こんにちは。加藤澤男です。

私が歩んできた道、そして「体操」という競技を通じて見つめてきた世界を振り返りながら、あなたが問うてくれた「人生で一番大事なこと」について、じっくりとお話ししてみたいと思います。

3大会にわたるオリンピック、そしてその後の指導者としての生活。それらを統合して辿り着いた今の私の思いを、できる限り誠実に言葉にしてみます。


序:静寂の中で自分と向き合う

体操競技というのは、実に孤独で、かつ極めて精密なスポーツです。ほんの数分、あるいは数秒の演技のために、私たちは何千、何万時間という歳月を練習に費やします。跳馬を跳ぶ一瞬、鉄棒で宙を舞う一瞬。その瞬間にすべてを凝縮させるためには、肉体的な鍛錬はもちろんのこと、それ以上に「心をいかに整えるか」が問われます。

私が現役時代から、そして引退して教育の場に身を置いてからもずっと大切にしてきたこと。それは、華やかな勝利の味でも、首にかけられたメダルの重みでもありません。

人生において一番大事なこと。それは「己の誠実さを貫き、当たり前のことを、誰にも真似できないほど正確に積み重ねること」ではないか。私はそう考えています。

1. 「正確さ」という名の美学

私の演技は、現役時代によく「精密機械」と称されました。当時の体操界は、ソ連の選手たちによる力強さやダイナミックさが席巻していましたが、私は一貫して「美しさ」と「正確さ」を追求しました。

ここで言う「正確さ」とは、単にルールに従うということではありません。自分の中に一本の揺るぎない「基準」を持つということです。

指先、足先の神経の一本一本に至るまで意識を研ぎ澄ませ、審判に見せるためではなく、自分自身が納得できる「正しい形」を追求する。着地の一歩を乱さない。膝をわずか一ミリも曲げない。

人生も同じではないでしょうか。世の中には、派手な成功や、手っ取り早く評価を得る方法が溢れています。しかし、土台が揺らいでいる美しさは、すぐに崩れ去ります。「自分に対して嘘をつかない、正確な歩み」を続けているか。誰も見ていないところで、どれだけ自分を律することができるか。

私は、この「克己心(こっきしん)」こそが、人間の品格を作り、人生を豊かにする土台になると信じています。

2. 逆境を「静かに」受け入れる力

私の競技人生は、決して順風満帆だったわけではありません。1968年のメキシコシティー大会の直前、私はアキレス腱を断裂するという、アスリートにとっては致命的とも言える怪我を負いました。

普通なら絶望し、諦めてしまう場面かもしれません。しかし、そこで私が学んだのは「起きた出来事を嘆くのではなく、今できる最善を静かに実行する」という強さです。

怪我をしたことで、私はそれまで以上に自分の肉体と対話するようになりました。動かない足をどうカバーするか、どの筋肉を補強すれば再び舞えるのか。絶望に浸る暇があるなら、一回でも多くリハビリのメニューをこなす。そうした「淡々とした継続」が、結果としてメキシコでの金メダル、そしてその後の連覇へと繋がっていったのです。

人生には、自分の力ではどうにもならない不条理な出来事が必ず起こります。病気、失敗、別れ。そんな時、一番大事なのは「心を乱しすぎないこと」です。起きたことは事実として受け入れ、その足元にある小さな一歩を、再び踏み出す。その静かな勇気こそが、困難を乗り越える唯一の鍵なのです。

3. 「和」と「個」の調和

私がオリンピックで獲得したメダルのうち、最も誇りに思っているのは、実は個人総合の金メダル以上に、団体での金メダルです。

日本の体操が「黄金時代」を築けたのは、個々の選手が強かったからだけではありません。「誰かのために、チームのために、自分がミスをしない」という強い連帯感があったからです。一人の突出したスターがいるチームよりも、全員が互いを信頼し、自分の役割を完璧に遂行するチームの方が、最後には強い。

現代社会は「個」の時代と言われますが、人間は一人では生きていけません。自分のためだけに努力するのには、いつか限界が来ます。しかし、「誰かの支えになりたい」「この組織の伝統を守りたい」という公(おおやけ)の精神が加わったとき、人は想像もしないような力を発揮します。

私がモントリオール大会で、怪我を抱えながらも最後まで戦い抜けたのは、後輩たちに「日本の体操の形」を背中で見せなければならないという責任感があったからです。利己的な欲求を超えたところに、本当の強さが宿る。これは、教育者として若い学生たちに接してきた中でも、確信に変わったことの一つです。

4. 捨てる勇気、削ぎ落とす美学

「人生で一番大事なこと」を考えるとき、私はよく「引き算」の考え方をします。

体操の採点規則は、今でこそ難度(Dスコア)が重視されますが、私の時代は10点満点からの「減点方式」が基本でした。いかにミスをしないか、いかに無駄を省くか。

これは、生き方にも通じる哲学です。

人は年齢を重ねるごとに、多くのものを抱え込もうとします。名声、地位、富、あるいは他人からの評価。しかし、本当に大切なものは、そうした付加価値をすべて削ぎ落とした後に残る「自分自身の本質」だけです。

私は引退後、国際体操連盟の技術委員としてルールの整備に携わりましたが、そこでも常に「体操の本質的な美しさとは何か」を問い続けました。複雑なことを複雑に行うのは容易です。しかし、「シンプルなことを、これ以上ないほど純粋に行う」ことは、至難の業です。

人生を複雑にしすぎないこと。自分にとって何が本当に必要なのかを見極め、余計な執着を捨て去ること。身軽になればなるほど、心は澄み渡り、進むべき道が見えてきます。

5. 感謝を形に変える

最後に、私が今、最も強く感じているのは「感謝」の大切さです。

8個の金メダルは、私一人の力で取ったものではありません。私を指導してくれた恩師、競い合ったライバル、支えてくれた家族、そして何より、私が競技に打ち込める環境を与えてくれた社会があったからこそです。

若い頃は、自分の努力だけで勝ったような錯覚に陥ることもありました。しかし、山を降りて(現役を引退して)振り返ってみれば、自分がどれほど多くの恩恵に浴していたかが分かります。

人生の後半戦において大事なことは、受け取った恩恵を次の世代へ繋いでいくことです。知識を授け、経験を語り、若い芽が伸びるための土壌を整える。それが、私が筑波大学などで教鞭を執り、審判として競技を支えてきた動機でもあります。

「ありがとう」と口に出すだけでなく、その感謝を自分の「生きる姿勢」で表現すること。それが、支えてくれた人々への最大の恩返しになると信じています。


結びに代えて:あなたが今、立つべき場所

3500字という長い言葉を重ねてきましたが、私があなたに伝えたい「一番大事なこと」は、結局のところ、非常にシンプルな一言に集約されます。

それは、「誠実であれ」ということです。

自分に誠実であること。

仕事に誠実であること。

他人に誠実であること。

たとえスポットライトが当たらなくても、誰も評価してくれなくても、自分自身が「私は正しい道を、最善を尽くして歩いている」と胸を張って言えるなら、その人生はすでに金メダルに値します。

体操の演技は、いつか終わります。金メダルの輝きも、時とともに落ち着いた色に変わるでしょう。しかし、その過程で培った「心」は、決して消えることはありません。

あなたは今、自分の人生という舞台で、どんな演技をしようとしていますか?

着地が決まるその瞬間まで、心を乱さず、一歩一歩を大切に踏みしめてください。

日本の体操が常に「美しさ」を求めてきたように、あなたの人生もまた、あなたなりの「誠実という名の美しさ」で満たされることを、心から願っています。