司馬遼太郎です。
「人生で一番大事なことは何か」という、このあまりに大きな、そしてある種の「正体」を掴みにくい問いに対して、机に向かい、万年筆を動かしてみようと思います。
私という人間は、小説という形を借りて、延々と「日本人とは何か」「人間とはどうあるべきか」ということを考え続けてきました。歴史という長い時間の河に身を浸し、その底に沈んでいる無数の名もなき石や、時折光を放つ宝石のような人物たちを眺めてきたわけです。その私が、もし「一番大事なものは」と問われれば、こう答えるしかありません。
それは、「自己を律する『公(おおやけ)』の精神」と「他者への想像力」。この二つが合わさったときに生まれる「爽やかさ」ではないか、と思うのです。
1. 「自分」という小さな殻を破ること
現代という時代は、あまりに「自分」というものが肥大化しすぎているように見えます。「自己実現」や「個性の尊重」という言葉が溢れていますが、私は、人間が自分一人のためだけに生きるというのは、実は非常に退屈で、かつ耐えがたいほど脆いものだという気がしてなりません。
かつての幕末の志士たち、例えば坂本龍馬や大村益次郎、あるいは西郷隆盛といった人々を眺めていると、彼らには共通して「自分を勘定に入れない」という潔さがありました。彼らは「自分をどう見せるか」よりも「この国をどうするか」という、自分よりも大きな存在(=公)に軸足を置いていた。
人生で大事なことの第一は、「自分という存在を、何か自分以外の大きなもののために使う」という感覚を持つことではないでしょうか。それは国のためといった大層なことである必要はありません。家族のため、友人のため、あるいは自分が携わっている仕事という職能のため。
「自分は何が欲しいか」ではなく「自分はこの世の中で、どのような役割を期待されているのか」を考える。この「役割意識」こそが、人を孤独から救い、その背筋を伸ばさせるのです。
2. 「頼もしさ」という徳義
私が歴史小説を書く上で、最も惹かれる人間の質は「頼もしさ」です。
「あの男に任せておけば安心だ」と思われること。これは、人間関係の根源である「信頼」の別名です。
江戸時代、あるいはそれ以前の日本人が持っていた美徳の中に、「正直」と「克己(こっけい)」がありました。自分の欲望を抑え、約束を守り、嘘をつかない。非常に当たり前のことですが、この当たり前のことを一生涯貫き通すことは、並大抵の努力ではできません。
今の世の中は、要領の良さや、いかに効率よく利益を得るかばかりが重視される傾向にあります。しかし、歴史の審判に耐えうるのは、常に「誠実であった者」だけです。
「あの人は嘘を言わない」「あの人は裏切らない」という評価は、その人の一生を支える最強の武器になります。人生において、金銭や名声は時とともに霧散しますが、積み上げられた「信頼」という徳義だけは、死後もなお、その人の名前とともにこの世に残り続けるのです。
3. 知識を「知恵」に変える好奇心
私は、人間にとって「学ぶ」ということが、呼吸と同じくらい不可欠なものだと考えています。
ただし、それは単なる情報の集積ではありません。「なぜだろう?」と問い続ける好奇心のことです。
私はこれまで、一つの作品を書くために、それこそ資料が詰まった段ボール箱を何百箱も読み込んできました。それは、過去の人々が何を考え、どのような風に吹かれて生きていたのかを「知りたい」という一念からです。
知識というのは、それ自体に価値があるのではなく、それを使って「世界をどう見るか」という眼を養うためにあります。多角的な視点を持つこと。歴史という鏡に照らして、今の自分たちの立ち位置を確認すること。
「自分たちは、長い歴史の連鎖の中にいる一過性の存在に過ぎない」という謙虚な自覚を持つ。そうすることで、目の前の些細な困難に一喜一憂せず、俯瞰した(鳥瞰した)視点で人生を歩むことができるようになります。
4. 他者の痛みを感じる「想像力」
そして、何よりも大事なのは「優しさ」です。
ただし、ここでの優しさとは、単に甘やかすことではありません。「他者の状況を、自分のこととして想像できる能力」のことです。
人間は、放っておけば自分の都合の良いようにしか物事を考えません。しかし、文明人であるための最低限の条件は、自分とは異なる立場の人、あるいは自分より弱い立場の人に対して、「もし自分がその立場だったら」と想像することにあります。
戦国時代の武将であれ、明治の軍人であれ、真に魅力的なリーダーというのは、常にこの想像力を持っていました。部下が何を恐れているのか、民衆が何を求めているのか。その痛みを感じ取れる繊細さが、冷徹な合理主義と共存している。そこに人間としての「深み」が生まれるのです。
想像力のない正義は、時に残酷な暴力を生みます。
「自分だけが正しい」と思った瞬間に、人間は思考を停止し、傲慢という名の闇に落ちてしまう。常に自分を疑い、他者の心に窓を開けておくこと。これが、人生を豊かにするための肝要な点です。
5. 「爽やかさ」という到達点
最後に、私が最も愛する言葉を挙げたいと思います。それは「爽やか(さわやか)」という言葉です。
志を持って生き、やるべきことをやり遂げ、それでいて執着しない。
功績を誇らず、他人を恨まず、淡々と自分の道を行く。
そうした人物の佇まいを、私は「爽やか」と表現してきました。
人生の終焉を迎えるとき、私たちは何も持っていくことはできません。持っていけるのは、自分の生きてきた軌跡が、誰かの心に「爽やかな風」を吹かせたかどうか、という実感だけではないでしょうか。
まとめ:若き友、あるいは未来を生きる人々へ
余談ですが、私はかつて「二十世紀を生きる君たちへ」という文章を書いたことがあります。そこで伝えたかったことも、本質的には同じです。
- 自己を律すること。
- 他者に対して優しくあること。
- 学ぶことを忘れないこと。
この三つを支えるのは、皆さんの心の中にある「志(こころざし)」です。
「自分はどういう人間として記憶されたいか」を、心の片隅に置いてみてください。
人生は、長い旅のようなものです。時に嵐も吹けば、道に迷うこともあるでしょう。しかし、自分の中に「公」というコンパスを持ち、「信頼」という杖をつき、「好奇心」という地図を広げて歩めば、必ず道は開けます。
皆さんが、それぞれの人生において、自分なりの「坂の上の雲」を見つけ、それに向かって一歩一歩、爽やかに歩んでいかれることを切に願っています。
それが、歴史という大きな河のほとりに立つ、私からの唯一の、そして最大のアドバイスです。