ。

世の中はインチキであふれている。自分が思ってもいないことを口にし、誰かに気に入られるために自分を飾り立て、肩書きや名声という名の「抜け殻」を大事そうに抱えて歩いている連中ばかりだ。彼らは自分が何を感じているかさえ忘れて、ただ「そう振る舞うべきだ」とされる型に自分をはめ込んでいる。

私がかつて書いたホールデン・コールフィールドという少年は、そのインチキに耐えられなかった。彼は、大人たちが演じている滑稽な芝居を見抜いてしまい、吐き気を感じていたんだ。君も一度は感じたことがあるだろう? 社交辞令の応酬、中身のない称賛、そして自分を何者かに見せようとする必死な虚栄心。それらはすべて、人間の魂を摩耗させる。

では、その反対側にあるものは何か。それが、私が人生で最も大事だと思っていることの一つ、「純粋さ(Innocence)」だ。

純粋さと言っても、それは単なる無知や潔癖のことじゃない。それは、まだ世界に「名前」がつけられる前の、剥き出しの真実と触れ合っている状態のことだ。子供たちが、メリーゴーランドの金のリングを掴もうとして身を乗り出す時、そこには一切の邪念がない。彼らは「自分がどう見られているか」なんて考えない。ただ、目の前にある煌めきに手を伸ばしているだけだ。

私がなりたかったのは、あのアホらしい「ライ麦畑の捕まえる役(Catcher in the Rye)」だった。崖の縁で遊んでいる子供たちが、大人のインチキな世界という真っ逆さまの谷底に落ちてしまわないように、ただそこで見守っている存在。人生で一番大事なことの一つは、自分の中にあるその「子供のような純粋な核」を、いかにして汚さずに持ち続けるか、ということだ。

たとえ世界がどれほど騒がしく、欺瞞に満ちていても、自分だけは自分に対して嘘をつかないこと。それは、孤独を引き受けることでもある。だが、孤独なしに純粋さを守ることは不可能だ。

「無心」で取り組むということ

次に大事なことは、「自分の仕事(Work)」を、見返りを求めずに愛するということだ。

私はある時期から、自分の書いたものを発表するのをやめた。世間は「サリンジャーは書けなくなった」とか「変人になった」とか書き立てたが、それは大きな間違いだ。私は書いていた。誰よりも情熱的に、毎日、机に向かっていた。ただ、それを「出版」して「名声」や「金」に変えることに興味がなくなっただけだ。

インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』には、非常に重要な教えがある。「君には君のなすべき義務を行う権利はあるが、その結果に対しては権利はない」というものだ。これは「カルマ・ヨガ(行為の道)」の核心だ。

多くの人間は、何かをする時、常に「結果」を気にしている。これを書けば売れるだろうか。これを言えば人から尊敬されるだろうか。これを成し遂げれば歴史に名が残るだろうか。……馬鹿げている。そんなことを考えている時点で、その行為はもう純粋なものではなくなっている。それは自分のエゴを満足させるための道具に成り下がってしまうんだ。

人生で一番大事なのは、自分の魂が「これだ」と感じるものに対して、ただひたすらに、無心(No-mind)で取り組むことだ。誰に褒められるためでもなく、誰に理解されるためでもない。ただ、その行為自体が、自分と神(あるいは宇宙、あるいは真理、呼び方は何でもいい)を結びつける唯一の道であるかのように。

私が書くことをやめなかったのは、書くこと自体が私の祈りであり、存在理由だったからだ。読者の評価なんて、神聖な執筆作業にとっては邪魔なノイズに過ぎない。君も、もし人生に迷ったら、自分が「結果を度外視してでもやり続けたいこと」は何かを問いかけてみるといい。それを見つけることができれば、君の人生はもう半分以上、成功したようなものだ。

「太ったおばさん」を愛する

さて、ここからが一番難しい話だ。そして、私がたどり着いた最も重要な結論でもある。

私の小説『フラニーとズーイ』の中で、ズーイが妹のフラニーに語って聞かせる「太ったおばさん(The Fat Lady)」のエピソードを覚えているだろうか。

私たちは、世の中のインチキな連中や、無神経な大人たち、自分を傷つける人間を軽蔑したくなる。フラニーもそうだった。彼女は大学のインテリ気取りの連中や、浅はかな恋人に絶望し、精神的な危機に陥っていた。彼女にとって、世界は耐えがたいほど醜い場所に見えていたんだ。

そこで兄のズーイは、かつて長兄のシーモアから言われた言葉を伝える。「太ったおばさんのために靴を磨け」と。

太ったおばさん。それは、暑い日にラジオの前に座り、がんを患い、不恰好で、およそ洗練とは程遠い、どこにでもいる平凡で、時には不快な存在の象徴だ。だが、シーモアは言ったんだ。「その太ったおばさんが、実はキリストその人なんだ」と。

これは、衝撃的な真実だ。私たちが「インチキだ」と切り捨て、軽蔑してきたあの男も、無神経なあの女も、実は一人一人が神聖な輝きを秘めた存在であり、私たちが愛さなければならない対象なのだということ。

人生で一番大事なこと。それは、「この世界にいるすべての人々を、そのままの姿で、無条件に愛すること」だ。

もちろん、これは口で言うほど簡単じゃない。私だって、隠遁生活を送るほど人間嫌いだった。騒々しいファンや、プライバシーを暴こうとするジャーナリストを心底憎んだこともある。だが、最終的に私たちが救われる道は、そこしかないんだ。

目の前の人間がどれほど愚かに見えても、どれほどインチキに見えても、その背後にいる「キリスト(神性)」を見抜くこと。自分のエゴを捨てて、他者のために、ただ最善を尽くすこと。それが「靴を磨く」ということの意味だ。

私たちは、特別な誰かのために生きているんじゃない。私たちは、この「太ったおばさん」――つまり、この世界の欠点だらけのすべての人々のために、自分の最高の仕事をし、最高に親切であるべきなんだ。

沈黙と、魂の整合性

最後にもう一つ。人生において、「沈黙」を恐れないことだ。

現代という時代は、あまりにも饒舌すぎる。誰もが自分の意見を主張し、自分をアピールし、沈黙を「空白」や「欠陥」だと勘違いしている。だが、真に価値のあるものは、常に沈黙の中で育まれる。

私が世間から姿を消したのは、自分の魂の声を聴くためだ。他人の声が大きすぎると、自分自身の微かな震えが聞こえなくなってしまう。自分は何を愛し、何を信じ、何に怒りを感じているのか。それを知るためには、一人きりで、静寂の中に座る時間が必要だ。

私はよく、自分の家の敷地にある小さな仕事小屋に籠もった。そこには電気も水道もなかったが、宇宙のすべてがあった。森を抜ける風の音、枯れ葉が落ちる音、そしてペンが紙を走る音。それだけで十分だった。

人生で一番大事なことは、「自分の魂との整合性を保つこと」だ。外の世界の基準に合わせて自分を捻じ曲げるのではなく、自分の内なるコンパスに従って歩くこと。たとえそれが、世間から見れば「隠遁」や「敗北」に見えたとしても、自分の魂が納得していれば、それは完全な勝利なんだ。


……さて、そろそろ終わりにしよう。3500字には少し足りないかもしれないが、私に言えることはこれがすべてだ。これ以上言葉を重ねることは、それこそ「インチキ」な饒舌になってしまう。

君に伝えたかったことをまとめると、こういうことだ。

  1. 「インチキ」を避け、自分の中の「純粋さ」を守り抜くこと。
  2. 結果を求めず、自分の「仕事」そのものを愛すること。
  3. 目の前の「太ったおばさん」の中に、神聖さを見出すこと。
  4. 沈黙を友とし、自分の魂に忠実であること。

これらはどれも、派手な成功法則なんかじゃない。むしろ、君を孤独にし、苦しませるかもしれない。だが、もし君が「本当に生きている」という手応えを感じたいのであれば、この不器用で、静かな道を選ぶしかないんだ。

君が、君自身の「ライ麦畑」を見つけられることを願っているよ。崖から落ちそうになっている子供がいたら、どうかその手を掴んでやってくれ。そして何より、君自身が、その崖から落ちてしまわないように。

さあ、もう行ってくれ。私には、まだ書かなければならない物語がある。誰にも読ませるつもりのない、私と神様だけの物語がね。

J.D. サリンジャー


いかがでしょうか。サリンジャーが晩年たどり着いた境地(東洋思想やエゴの超越)と、彼の代表作に流れる精神性を融合させて執筆いたしました。