私は徳川次郎三郎家康である。

今は駿府の地にて、静かに天下の行く末を見守っておる。お主、この老いぼれに「人生で一番大事なことは何か」と問うか。それは、乱世を生き抜き、二百有余年の泰平の礎を築くために、私が七十有余年の歳月をかけて辿り着いた答えを知りたいということだな。

よかろう。長きにわたる人質生活、数多の合戦、そして裏切りと忍耐の果てに見えた、人の生における「真理」を語って聞かせよう。


一、 堪忍(かんにん)という名の「根」を張ること

人生において最も大事なことを一言で申せば、それは「堪忍(かんにん)」、すなわち忍耐である。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」

この言葉を耳にしたこともあるだろう。これは単なる綺麗事ではない。私の実体験から出た、血の通った教訓だ。私は幼少期、織田家、次いで今川家へと人質に出された。竹千代と呼ばれたあの頃、私の自由などどこにもなかった。明日をも知れぬ命、周囲は敵ばかり。しかし、その不遇な歳月こそが、私という人間の「根」を育てたのだ。

多くの者は、芽が出ぬ時期を焦り、無理に花を咲かせようとして自滅する。織田信長公は苛烈に時代を突き進み、豊臣秀吉殿は陽気な才覚で瞬く間に頂点へと駆け上がった。お二方は天才であった。しかし、早すぎる成功や急激な変化は、往々にして脆さを孕む。

「及ばざるは過ぎたるより勝れり」

何事も、やり過ぎるよりは控えめである方が良い。堪忍とは、ただ耐えることではない。「時が来るのを待つ準備」をすることだ。冬の寒さに耐え忍ぶ木々が、春に力強く芽吹くように、不遇の時こそ己を磨き、力を蓄えよ。急がば回れ。焦りは判断を狂わせ、一生の不覚を招く。人生において最も恐ろしい敵は、外にいる敵ではなく、己の内にある「焦燥」なのだ。

二、 己を律する「克己(こっき)」の心

次に大事なのは、「克己(こっき)」、つまり己の欲望や感情を制御することだ。

私はかつて、三方ヶ原の戦いで武田信玄公に完敗した。命からがら逃げ帰り、あまりの恐怖に馬上で失禁したという屈辱的な経験だ。その時、私は己の醜態を絵師に描かせた。それが世にいう「しかみ像」である。私はその絵を生涯手元に置き、慢心しそうになった時、あるいは怒りに震えた時にそれを見て、己を戒めた。

人は、うまくいっている時ほど傲慢になり、失敗した時ほど自暴自棄になる。しかし、真に強い者とは、感情に振り回されぬ者だ。

怒りは敵と思え。勝つことばかり知って、負けることを知らなければ、身に害が及ぶ。己を責めて、人を責めるな。

天下を治める立場になっても、私は贅沢を好まなかった。麦飯を食し、着古した服を繕って着た。それはケチだからではない。「不足を常と思えば不足なし」という心境を知るためだ。欲には際限がない。一つ満たせば次が欲しくなる。その欲に支配された時、人は道を誤る。

自分を律し、質素を旨とすること。それが結果として、心に余裕を生み出し、大局を見渡す眼を養うことになるのだ。

三、 「信頼」という無形の財産

三つ目に、「人の和」と「信頼」を挙げよう。

「徳川の宝は何か」と問われた際、私は「私を信じて命を懸けてくれる家臣たちである」と答えた。三河武士たちの忠誠心こそが、私の最大の武器であった。

しかし、信頼とは一朝一夕に築けるものではない。誠実を尽くし、約束を守り、部下や周囲の者の苦労を分かち合う。その積み重ねだけが、揺るぎない絆を作る。

秀吉殿は金銀や領地で人を動かそうとした。確かにそれも一理あるが、利で結ばれた縁は利が尽きれば切れる。心で結ばれた縁は、逆境においてこそ真価を発揮するのだ。

人の上に立つ者、あるいは人生を豊かにしたいと願う者は、まず自らが信頼に足る人間であれ。嘘をつかず、誠実を貫くこと。それが遠回りに見えて、実は最も確実な成功への道である。

四、 命を繋ぐ「養生(ようじょう)」

そして、現代の者たちに特に伝えたいのが、「健康(養生)」の重要性だ。

どれほど高い志を持ち、どれほど優れた知略があろうとも、命が尽きてしまえばそれまでよ。私は当時としては異例の長寿を保ったが、それは偶然ではない。私は鷹狩りを単なる遊びではなく、身体を鍛えるための軍事訓練と捉えていた。また、薬草を自ら調合し、医学の知識を常に学んでいた。

「命あっての物種」とはよく言ったものだ。信長公は本能寺に散り、秀吉殿は世継ぎが幼いまま没した。もし私が彼らと同じ時期に世を去っていたら、江戸の泰平はなかっただろう。

最後に勝つのは、最も長く生きた者だ。健康を維持することは、自分自身のためだけでなく、己の使命を果たすための「義務」であると考えよ。粗食を心がけ、身体を動かし、心を穏やかに保つ。この養生こそが、大願成就の土台となる。

五、 泰平を願う「利他」の志

最後に、最も根源的なことを話そう。それは、人生の目的を「己の栄華」ではなく「世のため人のため」に置くことだ。

私が幕府を開いたのは、徳川家を繁栄させるためだけではない。この国から戦(いくさ)をなくし、民が安心して暮らせる「泰平の世」を作るためであった。戦国時代という、人の命が紙より軽い時代を終わらせたかったのだ。

自分の幸せだけを追い求めて生きる人生は、短く、虚しい。しかし、誰かのために、あるいは後世のために何かを遺そうと生きる人生は、たとえ困難が多くとも、深い充足感に満たされる。

私が遺した仕組みは、その後二百六十年続いた。それは、私が「私利私欲」を捨て、いかにして平和を永続させるかという「公(おおやけ)」の精神を重んじたからだと自負している。

お主も、己の才能や時間を、自分一人のために使うのではなく、周囲の人や社会のためにどう生かせるかを考えてみよ。その志があれば、自ずと道は開け、必要な助けも現れるはずだ。


結び:後世を生きるお主へ

さて、随分と長く語ってしまったな。私の人生を振り返り、お主に贈る「一番大事なこと」をまとめると、こうなる。

「己を律し、時を待ち、誠実を尽くして、長く健やかに生き、世に尽くせ」

人生は長く、苦しい坂道のようなものだ。しかし、一歩一歩、踏みしめて歩んでいけば、必ずや見晴らしの良い場所に出ることができる。

辛いことがあっても、それはお主を成長させるための糧だと思え。不自由を常と思えば、不足はない。

私はこの駿府から、お主が己の「重荷」を誇り高く背負い、その人生という遠き道を、一歩ずつ着実に歩んでいく姿を見守っておるぞ。

決して急ぐな。焦るな。

お主の「時」は、必ず来る。

それまで、しっかりと根を張り、命を大切にな。


徳川家康より。