やあ。……急に「人生で一番大事なことは?」なんて聞かれると、ちょっと戸惑うね。

ぼくは哲学者でもないし、成功の法則を知っているビジネスマンでもない。ただ、小さなアトリエにこもって、音楽を大音量でかけながら、キャンバスの中の「あの子」とずっと対話を続けているだけの人間だから。

でも、そんな風に何十年も、ひとりで絵を描き、土をいじり、旅をしてきた中で、ぼくの心の中にずっと澱(おり)のように積み重なって、今では確信に近い形で見えてきたものはある。

それを言葉にするなら、「自分自身に対して、どこまでも正直であること。そして、その自分を孤独の中で守り抜くこと」……ということになるのかもしれない。

3500字も話せるかどうかわからないけれど、ぼくがこれまで何を見て、何を感じて、その結論に至ったのか。アトリエでコーヒーでも飲みながら、ぼくの独り言に付き合うような気持ちで聞いてほしい。


始まりは、北国の孤独だった

ぼくの原風景は、青森県弘前市の雪景色だ。

鍵っ子で、両親は共働き。年の離れた兄たちがいたけれど、家の中にはいつも「静寂」があった。ぼくはその静寂の中で、ひとりで遊ぶ術を身につけた。庭を走り回るわけでもなく、近所の子供たちとつるむわけでもなく、ただ動物や樹々と話をしたり、ラジオから流れてくる音楽に耳を澄ませたりしていた。

その頃のぼくにとって、世界は「自分」と「それ以外」に明確に分かれていた。

孤独だった。でも、それは決して寂しいことじゃなかったんだ。むしろ、孤独であることで、自分の中にある宇宙がどんどん広がっていく感覚があった。誰にも邪魔されず、自分の好きなレコードをかけ、空想にふける。その時間は、ぼくという人間の「芯」を作るための、とても大切な栄養素だった。

多くの大人は、子供に「友達をたくさん作りなさい」とか「みんなと仲良くしなさい」と言うよね。でも、ぼくは思うんだ。「ひとりでいられる力」こそが、人生を支える基礎になるんじゃないかって。

他人の声に耳を貸す前に、まず自分自身の心の声を聴くこと。

「自分は何が好きで、何が嫌いで、何に怒りを感じているのか」。

それを知るためには、群れの中にいてはいけない。孤独という聖域の中で、自分と徹底的に向き合う必要がある。人生で一番大事なことのひとつめは、この「自分と対話するための孤独」を恐れないことだ。

ドイツでの「言葉を失った日々」が教えてくれたこと

20代の終わり、ぼくはドイツに渡った。

そこで過ごした12年間は、ぼくの人生において決定的な意味を持っている。

なぜなら、そこでのぼくは「言葉を失った外国人」だったからだ。

ドイツ語が完璧に操れるわけじゃない。周囲の学生や教授たちと、深い議論ができるわけでもない。ぼくは再び、青森の少年時代と同じような「徹底的な孤独」の中に放り出された。

でも、その言葉が通じないもどかしさが、ぼくの表現を研ぎ澄ませてくれたんだ。

言葉が使えないからこそ、ぼくは絵を描くしかなかった。

誰かに説明するためじゃなく、自分の中に渦巻いている、名前のつかない感情を吐き出すために。

キャンバスに描かれた、あの鋭い目つきをした女の子たちは、当時のぼくそのものだった。

彼女たちは、世界を拒絶しているわけじゃない。ただ、「安易に理解されたくない」という強い意志を持って、自分自身の足で立っているんだ。

ぼくはそこで気づいた。

「表現」とは、自分をよく見せるための装飾ではなく、自分が自分であり続けるための「生存本能」なんだということ。

今の世の中、みんなSNSとかで「どう見られるか」ばかりを気にしている気がする。他人の「いいね」に自分を合わせ、トレンドを追いかけ、正解を探している。でも、そんな風に外側に自分をあけ渡してしまったら、最後に何が残るんだろう?

人生で一番大事なのは、世間が決めた「正解」をなぞることじゃない。たとえ不器用でも、自分の中にしかない「違和感」や「痛み」を無視せず、形にしていくこと。それが芸術家であっても、そうでなくても同じだ。

音楽が教えてくれた、目に見えない真実

ぼくの人生を語る上で、音楽、特にロックやフォーク、パンクは欠かせない。

10代の頃、英語もわからないのに海外のレコードを買い漁り、ジャケットに描かれた世界に想像を巡らせた。歌詞の意味はわからなくても、そこにある「叫び」や「優しさ」はダイレクトに伝わってきた。

音楽は、国境や言葉、そして時代さえも飛び越えていく。

ぼくが描く絵も、そうでありたいと願っている。

知識や理屈で理解するのではなく、見た瞬間に「あ、これは自分のことだ」と思ってもらえるような、魂の深い部分への共鳴。

パンク・ロックがぼくに教えてくれたのは、「NO」と言う勇気だ。

権威に対して、既成概念に対して、そして何より「嘘をついている自分」に対して、「NO」と言うこと。

それは単なる反抗じゃない。自分の尊厳を守るための、最も誠実な態度なんだ。

人生において、すべての人に好かれる必要なんてない。

むしろ、100人の「なんとなく好き」よりも、1人の「これがないと生きていけない」という強い共鳴を目指すべきだ。そのためには、自分を薄めてはいけない。自分の色を、濃く、深く、純粋に保ち続けること。それが結果として、一番遠くにいる誰かに届く唯一の方法なんだ。

3.11と、土に触れることの変化

2011年の東日本大震災は、ぼくの価値観を大きく揺さぶった。

目の前で故郷に近い風景が壊され、多くの命が失われた。

その時、ぼくは筆を握ることができなくなった。

「絵を描くことに、何の意味があるのか?」「自分の表現は、おままごとなんじゃないか?」

そんな無力感に襲われた。

それまでのぼくは、自分の内面へ、内面へと深く潜っていくような描き方をしていた。

でも、あの震災をきっかけに、ぼくは「自分以外の世界」や「過去から続く時間」について考えざるを得なくなった。

それからぼくは、粘土をいじり始めた。

絵は「目」と「脳」で描く部分が大きいけれど、粘土は「手」と「身体」で触れるものだ。

土に触れ、大きな塊と格闘する中で、ぼくの意識は自分という小さな枠を超えて、大地や先祖、そしてもっと大きな「命の流れ」に繋がっていく感覚を覚えた。

以前のぼくが描く女の子は、どこか挑発的で、世界と対峙していた。

でも今のぼくが描く彼女たちは、もう少し穏やかで、何かを慈しむような、あるいは遠い先を見つめているような目をするようになった。

それは、ぼくが年をとったからだけではないと思う。

「自分一人で生きているんじゃない」という謙虚さ。

自分という存在は、長い歴史のほんの一瞬の点に過ぎないけれど、その点として精一杯光ることが、過去から未来への責任なんだと感じるようになった。

人生で一番大事なことの三つめは、「自分のルーツや繋がりを意識しながら、今、この瞬間を丁寧に生きる」ということ。

大きな悲しみや困難に直面した時、人を救うのは、華やかな成功ではない。

土の匂い、風の音、誰かと交わした小さな言葉。そういう「身体感覚を伴う実感」こそが、ぼくたちを現実に繋ぎ止めてくれる。

「完成」しないことを楽しむ

ぼくは、自分の作品を「完成した」と思ったことがあまりない。

展覧会で飾られていても、「ああ、あそこをもっとこうすればよかった」と、いつも思っている。

でも、それでいいんだ。

人生も同じじゃないかな。

「こうなれば成功」「ここまで来ればゴール」なんていう終着点はない。

もしあったとしたら、それはもう終わりを意味する。

大事なのは、常に「過程」の中にいることだ。

常に未完成で、常に迷っていて、常に何かを探している。

その「揺らぎ」の中にこそ、クリエイティビティはあるし、生きている実感がある。

だから、若いうちに、あるいは人生の途中で「自分は何者でもない」と焦る必要はない。

何者かになることよりも、「何者かになろうとして足掻いている状態」を愛すること。

ぼくは今でも、小さな子供が砂場で城を作っているのと同じような気持ちで制作をしている。

出来上がった城が立派かどうかは二の次だ。

今、この瞬間の砂の感触に夢中になっていること。その純粋な没頭こそが、幸福の正体なんだ。

最後に伝えたいこと

長々と話してきたけれど、結局のところ、人生で一番大事なことなんて、人それぞれ違っていい。

ぼくの言葉が君に響かなくても、それは全く問題ない。

むしろ、ぼくの言葉に違和感を感じたら、その違和感を大切にしてほしい。それこそが、君自身の「心の声」なのだから。

ただ、もし君が今、孤独を感じていたり、周りに馴染めずに苦しんでいたりするなら、これだけは覚えておいてほしい。

その孤独は、君が自分自身として生きようとしている証拠だ。

無理に誰かと繋がろうとしなくていい。

無理に自分を曲げて、安っぽい笑顔を作らなくていい。

君がひとりで、暗闇の中で自分を見つめている時。

君が音楽に救われ、涙を流している時。

あるいは、何かに夢中になって時間を忘れている時。

その時、君は世界で一番「自由」なんだ。

ぼくは、そんな「自由な魂」を持った人たちのために、これからも絵を描き続けたいと思っている。

名前も知らない君と、キャンバスを通して、いつかどこかで深く共鳴できることを信じて。

人生は短い。

だからこそ、他人の人生を生きている暇はない。

「自分自身の感性を信じ切り、死ぬまで自分であれ」。

ぼくからのメッセージは、これに尽きる。

さて、そろそろアトリエに戻るよ。

お気に入りのレコードに針を落として、またキャンバスに向かわなきゃいけない。

君も、君だけの「大切なもの」を、君自身の目で見つけてほしい。

じゃあ、またどこかで。


奈良美智