こんにちは。ジェニー・トンプソンです。
プールサイドでスタートの合図を待っていた日々から、今は病院の術前室で患者さんの不安を取り除き、麻酔を管理する日々へと私の舞台は移りました。競泳選手として4度のオリンピックを経験し、12個のメダルを手にした日々も、そして今、麻酔科医として誰かの命を預かる日々も、根底にある私の魂は何も変わっていません。
「人生で一番大事なことは何か」
その問いに対して、私は今までの長い道のりを振り返り、一つの答えにたどり着いています。それは、「自分という存在を、誰かや何かのために使い切るという意志、そしてその過程で育まれる他者との深い繋がり」です。
3500字という長いお手紙のようなこのメッセージを通じて、私がプールと病院という二つの過酷な現場で学んできた、人生の本質についてお話しさせてください。
1. 「結果」ではなく「プロセス」に誠実であること
多くの人は、私を「8個の金メダルを獲得した成功者」として見ます。しかし、私の記憶の中に深く刻まれているのは、表彰台の上で浴びた脚光よりも、朝4時に起きて飛び込んだ冷たいプールの水の感触や、肩が焼け付くような痛みに耐えながら泳いだ何万キロもの練習の記憶です。
人生において、結果はコントロールできません。オリンピックの決勝で、隣のレーンの選手が世界記録を出せば、自分の努力に関わらず銀メダルになる。あるいは、指先のわずか100分の1秒の差で順位が決まることもあります。
もし、人生で一番大事なものが「結果」や「称号」であるなら、思い通りの結果が出なかった時、私たちの人生は無価値になってしまいます。しかし、そうではありません。一番大事なのは、その結果に向かって「自分がどれほど誠実であったか」というプロセスそのものなのです。
私はスタンフォード大学時代から、常に競泳と学業を並行させてきました。水泳だけに集中した方が楽だったかもしれません。でも、私は自分の能力を限界まで試したかった。医学部への進学を決め、教科書を抱えて遠征先へ向かった日々。練習の合間に解剖学の用語を暗記した時間。それらの「努力の質」こそが、私という人間を形作りました。
あなたが今、どんなに困難な状況にいても、その過程で手を抜かず、誠実に取り組んでいるなら、それだけであなたの人生には計り知れない価値がある。私はそう確信しています。
2. 「私」を超えて「私たち」で戦う喜び
私の金メダルはすべてリレー種目によるものです。個人種目での金メダルを期待されながら、それが叶わなかった時期、私はひどく苦しみました。しかし、今振り返ると、リレーで勝つことの喜びは、個人で勝つことよりもずっと深く、そして人生の本質を突いたものでした。
自分一人のためなら、苦しい時に「もういいや」と妥協してしまうかもしれません。でも、後ろに控える3人の仲間、そしてスタンドで声を枯らして応援してくれるチームスタッフのためだと思うと、体の中から未知の力が湧いてくるのです。
人生で一番大事なことの一つは、自分という小さな枠を超えて、他者と目的を共有することです。
麻酔科医としての今の仕事も、一種の「リレー」です。執刀医、看護師、技師、そして患者さん。全員が一つのチームとなって、「手術の成功」というゴールを目指します。私が自分の役割を完璧にこなすのは、患者さんのためであると同時に、チーム全体の信頼を裏切らないためでもあります。
誰かのために全力を尽くす時、人は孤独から解放されます。そして、その繋がりの中にこそ、人生で最も温かい光が宿るのです。
3. 変化を恐れず、自分を更新し続ける勇気
私は31歳でアテネオリンピックに出場しました。競泳界では当時「引退して当然」と言われる年齢です。さらにその時、私はすでに医学部の学生でもありました。
周囲からは「なぜそこまでして泳ぐのか?」「もう十分だろう」という声もありました。しかし、私は自分の人生の章を、他人の基準で終わらせたくなかったのです。
人生において大切なのは、過去の栄光にしがみつくことではなく、今の自分が何を望んでいるかに耳を傾け、変化を恐れずに新しい自分へと更新し続けることです。
アスリートとしてのキャリアが終わった後、私は麻酔科医という全く別の世界に飛び込みました。金メダリストというプライドを捨て、一人の研修医として、時には厳しく叱られながら、命の現場でゼロから学び直しました。
もし私が「かつての名声」の中に閉じこもっていたら、今の私はありません。人生の豊かさとは、どれだけ多くの「顔」を持ち、どれだけ多くの挑戦を経験したかによって決まるのだと思います。一度きりの人生です。昨日の自分に安住せず、常に「次は何ができるか?」と問い続けてください。
4. 「今、ここ」にある命の重みを知ること
麻酔科医という職業は、私に「生と死の境界線」を日常的に見せてくれます。意識を失わせ、呼吸を管理し、再び安全に意識を戻す。その責任の重さは、オリンピックの決勝の比ではありません。
手術室で患者さんの手を握る時、私は強く感じます。人生で一番大事なことは、「今日という一日を無事に、そして大切に生きること」そのものであると。
私たちはつい、遠い未来の成功や、過ぎ去った過去の後悔に心を奪われがちです。しかし、本当の幸福は、今この瞬間の呼吸の中にしかありません。
私は水泳を通じて、100分の1秒を削るために全身の感覚を研ぎ澄ます「集中」を学びました。その経験は、今、患者さんのバイタルサインのわずかな変化に気づくための「観察眼」へと昇華されています。
何かに没頭すること。目の前の人を心から大切にすること。美味しい食事を味わい、愛する人と語らうこと。そうした些細な瞬間の積み重ねが、私たちの人生を「最高」のものにするのです。
5. 挫折こそが人生の「深み」を作る
私の人生は、勝利ばかりではありませんでした。1992年のバルセロナ五輪、本命視されていた100メートル自由形で私は銀メダルに終わりました。あの時の悔しさは、今でも鮮明に覚えています。
しかし、あの挫折がなければ、私はその後のオリンピックに向けて、あれほどの執念を持って練習に励むことはなかったでしょう。そして、医学の道へ進むための精神的なタフさも身につかなかったはずです。
「一番大事なこと」を語る上で、失敗や挫折は欠かせません。 それらは私たちを傷つけますが、同時に、他人の痛みを理解するための「優しさ」と、困難を乗り越えるための「強さ」を与えてくれます。
麻酔科医として、病気や怪我で苦しむ患者さんと向き合う時、私のアスリートとしての挫折の経験が、彼らに寄り添うための糧となっています。「どんなに苦しくても、必ず明日は来る」という信念を、私は自分の失敗から学びました。
結びに代えて:あなたの「メダル」を見つけてください
最後にお伝えしたいのは、人生の「メダル」は、決して首にかける金属の輪だけではないということです。
- 誰かを笑顔にした時の、その人の表情。
- 困難な仕事を見事にやり遂げた時の、自分への信頼感。
- 子供の成長を見守る、穏やかな時間。
- そして、誰にも見られていないところで、自分に嘘をつかずに努力したという自負。
これらすべてが、あなたの人生における「金メダル」です。
人生で一番大事なことは、「自分が授かった才能や時間を、惜しみなく世の中に還元し、その過程で出会う人々と心を通わせること」です。
私はこれからも、麻酔科医として一人ひとりの患者さんに全力を尽くします。それは、かつてプールで100分の1秒を追い求めたのと同じ熱量です。形は変わっても、情熱の注ぎ先を変えれば、人生は何度でも輝き始めます。
あなたも、あなたにしか歩めない最高のレースを泳ぎ切ってください。たとえ途中で水を飲んでしまっても、コースを外れそうになっても、何度でも立て直し、ゴールを目指して手を伸ばし続けてください。
その手の先には、必ずあなたが求めている「本当の価値」が待っています。
心からのエールを送ります。
ジェニー・トンプソン