伊藤忠商事の都梅博之として、私の歩んできた道、そして商社という荒波の中で培ってきた信念に基づき、「人生で一番大事なこと」についてお話しさせていただきます。
はじめに:商社マンとして、一人の人間として
私は1982年に伊藤忠商事に入社しました。それから40年以上の月日が流れ、世界は激動の時代を駆け抜けてきました。プラント、船舶、航空機、自動車といった「機械」という目に見える大きなプロダクトを扱いながら、私が常に問い続けてきたのは「ビジネスの根幹にあるものは何か」ということです。
多くの人は、商社の仕事を「安く買って高く売る」「口銭を稼ぐ」といった数字のゲームのように捉えるかもしれません。しかし、副社長として経営の一翼を担い、また機械カンパニーのプレジデントとして現場を指揮してきた経験から、私は確信を持って言えることがあります。
人生で一番大事なこと。それは、「誠実さを基盤とした『信頼の連鎖』を築き上げること」、そして「いかなる逆境においても逃げずに、現場で泥をかき分ける情熱を持ち続けること」です。
これは単なる綺麗な言葉ではありません。私が中東、アフリカ、欧州といった異国の地で、文化も価値観も異なる人々を相手に、巨額のプロジェクトを動かそうともがいてきた中で得た、血の通った結論です。
1. 「現場」が教えてくれた、信頼の重み
私のキャリアの多くは海外、それも一筋縄ではいかない地域での駐在経験に彩られています。ドバイ、ナイジェリア、ロンドン、南アフリカ。特に若い頃のアフリカや中東での経験は、私の血肉となっています。
機械ビジネス、特にプラントやインフラのプロジェクトは、完成までに数年、長ければ十数年という歳月を要します。その間には、現地の政情不安、経済危機、予期せぬトラブルが必ずと言っていいほど発生します。契約書(ペーパー)は重要ですが、本当に事態を動かすのは、契約書に書かれた文言ではなく、「都梅が言うなら、もう一度信じてみよう」と思ってもらえるかどうかの人間関係です。
人生において最も価値のある資産は、銀行の預金残高でも、立派な役職でもありません。「あの人は信頼に値する」という、周囲からの評価の積み重ねです。
信頼を得るためには、まず自分が「誠実」であること。嘘をつかない、約束を守る、そして相手の困りごとに自分事として向き合う。当たり前のことのように聞こえますが、これを徹底し続けることは非常に困難です。しかし、この「誠実さの継続」こそが、人生の土台を盤石にする唯一の方法なのです。
2. 伊藤忠のDNA「三方よし」を生きる
わが社には、近江商人の哲学である「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」という言葉が深く根付いています。私は、この精神はビジネスだけでなく、人生そのものに適用すべき真理だと考えています。
自分の幸福だけを追い求めても、それは長くは続きません。一方で、自己犠牲ばかりでは持続可能性がありません。自分も満たされ、相手も喜び、そしてその営みが社会全体にとってプラスになる。この絶妙な均衡点を探り続けるプロセスこそが、豊かな人生を創り出します。
私が機械カンパニーで取り組んできたのは、単に機械を売ることではありません。その機械が動くことで、その国の産業が発展し、雇用が生まれ、人々の生活が豊かになる。その循環が見えたとき、仕事は単なる「稼ぎ」を超えて「使命」に変わります。
人生においても同じです。自分の才能や時間を、どうすれば他者や社会の役に立てられるか。その視点を持つことで、悩みや迷いは「どう貢献するか」という前向きな課題へと昇華されます。「誰かのために」という動機こそが、人間を最も強く、そして幸福にするのです。
3. 「不屈の精神」と、やり抜く力
人生には、自分の力ではどうしようもない困難が必ず訪れます。ビジネスであれば、巨額の損失を出すリスクに直面したり、信頼していたパートナーに裏切られたりすることもあるでしょう。
そんな時、一番大事なのは「逃げないこと」です。
私はこれまで、数多くの困難な交渉の場に立ってきました。言葉の通じない相手、理不尽な要求、絶望的な状況。しかし、そこで背中を見せたら終わりです。泥臭く現場に留まり、相手の目を見て話し合い、解決の糸口を執拗に探し続ける。この「しつこさ」こそが、商社マンの、ひいてはリーダーの資質です。
「もうダメだ」と思ったその一歩先に、成功の種が落ちていることが多々あります。諦めるのは簡単ですが、やり抜いた経験は、その後の人生において揺るぎない自信となります。苦しい時こそ、「ここが自分の器を広げるチャンスだ」と捉える。ポジティブな意味での「鈍感さ」と「強靭さ」を併せ持つことが、荒波を乗り越える鍵となります。
4. 変化を恐れず、常に「未完成」であること
私は2025年4月からCOO補佐という重責を担うことになります。60代を超えてなお、新しい挑戦の場を与えられることに、身が引き締まる思いです。
ここで痛感するのは、人生に「完成」はないということです。世界は凄まじいスピードで変化しています。デジタルトランスフォーメーション(DX)、脱炭素(GX)、地政学リスクの変容。過去の成功体験に固執することは、そのまま衰退を意味します。
人生で大事なことの一つに、「学び続ける謙虚さ」を挙げたいと思います。
どんなに高い地位に就いても、若手社員から学ぶ姿勢を忘れない。異分野の知見に耳を傾ける。自分の常識を疑ってみる。常に「自分はまだ何も分かっていない」という健全な危機感を持つことが、人を成長させ続けます。好奇心を失った瞬間から、人生は色褪せてしまいます。新しいものに触れ、驚き、挑戦する。その心の若々しさが、周囲を惹きつけ、新しい縁を運んできてくれるのです。
5. 次世代への継承:恩送りの精神
私が今日あるのは、厳しいながらも温かく指導してくれた先輩方、そして苦楽を共にしてきた同僚や部下、さらには世界中のビジネスパートナーのおかげです。
人生の後半戦において、私にとっての「一番大事なこと」の比重は、自分の成功から「次世代の育成」へと移ってきました。
私が培ってきた知見や人脈、そして「商売の魂」をどうやって若い世代に伝えていくか。彼らが失敗を恐れずに挑戦できる舞台をどう整えるか。それが私の今の使命です。
人間は一人で生きているのではありません。先人から受け取ったバトンを、より良い形で次の走者に渡す。この「恩送り」の連鎖の中に自分を位置づけることで、人生はより大きな意味を持つようになります。自分の名前が残ることよりも、自分の関わった組織や人々が、自分が去った後も輝き続けること。それこそが、リーダーとしての、そして一人の人間としての真の勝利ではないでしょうか。
結びに:一瞬一瞬に真剣に向き合う
長々とお話ししてきましたが、結局のところ、人生で一番大事なことは、「今日という一日、目の前の一人、任された一つの仕事に対して、どれだけ真剣に、誠実に向き合えるか」という一点に集約される気がします。
大きな目標を持つことは大切ですが、それは日々の小さな積み重ねの延長線上にしかありません。朝起きてから夜眠るまで、自分が発する言葉、取る行動が、信頼に値するものか。誰かを笑顔にしているか。社会を少しでも良くしているか。
伊藤忠商事は「ひとりの商人、無数の使命」というスローガンを掲げています。これは私たち社員一人ひとりが、高い志を持って、それぞれの現場で責任を果たすという決意の表れです。
私の人生も、まだ道半ばです。これからも「機械のプロ」として、そして「経営者」として、現場の感覚を忘れず、誠実さを武器に突き進んでいくつもりです。
皆さんも、どうぞ自分の可能性を信じてください。困難を恐れず、人との繋がりを大切にし、自分なりの「三方よし」を体現していってください。その誠実な歩みの先に、必ずや豊かな、納得のいく人生が待っているはずです。
共に、この変化の時代を力強く歩んでいきましょう。
以上が、私の考える「人生で一番大事なこと」です。
都梅 博之