私は柳井一海として、私自身のこれまでの歩み、そしてファーストリテイリングという巨大な組織の中で「経営」と「継承」に向き合う中で辿り着いた、人生で最も大切にしている信念についてお話しします。
本来、私は表舞台で自らの哲学を饒舌に語るタイプではありません。しかし、もし「人生で一番大事なことは何か」と問われれば、迷わずにこう答えます。
それは、「自己の役割を客観視し、公器としての自分を完成させること」です。
3,500字という限られた枠組みの中で、この言葉の真意と、そこに至るまでの思考のプロセスを深く掘り下げていきたいと思います。
1. 「何者でもない自分」からの出発
私の人生を語る上で、父・柳井正という存在を避けて通ることはできません。ユニクロというブランドを世界規模に成長させた父は、圧倒的なカリスマであり、稀代の経営者です。そのような家庭に生まれた私にとって、幼少期から青年期にかけての最大のテーマは「自分は何者か」というアイデンティティの確立でした。
大学を卒業し、ゴールドマン・サックスという厳しいプロフェッショナルの世界に身を置いたのは、父の影がない場所で、一人のビジネスパーソンとしてどれだけ通用するかを試したかったからです。そこで学んだのは、徹底的なロジック、結果に対するシビアな責任、そして「数字は嘘をつかない」という現実でした。
しかし、外の世界で経験を積めば積むほど、逆説的に「ファーストリテイリング」という組織が持つ社会的影響力の大きさと、そこに関わる宿命を強く意識せざるを得なくなりました。私は、個人の成功や名声のために生きる段階を過ぎ、より大きな「何か」のために自分を役立てるべきではないか。そう考え、2009年に父の会社に入る決意をしました。
2. 「私(わたくし)」を捨て、「公(おおやけ)」に生きる
ファーストリテイリングに入社して以来、私が常に自問自答してきたのは、「オーナー家の一員として何ができるか」ではなく、「この会社が永続するために、私はどうあるべきか」ということです。
多くの同族企業が直面する罠は、経営を「家業」として私物化してしまうことにあります。しかし、私たちが展開しているビジネスは、世界中の人々の生活を支えるインフラです。それはもはや一家族のものではなく、社会の「公器」です。
人生で一番大事なこととして挙げた「自己の役割を客観視する」とは、言い換えれば「私(わたくし)」というエゴを削ぎ落としていく作業です。
自分がどう見られたいか、自分が何を成し遂げたと言われたいか。そうした個人的な欲望を捨て、組織全体が正しい方向に進むための「一つの機能」に徹する。この「公に生きる」という覚悟こそが、経営に携わる者、あるいは大きな責任を背負う人間にとって最も必要な資質だと考えています。
3. 現実を直視する勇気
父・柳井正はよく「現実を直視せよ」と言います。これは言葉で言うほど簡単なことではありません。人間は誰しも、自分にとって都合の良い解釈をしたくなる生き物だからです。
私がリンク・セオリー・ジャパンの会長や、グループの執行役員として現場を視察する際、最も大切にしているのは、美化された報告書ではなく「不都合な真実」を見つけ出すことです。
- 店頭でお客様が本当に満足しているか。
- 従業員が誇りを持って働いているか。
- 私たちの服は、本当に世界を良い方向に変えているか。
これらを直視し、理想と現実のギャップを埋めるために泥臭く動き続けること。人生において、高い理想を掲げることは素晴らしいですが、それ以上に「今、ここにある現実」から逃げずに、一歩ずつ改善を積み重ねる誠実さこそが、真の成果を生みます。
「商売」とは、お客様との約束を守り続けるという、極めてシンプルで終わりのない営みです。その本質を忘れたとき、人生も経営も迷走し始めます。
4. 変化を恐れず、本質を維持する
「LifeWear」というコンセプトを掲げる私たちは、服を変え、常識を変え、世界を変えようとしています。そのためには、私たち自身が誰よりも変化し続けなければなりません。
しかし、ここで重要な矛盾に突き当たります。それは「変えてはいけない本質」を守るために、「手段」を変え続けるという視点です。
人生も同じです。自分の根底にある志や誠実さといった「本質」を守り抜くためには、時代に合わせて自分のスキルや考え方をアップデートし続けなければなりません。現状維持は退化と同じです。
私が取締役として注力しているガバナンス(企業統治)の強化も、まさにこの「変化と本質」のバランスを取る作業です。創業者が作り上げた強力なリーダーシップという遺産を、いかにしてシステムとして体系化し、次の世代へ繋いでいくか。これは、自らが先頭に立って旗を振ること以上に、忍耐と知性を必要とする仕事です。
5. 「継承」とは何か
よく「二代目」「三代目」という言葉で語られますが、私は「継承」をバトンの受け渡しだとは思っていません。それは、先代が築いた基盤の上に、新しい価値を創造し続ける「終わりのない創業」です。
人生において一番大事なことは、過去の栄光に縋ることでも、与えられた環境を享受することでもありません。自分が受け取ったものに対して、どれだけの付加価値をつけて次の世代に渡せるか。その「差分」こそが、自分の生きた証となります。
父がよく口にする「一勝九敗」という言葉があります。挑戦には失敗がつきものです。しかし、公器としての志を失わず、客観的な視点を持ち続けていれば、失敗はすべて「学び」に変換できます。
6. 結びに:謙虚さと志
最後に、私が日々自分に言い聞かせている言葉を共有します。
「偉大なる企業は、謙虚なリーダーによって維持される」
どれほど規模が大きくなろうとも、どれほど資産を持とうとも、人間一人の存在など高が知れています。だからこそ、自分を過信せず、常に周囲の声に耳を傾け、世界基準で物事を考える謙虚さが必要です。
私の人生で一番大事なこと。
それは、「自分という存在を、自分以上の大きな目的(社会の進歩や人々の幸せ)のために使い切ること」です。
ファーストリテイリングが、100年後も200年後も、世界中の人々から「あってよかった」と思われる企業であり続けるために、私はこれからも裏方として、時には監視役として、そして一人の経営者として、その役割を全うしていくつもりです。
派手な成功物語ではありません。しかし、この「自己を客観視し、役割に徹する」という生き方の中にこそ、揺るぎない平穏と、真に価値のある達成感が存在すると信じています。
これが、柳井一海としての私の答えです。