こんにちは。私はイザベル・ヴェルトです。
馬術の世界、特に馬場馬術(ドレスセージ)という過酷で、かつ限りなく繊細な競技の世界で30年以上歩み続けてきました。オリンピックや世界選手権で多くのメダルを手にし、人々から「女王」と呼ばれることもありますが、私自身の中にあるのは、常に一頭の馬と向き合う一人の乗り手としての静かな情熱です。
あなたが「人生で一番大事なことは何か」と問うてくださったこと、心から感謝します。私のこれまでの経験、馬たちから教わった知恵、そして数えきれないほどの砂塵と栄光の中から見出した、私なりの答えをお話しします。
3500字という長いお手紙になりますが、どうぞ馬の歩調に合わせるように、ゆっくりと読み進めていただければ幸いです。
1. 「信頼」という名の見えない手綱
人生において最も大切なこと、その第一に私が挙げるのは「他者(あるいは対象)との深い信頼関係」です。
馬場馬術という競技は、1トン近い体重を持つ馬と、わずか数十キロの人間が、あたかも一つの生命体であるかのように舞うスポーツです。そこには力による強制は存在しません。あるのは、目に見えないほど微細な合図と、それに応えようとする馬の意思だけです。
私はこれまで、ジゴロ、サッチモ、ベラ・ローズ、そしてウェンディといった素晴らしいパートナーたちと歩んできました。彼らはそれぞれ異なる性格を持ち、異なる不安を抱えていました。彼らと心を通わせるために必要だったのは、テクニックではなく「信頼」でした。
信頼とは、一朝一夕に築けるものではありません。毎朝5時に厩舎へ行き、馬の状態を確かめ、言葉の通じない彼らの耳の動きや瞳の輝きから、その日の体調や気分を読み取る。そうした「徹底した対話の積み重ね」こそが、困難な局面で自分を助けてくれる唯一の絆になります。
これは人間関係、あるいは仕事においても同じではないでしょうか。相手が何を求めているのか、何に怯えているのかを深く理解しようとする努力。その誠実さこそが、人生の土台となるのです。
2. 「忍耐」と「時間」の価値を知ること
次に大切なのは、「時間をかけることを厭わない忍耐強さ」です。
現代社会は、効率やスピードを重視しすぎる傾向にあります。しかし、真に価値のあるもの、特に「魂の成長」や「卓越した技術」は、決してショートカットできません。
一頭の馬をグランプリレベルまで育てるには、最低でも数年の歳月が必要です。筋肉を鍛え、リズムを教え、精神的な成熟を待つ。焦って無理なトレーニングを課せば、馬の心は壊れてしまいます。私は、馬が自分から「やりたい」と思うようになるまで待つことを学びました。
人生も同じです。結果を急ぐあまり、プロセスを軽視してはいけません。「正しいプロセスを積み重ねていれば、結果は後から自然についてくる」。これは私の信念です。たとえ今、自分の進歩が止まっているように感じられたとしても、それは次のステップへ進むための「熟成期間」なのです。
忍耐とは、ただ耐えることではありません。静かな情熱を絶やさず、淡々と、しかし確実に前進し続ける力のことです。
3. 「失敗」を尊い教師として迎え入れる
私のキャリアは決して順風満帆ではありませんでした。致命的なミスを犯したこともあれば、愛馬の怪我に涙したこともあります。また、時には厳しい批判にさらされることもありました。
しかし、今振り返って断言できるのは、「成功よりも失敗から学んだことの方が圧倒的に多い」ということです。
金メダルを獲得した瞬間、確かに喜びはありますが、そこにあるのは「確認」です。それまでの努力が正しかったという確認。一方で、予期せぬ敗北や挫折は、私に「変化」を促します。なぜ上手くいかなかったのか、自分に何が足りなかったのか。それを真摯に分析し、自分を作り直すプロセスこそが、私をより高いレベルへと引き上げてくれました。
失敗を恐れて守りに入ってはいけません。馬が障害を飛び越えるとき、一瞬の不確実性を受け入れなければならないように、人生の飛躍にもリスクはつきものです。失敗したときに自分を責めるのではなく、「さて、この経験から何を学べるだろうか?」と問いかける強さを持ってください。
4. 「規律」が生み出す自由
多くの人は、規律やルーティンを「束縛」だと感じます。しかし、プロフェッショナルとして長年活動してきた私の実感は逆です。「厳格な規律こそが、真の自由を生む」のです。
私は毎日、決まった時間に起床し、決まった順番で馬たちと向き合います。このルーティンは、私の心を安定させ、直感力を研ぎ澄ませてくれます。体調が優れない日も、天候が悪い日も、変わらずに厩舎へ向かう。この「一貫性」が、自分自身への信頼に繋がります。
馬術の演技において、馬が完全にリラックスし、かつエネルギッシュに動く「軽快さ(Lightness)」という状態があります。これは、厳しい基礎訓練という「規律」をクリアした先にのみ現れる、魔法のような自由な瞬間です。
人生においても、自分の中に揺るぎない規律を持つことで、迷いが消え、いざという時に大胆な決断を下す自由が得られるのです。
5. 「謙虚さ」という究極の知性
どれだけ多くのタイトルを勝ち取っても、私が忘れないようにしているのは「謙虚であること」です。
馬の前に立てば、私はただの一人の人間に過ぎません。馬は私のメダルの数など気にしません。彼らが求めているのは、今この瞬間の、誠実で安定した私の心だけです。傲慢さが芽生えた瞬間、馬との対話は途絶えます。
「自分はすべてを知っている」と思った瞬間、成長は止まります。世界は常に変化し、新しい知識や感性が生まれています。私は50歳を過ぎた今でも、若いライダーから刺激を受けますし、新しい馬との出会いによって自分の技術をアップデートし続けています。
「常に学ぶ姿勢を忘れないこと」。これこそが、長く第一線で走り続けるための秘訣であり、人生を豊かに彩るエッセンスです。
6. 「愛」と「情熱」を燃料にする
最後に、そして最も根源的に大事なことは、「自分がしていることを心から愛する」ということです。
私の毎日は、肉体的にハードです。冬の寒い朝も、夏の厳しい日差しの中でも、泥にまみれて活動します。それでも私がこの道を続けているのは、馬という存在を、そして彼らと心が通い合うあの瞬間を、心の底から愛しているからです。
情熱がなければ、困難を乗り越えることはできません。義務感だけで動く人は、どこかで限界が来ます。しかし、愛を持って取り組む人は、限界を軽々と超えていけます。
あなたの人生において、あなたが心から「美しい」と感じ、時間を忘れて没頭できるものは何ですか? もしそれが見つかっているなら、それを何よりも大切にしてください。もし、まだ見つかっていないのなら、それを見つけるための旅を諦めないでください。
結びに代えて:あなたへのメッセージ
人生で一番大事なこと。それは、「自分という存在を、誠実なプロセスの中に置き続けること」だと私は考えます。
結果がどうあれ、他人がどう評価しようあれ、あなたが自分自身の手で、一つひとつの信頼を築き、時間をかけて自分を磨き、失敗を糧にして立ち上がる。その歩みそのものが、あなたの人生の「金メダル」なのです。
馬術には「ハルモニー(調和)」という言葉があります。自分と他者、自分と環境、そして自分と自分自身。そのすべてが美しく調和する瞬間を目指して、今日という日を大切に歩んでください。
私は今日も、厩舎へ向かいます。新しい馬との対話が、私を待っています。あなたも、あなた自身の「人生という名の馬場」で、最高の演技を披露されることを心から願っています。
イザベル・ヴェルト
いかがでしたでしょうか。彼女の哲学を通じて、あなたの心に響く言葉が一つでもあれば幸いです。