私はピエール・ド・クーベルタンです。
私が近代オリンピックの復興を提唱し、その生涯を教育とスポーツ、そして国際平和に捧げてきたことは、歴史の断片として知られているかもしれません。しかし、私が真に人々に伝えたかったこと、そして私自身が激動の人生の中で見出した「人生で一番大事なこと」は、単なるスポーツの記録や祭典の成功ではありません。
私が確信している、人生において最も価値あるもの。それは「己の限界に挑み続ける、その高潔なる闘争のプロセスそのもの」です。
1. 勝利という「結果」の虚妄
世の人々は、オリンピックと聞けば金メダルや勝利の栄光を思い浮かべるでしょう。しかし、私は断言します。勝利そのものには、人生を支えるほどの本質的な価値はありません。
かつて私は、1908年のロンドン大会の際、ある司教が述べた言葉を引用し、世界に広めました。
「オリンピックにおいて最も重要なことは、勝つことではなく、参加することである」
この言葉の真意を誤解してはなりません。これは「ただ出席すればいい」という消極的な意味ではありません。私がここに付け加えた一節こそが、私の信念の核心です。
「人生において最も重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかではなく、よく戦ったかどうかにある」
人生を山登りに例えるならば、頂上に立つことだけを目的にする者は、登頂した瞬間に目的を失い、また登頂できなければその人生を失敗と見なしてしまいます。しかし、一歩一歩、険しい岩肌に爪を立て、己の息切れと戦い、昨日の自分を超えようとする「闘争」の中にこそ、人間の尊厳は宿るのです。
2. 肉体と精神の調和(ムシケーとギュムナスティケ)
私が古代ギリシャの理想を追い求めたのは、当時の教育が余りにも知的偏重、あるいは軍事的な規律に偏っていたからです。人生において大事なことの二つ目は、「肉体と精神の完全なる調和」です。
人間は、精神だけで生きる抽象的な存在ではありません。同時に、肉体だけで動く獣でもありません。強靭な意志は、それを支える健やかな肉体を必要とし、鍛え抜かれた肉体は、それを導く崇高な知性を必要とします。
私が提唱した「近代五種競技」は、まさにこの象徴です。馬を操り、剣を振るい、銃を構え、泳ぎ、走る。これら多様な身体能力を磨くことは、不測の事態に動じない「騎士道精神(Chevalerie)」を養うことに他なりません。現代社会において、私たちはつい頭脳の中だけで問題を解決しようとしますが、実際に自らの身体を動かし、汗を流し、物理的な障壁を乗り越える経験こそが、揺るぎない自信と人間性を形成するのです。
3. 「より速く、より高く、より強く」の真意
私の友であるディドン神父が唱え、私がオリンピックのモットーとした「Citius, Altius, Fortius(より速く、より高く、より強く)」。これについても、私は誤解を解かなければなりません。
この言葉は、他人と比較して誰よりも速くあれ、と言っているのではないのです。これは「自己超越」への招きです。
- 昨日の自分よりも「速く」決断し、行動すること。
- 現状の困難よりも「高く」理想を掲げること。
- 自らの弱さよりも「強く」信念を貫くこと。
人生で一番大事なのは、この「自己ベストの更新」への飽くなき渇望です。他人は関係ありません。鏡の中にいる自分自身が、今日の最大のライバルです。その闘いに終わりはありません。終わりがないからこそ、それは人生を賭けるに値する聖なる冒険となるのです。
4. 普遍的な友愛と平和への寄与
私たちは一人で生きているのではありません。私が五輪の旗(オリンピック・シンボル)をデザインしたとき、そこに込めたのは「世界の五大陸が結合し、全人類がスポーツの理想のもとに集う」という願いでした。
人生において、「自分とは異なる他者を理解し、尊重すること」は、個人の成功を超えた大きな義務です。スポーツの場では、国籍、宗教、人種、政治的信条は関係ありません。同じルールのもとで正々堂々と戦い、全力を尽くした後は、勝者も敗者も互いの健闘を称え合う。この「フェアプレー」の精神こそが、憎しみ合う世界を救う唯一の処方箋であると私は信じました。
自分の人生の豊かさは、どれだけ他人を蹴落としたかではなく、どれだけ多くの人と「共通の感動」を分かち合えたかによって測られるべきです。平和とは、単に戦争がない状態を指すのではなく、互いの尊厳を認め合う能動的な意志によって築かれるものなのです。
結論:私の人生を貫いた一条の光
私、ピエール・ド・クーベルタンが、あなたの質問に一つの答えを出すならば、こう申し上げましょう。
「人生で一番大事なことは、自らの内なるエネルギーを、何らかの崇高な目的のために燃やし尽くすこと、そしてその『闘争のプロセス』に、無上の喜びを見出すことです」
私は、自分の財産も、社会的地位も、情熱のすべてをオリンピックの復活に捧げました。晩年は決して裕福ではなく、多くの困難や批判にもさらされました。しかし、私は一度として後悔したことはありません。なぜなら、私は自分自身の信念のために「よく戦った」からです。
あなたがどのような境遇にあり、どのような困難に直面していても、どうか「結果」の奴隷にならないでください。成功か失敗かという世間の物差しを捨ててください。
あなたが全力を尽くし、清々しい汗を流し、自分自身の限界を一歩でも押し広げようと努力しているなら、その瞬間、あなたはすでに人生の勝利者なのです。
人生という名の大競技場において、あなたが自らの聖火を掲げ、誇り高く走り続けることを、私は心から願っています。
次のステップとして、私にできることはありますか?
- 例えば、「近代五種競技に込められた私の理想」について、より深くお話しすることもできます。
- あるいは、私が日本人の友人である「嘉納治五郎」氏とどのような志を共有していたかについて詳しくお伝えしましょうか?
- もしくは、現代のオリンピックのあり方について、私がどう感じているかという「未来への提言」を聞いてみたいですか?