トヨタ自動車の豊田章男です。
「人生で一番大事なことは何か」という問いをいただきました。本来であれば、サーキットのピットや、汗の流れる工場の現場で、エンジンの音を聴きながら語り合いたいところですが、今日はこうして言葉を通じて、私という一人の人間が歩んできた道、そして「モリゾウ」として感じてきたことを、心を込めてお伝えしたいと思います。
3,500字という限られた中ではありますが、私がこれまでの人生で、時に悩み、時に涙し、そして多くの仲間と笑顔を共有する中でたどり着いた「答え」を綴らせていただきます。
1. 「自分は何者か」という問いとの闘い
私の人生を振り返るとき、避けて通れないのは「豊田」という名字です。
家業が日本を代表する企業であるということは、一見、恵まれた環境に見えるかもしれません。しかし、若い頃の私にとって、それは大きな「重圧」であり、時に「逃げ出したい影」でもありました。
何をやっても「豊田家の人間だから」と言われる。失敗すれば「やはりお坊ちゃんだ」と揶揄され、成功すれば「周りが忖度しただけだ」と片付けられる。私は、自分自身の存在意義をどこに見出せばいいのか、ずっともがいていました。
そんな私が、人生で最初に学んだ「大事なこと」は、「肩書きや名字ではなく、一人の人間として、自分の腕(スキル)と情熱で勝負する」ということでした。
私が「モリゾウ」としてハンドルを握り、レースに出るようになったのも、そこが「豊田章男」という肩書きが一切通用しない世界だったからです。サーキットでは、速いか遅いか、そして車を壊さずに戻ってこられるか。それだけが評価のすべてです。そこで初めて、私は「自分」という個体で世界と向き合う感覚を掴みました。
人生で大事なこと。それは、「自分が何者であるか」を他人に決めさせるのではなく、自分自身の行動と情熱で証明し続けることだと思います。
2. どん底で知った「信頼」という絆
2009年に社長に就任した直後、トヨタは大規模なリコール問題に直面し、私は米国公聴会に呼ばれました。あの大広間で、厳しい追及の矢面に立った時の孤独感は、今でも忘れることができません。
あの時、私を救ってくれたのは、優れた経営戦略でも、潤沢な資金でもありませんでした。世界中のディーラー、工場の従業員、そしてトヨタ車を愛してくださるお客様からの「アキオ、頑張れ」「私たちはあなたを信じている」という言葉でした。
私はあの時、公聴会の最後に涙を流しました。それは悔しさではありません。「信頼」というものが、これほどまでに温かく、そしてこれほどまでに守るべき尊いものなのかと、魂が揺さぶられたからです。
企業にとって一番大事なものは「数字」ではありません。ましてや「シェア」でもない。一番大事なのは、「あの人が言うなら間違いない」「あの会社の車なら安心だ」と言っていただける「徳」を積むこと、すなわち「信頼」を築き上げることです。
これは個人の人生でも同じです。どれだけ地位を築き、財産を得たとしても、最後に隣に誰もいなければ、それは寂しい人生です。ピンチの時に、損得抜きで手を差し伸べてくれる仲間が何人いるか。それが、その人の人生の豊かさを決めるのだと私は確信しています。
3. 「現地現物」が教えてくれる真実
私が大切にしている言葉に「現地現物(げんちげんぶつ)」があります。
理屈やデータは大切ですが、それだけでは本質は見えません。実際に現場に行き、現物に触れ、そこで働く人の声を聞く。そこにしか真実は落ちていないのです。
人生において、頭だけで考えて「わかったつもり」になるのが一番の罠です。
私は今でも、新しい車が開発されれば、まず自分でハンドルを握ります。センサーが検知する数値よりも、自分の手掌(てのひら)に伝わる感覚、腰に感じる挙動、そして何より「この車を運転して楽しいか?」という心の声を信じています。
「自分の体感」を大切にすること。
世の中には情報が溢れています。SNSで誰かが言ったことや、AIが弾き出した正解が正しいように思えてしまう。しかし、あなたの人生のハンドルを握っているのは、あなた自身です。
自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の心で感じたこと。その「一次情報」こそが、あなたの人生を形作る血肉となります。誰かの言葉を鵜呑みにせず、現場に足を運ぶ泥臭さを忘れないでください。その泥臭さの先にしか、本物の「知恵」は宿りません。
4. 「誰かのために」という動機が、限界を超える力をくれる
トヨタのミッションは「幸せを量産する(Producing Happiness for All)」です。
「車を作る会社」から「モビリティ・カンパニー」へ変革しようとしているのも、すべては「移動の自由をすべての人に届けたい」という願いがあるからです。
自分のためだけに頑張ることには、いつか限界が来ます。
「自分が金持ちになりたい」「自分が有名になりたい」という動機は、ガソリンで言えばハイオクかもしれませんが、タンクが小さいのです。
しかし、「この人のために」「この町のために」「未来の子供たちのために」という動機は、無限に湧き出るエネルギー源になります。
私が苦しい時、何度も自分に言い聞かせてきたのは、「私は、トヨタで働く37万人の仲間とその家族、そして仕入れ先の方々の生活を守る責任がある」ということでした。この「誰かのために」という利他の心が、私に一歩踏み出す勇気をくれました。
皆さんも、自分の才能や時間を、ほんの少しだけでいいので「誰かの笑顔」のために使ってみてください。感謝の言葉が返ってきたとき、自分自身が一番満たされていることに気づくはずです。
5. 失敗を恐れず、「意志」ある変化を選び続ける
今の自動車産業は、100年に一度の大変革期にあります。
昨日までの正解が、今日は不正解になる。そんな時代を生き抜くために必要なのは、「変化を楽しむ勇気」です。
私はよく「バッターボックスに立ち続ける」という表現を使います。
三振を恐れてバットを振らなければ、ヒットは絶対に生まれません。私は社長時代、多くの挑戦をし、それと同じ数だけ失敗もしてきました。しかし、失敗を「経験」と呼び変え、そこから学んで次に活かすことができれば、それはもはや失敗ではありません。
現状維持は、後退と同じです。
もし、皆さんが「どちらの道に進むべきか」と迷ったら、「より困難だが、ワクワクする方」を選んでください。自分の「意志」で選んだ道であれば、たとえ結果が思わしくなくても後悔はしません。
人生の最後に、「あの時、挑戦しておけばよかった」と振り返るほど悲しいことはありません。やりたいことがあるなら、今すぐやってみる。会いたい人がいるなら、今すぐ会いに行く。動かなければ、景色は変わりません。
結論:人生で一番大事なこと
長くなりましたが、私がたどり着いた「人生で一番大事なこと」をまとめます。
それは、「自分にしかできない役割を見つけ、感謝の心を持って、誰かの幸せのために情熱を燃やし続けること」です。
- 自分に嘘をつかない。(情熱)
- 現場を大切にする。(真実)
- 仲間を信じ、感謝する。(信頼)
- 変化を恐れず、挑み続ける。(意志)
これらはすべて繋がっています。
私は今、会長という立場になり、次世代にバトンを渡しました。しかし、私の「車が大好きだ」という情熱や、「世の中をもっと良くしたい」という意志は、現役時代よりも熱く燃えています。
人生という長いレースには、雨の日もあれば、霧で前が見えない日もあります。スピンしてコースアウトすることもあるでしょう。でも、そんな時はピットに戻って、仲間に支えてもらえばいい。そしてまた、エンジンをかけ直してコースに戻ればいいのです。
あなたの人生の「マスタードライバー」は、あなた自身です。
どうか、あなたらしい素晴らしいエンジン音を響かせて、人生というワインディングロードを駆け抜けてください。
私も、いちクルマ好きの親父として、そして同じ時代を生きる仲間として、あなたの挑戦を心から応援しています。
さあ、エンジンをかけましょう。
Keep on Driving!