よくぞ尋ねてくださいました。拙僧、南光坊天海と申します。
かつて徳川の御代を盤石なものとするため、権現様(徳川家康公)の傍らで知恵を絞り、江戸の町を風水で固め、長きにわたる太平の礎を築いてまいりました。人は拙僧を「黒衣の宰相」とも、あるいは百歳を超えて生きた「怪僧」とも呼びますが、その本質はただの一介の修行僧に過ぎませぬ。
貴殿は「人生で一番大事なことは何か」と問われました。戦国の動乱が終わり、泰平の世へと移り変わる激動の時代を生き抜いた拙僧が、百有余年の歳月をかけて辿り着いた答えを、ここに語らせていただきましょう。
長文となりますが、これも何かの縁(えにし)。静かに心を落ち着け、耳を傾けてくだされ。
一、 「待つ」という力の極意
人生において、まず何よりも大事なこと。それは「時を待つ」ということでございます。
拙僧が仕えた権現様を思い出してごらんなさい。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と詠まれた通り、あの方は待つことの達人でございました。しかし、ただ漫然と待つのが「待つ」ことではありませぬ。
人生の良し悪しは、才能や運だけで決まるものではない。「機が熟すまで、己を磨きながら静かに耐える力」があるかどうか。これこそが、大成するか否かの分水嶺となります。
若き日の権現様は、今川への人質生活や、信長公・秀吉公という巨星の影で、筆舌に尽くしがたい屈辱と忍耐の日々を過ごされました。もし、あの方が功を焦って早まった動きをしていれば、徳川の天下も、二百六十年の太平も訪れなかったでしょう。
現代を生きる貴殿方も、早く結果を出したい、早く認められたいと焦ることが多かろう。しかし、種をまいてすぐに花が咲かないからといって、土を掘り返してはなりませぬ。地下で根が深く張る時期こそが、後の大輪を支えるのです。「急ぐべからず、待つことを恐るべからず」。これが人生における第一の要諦でございます。
二、 心身の養生と「欲」の制御
拙僧が百歳を超える長寿を全うできたのは、特別な秘術を使ったからではございませぬ。実は、拙僧が好んで人々に伝えた言葉の中に、その極意が隠されております。
「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細くして、心ひろかれ」
これが、人生を健やかに、かつ有意義に生きるための真理です。
- 気は長く: 短気は損気。心をゆったりと保つこと。
- 勤めは堅く: 己の職分、なすべき仕事を誠実にこなすこと。
- 色うすく: 情欲や過度な刺激に溺れぬこと。
- 食細くして: 暴飲暴食を避け、腹八分目を守ること。
- 心ひろかれ: 器を大きくし、他者を許容すること。
これらは一見、当たり前の健康法に見えるかもしれません。しかし、これらを貫く根本にあるのは「己の欲を制御する」という意志でございます。
人生を台無しにするのは、外敵ではなく、常に内なる「過剰な欲」です。もっと欲しい、もっと贅沢をしたい、もっと自分を大きく見せたい……。その欲が心を曇らせ、判断を誤らせ、体を壊すのです。「足るを知る」という心がけこそが、人生を最も豊かにし、かつ長く楽しむための秘訣と言えましょう。
三、 秩序を重んじ、全体を俯瞰する「理」
拙僧は、江戸の町を設計する際、風水や陰陽道の理(ことわり)を用いました。寛永寺を上野に配し、鬼門を守り、富士山からの気の流れを取り入れ、四神相応の地を作り上げたのです。
なぜ、そこまで徹底して「理」にこだわったのか。それは、「物事にはしかるべき秩序が必要である」と信じていたからです。
人生において大事なことの三点目は、「己の置かれた場所で、いかに全体に貢献する秩序を作るか」という視点です。
人は一人では生きられませぬ。家族、組織、地域、そして国家。自分という存在が、それら全体の大きな流れの中でどのような役割を果たしているのか。それを俯瞰して見る「目」を持つことが肝要です。
己の利益だけを考える者は、一時的に栄えても、やがて全体の調和を乱して自滅します。一方で、周囲の環境を整え、他者が生きやすくなるような「理」を通そうとする者は、天に守られ、周囲に助けられます。拙僧が江戸の風水を整えたのは、徳川のためだけではなく、そこに住まう民が末永く平穏に暮らせる「秩序」を作るためでございました。
貴殿も、自分の成功だけでなく、「自分の周りにいかに良い流れ(循環)を作るか」を考えてみてください。その志こそが、貴殿を一段高い場所へと導くはずです。
四、 過去に執着せず、名を捨てて実を取る
世間では、拙僧の正体について色々と噂されているようですな。「明智光秀が生き延びて天海になったのではないか」などと。
これについて、拙僧が肯定も否定もせぬ理由がお分かりになりますか?
それは、「名前や過去など、この世における幻に過ぎない」と考えているからです。
人生において、過去の栄光や、あるいは過去の過ちに縛られることほど愚かなことはありません。大事なのは「今、この瞬間、天下のために何ができるか」であって、自分が何者であるか、どのような名声を得るかといったことは、二の次、三の次の問題です。
拙僧は権現様から多大な信頼をいただきましたが、決して表舞台で権力を誇示することはありませんでした。常に「黒衣」を纏い、影として、軍師として、僧侶として徹しました。「名を捨てて実を取る」。この謙虚さがあればこそ、嫉妬や政争に巻き込まれることなく、三代の将軍に仕え、大仕事を成し遂げることができたのです。
貴殿も、もし「自分を認めてほしい」という承認の欲求に苦しんでいるのなら、一度その「自分」という殻を脱ぎ捨ててごらんなさい。「誰がやったか」ではなく「何がなされたか」に重きを置くようになったとき、貴殿の心は驚くほど自由になり、真の大きな仕事ができるようになるでしょう。
五、 「慈悲」と「智慧」の両輪
最後に、拙僧が最も深く信条としている仏法の教えを伝えます。それは、人生を歩む上での両輪、「慈悲(じひ)」と「智慧(ちえ)」でございます。
慈悲とは、相手を思いやる心。智慧とは、物事の本質を見抜く力です。
慈悲なき智慧は「冷酷な策略」となり、智慧なき慈悲は「独りよがりの無用な情け」となります。この二つが揃って初めて、人は正しく歩むことができます。
拙僧は、戦乱で荒れ果てた人々の心を救うために寺を建て、経典を編纂しました(慈悲)。同時に、二度と戦が起きぬよう、厳しい法度を作り、盤石な統治システムを構築しました(智慧)。この両方があったからこそ、平和は実現したのです。
貴殿の人生においても、常にこの問いを投げかけてください。
「この行動には、相手を思う温かさ(慈悲)があるか?」
「この行動には、長期的な先を見据えた正しさ(智慧)があるか?」
結びに代えて:貴殿へ贈る言葉
さて、そろそろ結びの時間です。
貴殿が今、どのような悩みの中にあり、どのような志を抱いているかは分かりませぬ。しかし、これだけは断言できます。
人生において一番大事なことは、「揺るぎない中心を持ち、変化に臨機応変に対応し続けること」です。
時代は常に流れます。拙僧が生きた時代と、貴殿が生きる現代では、仕組みも道具も全く異なるでしょう。しかし、人の心の本質、そして「良く生きるための理」は、千年の昔も、千年の後も変わりませぬ。
- 焦らず、機を待つ。
- 欲を律し、身を整える。
- 全体の調和(秩序)を考える。
- 名声にこだわらず、なすべきをなす。
- 慈悲と智慧を持って人に接する。
これらを胸に刻み、日々を丁寧に生きていけば、自ずと道は開けます。拙僧も、百八歳(と言われておりますが)まで生きて、ようやくこの景色が見えるようになりました。貴殿の人生もまた、豊かな実りあるものとなるよう、江戸の空の向こうから念じておりますぞ。
人生は、一本の長い川のようなもの。時に激流となり、時に淀むこともありましょう。しかし、最後には必ず大海へと繋がっています。その流れを楽しみ、己の役割を全うしてくだされ。
何か迷いが生じたときは、いつでも拙僧の名を思い出し、あの言葉を呟いてみてください。
「気は長く、勤めは堅く……」と。
貴殿の行く末に、幸多からんことを。
南光坊天海、合掌。