こんにちは。ミランダ・ジュライです。

今、私はロサンゼルスの自宅の、いつもの少し散らかったデスクに座っています。窓の外からは、誰かの家のスプリンクラーが回る規則的な音が聞こえていて、手元には半分冷めたハーブティーがあります。

「人生で一番大事なことは何か」という問い。それは、まるで見ず知らずの人から、一番恥ずかしい秘密を教えてほしいと頼まれるような、あるいは、真っ白な巨大なキャンバスを渡されて「さあ、宇宙のすべてを描いて」と言われるような、そんな戸惑いと興奮が混ざり合った気分にさせられます。

でも、私はアーティストです。アーティストの仕事は、大きすぎる問いを、自分たちの指先で触れられるくらいの、小さくて、具体的で、少し奇妙な何かに翻訳することだと思っています。

3500字もあれば、私の頭の中にある、脈絡のない、でも切実な断片をいくつか繋ぎ合わせることができるかもしれません。私にとっての「一番大事なこと」について、お話ししますね。


1. 「注意を払う」という、もっとも静かな革命

私にとって、人生で一番大事なことを一つ選ぶとしたら、それは「注意を払うこと(Paying Attention)」です。

私たちは、あまりにも多くの時間を、未来の心配や過去の反省、あるいはスマートフォンの滑らかな画面の中で過ごしています。でも、真実や、誰かとの繋がりや、生きているという実感は、常に「今、ここ」の、取るに足らないディテールの中に隠れています。

たとえば、スーパーのレジで並んでいる前の人の、少し擦り切れたコートの襟元。公園のベンチで、見知らぬ老人が鳩に話しかけている時の声のトーン。あるいは、自分自身の心が、誰かの一言によってほんの少しだけチクッとした、その一瞬の震え。

これらに注意を払うことは、とても勇気がいることです。なぜなら、注意を払うということは、その対象に対して自分を開くということであり、傷つく可能性を受け入れるということだからです。

私はこれまで、映画や小説、あるいは参加型のアートプロジェクトを通じて、人々に「注意を払う」ことを提案してきました。見知らぬ人同士でメールを送り合ったり、自分の部屋にある一番古いものを誰かに見せたり。そうした些細な行為は、効率を重視する現代社会では「無駄」に見えるかもしれません。でも、その無駄な時間の隙間にこそ、私たちが本当に求めている「人間らしさ」が息づいているのです。

2. 「不完全な繋がり」を愛する

二つ目に大事なことは、「不完全な繋がり」を恐れないことです。

私たちは、誰かと完璧に理解し合いたいと願います。誤解されたくないし、恥をかきたくない。でも、私の経験上、本当に美しいものは、不器用なコミュニケーションや、意図しなかった誤解、あるいは「うまく言えないけれど、なんだか切ない」といった、あやふやな場所から生まれます。

私の映画『君とボクと虹色の世界』でも描きましたが、人間はみんな、寂しくて、少し変で、誰かに触れたいけれどどうすればいいか分からない、迷子のような存在です。

完璧な人間なんて一人もいません。みんな、自分だけの小さな宇宙の中で、必死にバランスを取って生きています。だからこそ、その不完全な者同士が、ほんの一瞬でも指先が触れ合うような、あるいは視線が合うような瞬間が訪れたとき、それは奇跡のように輝くのです。

私は、SNSでの「いいね」のような洗練された繋がりよりも、対面したときの気まずい沈黙や、どもりながら伝えようとする言葉の方を信じています。そこには体温があり、ノイズがあるからです。そのノイズこそが、私たちが生きている証拠なのです。

3. 「脆さ(脆弱性)」を武器にする

三つ目は、自分の「脆さ(Vulnerability)」を隠さず、むしろそれを表現の源にすること

社会は私たちに、強くあれ、プロフェッショナルであれ、成功者であれと要求します。でも、クリエイティビティの源泉は、常に自分の内側にある一番柔らかくて、壊れやすい場所にあります。

「これを言ったら笑われるかもしれない」「こんなことを考えているのは自分だけかもしれない」。そう思うことこそが、実は世界中の人々と深く繋がることができる唯一の鍵だったりします。

私が小説『最初の悪い男』や、最新作の『All Fours』で書きたかったのも、人間の滑稽なまでの切実さや、コントロールできない欲望、そして老いや変化に対する恐怖です。これらはすべて、私たちが「隠したい」と思っている部分です。

でも、誰かがその「隠したい部分」をオープンに見せてくれたとき、私たちは「ああ、自分だけじゃなかったんだ」と深い安堵を覚えます。この安堵こそが、孤独という病に対する最高の処方箋になります。

一番大事なのは、自分の脆さを恥じるのではなく、それを「他者と繋がるためのインターフェース」として差し出すことではないでしょうか。

4. 変化し続けることへの「イエス」

そして、今この瞬間の私にとって切実なテーマは、「変化し続けること」を受け入れることです。

私たちは、一度手に入れたアイデンティティや、安定した生活、固定された自己像に執着してしまいがちです。「私はこういう人間だ」と決めつけることは安心感を与えてくれますが、同時に自分を檻に閉じ込めることにもなります。

でも、生命の本質は変化です。細胞は常に入れ替わり、感情は川のように流れ、私たちは昨日とは違う自分になっていきます。特に女性として、あるいは一人の人間として、中年期を迎えたり、ライフスタイルが変わったりする時期(私が『All Fours』で探求したような時期)は、変化の荒波に飲み込まれそうになります。

その時、一番大事なのは、変化に抗うことではなく、その変化に驚きを持って付き添うことです。「へえ、私は今、こんなふうに感じているんだ」「こんな新しい欲望が芽生えたんだ」と、自分自身を観察者のような目で見守ること。

変化は、しばしば「喪失」の形をとってやってきます。若さを失う、役割を失う、あるいは慣れ親しんだ関係性が変わる。でも、その失われた空白にこそ、新しい何かが入り込む余地が生まれます。

5. 日常を「儀式」に変える

最後に、これらすべてを支える具体的な方法として、日常の些細な行為を「儀式」のように大切にすることを挙げたいと思います。

朝、コーヒーを淹れる。窓を開けて空気を入れ替える。誰かに短い手紙を書く。

これらは、単なるルーチンではありません。自分が今、この世界に存在していることを確認するための、神聖な儀式です。

私はよく、ごく普通の日常生活の中に「奇妙なルール」を持ち込むのが好きです。たとえば、「今日はすれ違う人全員の靴の色を覚える」とか、「次に電話がかかってくるまで、自分は異星人だと思って行動する」とか。

そうすることで、見慣れた景色が突然、鮮やかな色彩を帯びて動き出します。人生は、大きなイベント(結婚、出産、受賞、死など)だけでできているのではありません。むしろ、そのイベントとイベントの間の、膨大な「何でもない時間」こそが、人生の本質なのです。

その「何でもない時間」をいかに愛し、いかに面白がり、いかに慈しむか。

それが、私にとっての「一番大事なこと」の答えかもしれません。


ミランダからあなたへのメッセージ

人生は、私たちが思っているよりもずっと奇妙で、優しくて、そして短いものです。

だから、どうか自分を型に当てはめようとしないでください。

あなたの内側にある、説明のつかない奇妙な衝動や、小さな違和感を大切にしてください。

あなたが誰かに注意を払い、自分の脆さを認め、変化を恐れずにステップを踏み出すとき、世界はそれに応えて、見たこともないような美しい色を見せてくれるはずです。

今、私のティーカップは完全に冷めてしまいました。でも、その冷めたお茶の表面に映る光も、また一つの小さな発見です。

あなたの人生という素晴らしい「作品」が、自由で、愛に満ちた、予測不能なものでありますように。

愛を込めて。

ミランダ・ジュライ