ボンジュール。レオン・マルシャンです。
プールの底、静寂が支配する青い世界から水面に顔を出し、観客の熱狂的な歓声を聞くとき、私はいつも不思議な感覚に包まれます。2024年のパリオリンピックで4つの金メダルを獲得し、多くの人が私を「怪物」や「新しいレジェンド」と呼んでくれるようになりました。しかし、私自身の中にある本質は、トゥールーズのプールで泳ぎ始めたあの頃から何も変わっていません。
3,500字という長いお手紙のような形で、私がこれまでの競技人生、そして23年という短い人生の中で見出してきた「一番大事なこと」について、深くお話ししたいと思います。
1. 過程(プロセス)を愛するということ
多くの人は、表彰台の上でメダルを掲げる私の姿を見て、そこを「ゴール」だと考えます。しかし、私にとって最も重要なのは、その輝かしい一瞬ではありません。「日々の塩素の匂い、冷たい水に飛び込む瞬間の感覚、そして終わりのない練習のプロセスそのもの」を愛することです。
競泳というスポーツは、極めて孤独で単調です。一日の大半を水の中で過ごし、壁から壁へとひたすら往復します。同じ動作を何万回、何億回と繰り返します。もし、金メダルという「結果」だけを唯一の目的(モチベーション)にしていたら、私はとっくに自分を見失っていたでしょう。
結果はコントロールできません。体調、ライバルの調子、運、その日のプールのコンディション……。しかし、「今日、自分がどれだけ水と対話し、どれだけ丁寧な一掻きをしたか」というプロセスだけは、100%自分でコントロールできます。
泳ぐことは、私にとっての「遊び」である
ボブ・ボウマンコーチ(マイケル・フェルプスを育てた恩師)は、私に規律の重要性を教えましたが、同時に私が大切にしているのは「遊び心」です。
水中でのドルフィンキックの推進力、水の抵抗を最小限にする感覚。それは物理学の実験のようであり、同時に芸術のようでもあります。苦しい練習の中でさえ、「どうすればもっと効率よく進めるだろうか?」と探究する楽しみを見出すこと。
「やらされている努力」を「自発的な探究」に変えること。 これが、長く険しい道のりを歩み続けるための唯一の秘訣です。
2. プレッシャーを「特権」に変える
地元フランス、パリでのオリンピック。その重圧は、言葉で表現できるものではありませんでした。フランス中が私に金メダルを期待し、街を歩けば視線を感じる。22歳の若者にとって、それは飲み込まれてしまいそうな巨大な波でした。
しかし、私はこう考えるようにしました。「プレッシャーを感じられるということは、それだけ自分が特別な場所に立てているという証拠であり、それは特権(プリビレッジ)なのだ」と。
多くの人はプレッシャーを「敵」と見なし、そこから逃げようとしたり、押し殺そうとしたりします。しかし、プレッシャーを拒絶すればするほど、それは肥大化して襲ってきます。私はそれを「隣人」として受け入れました。緊張で心臓が速く打つとき、「ああ、今、私の体は最高のパフォーマンスを出すために準備を整えているんだ」と肯定的に捉えるのです。
静寂を味方につける
パリオリンピックの決勝、スタート台に立つ直前、会場には割れんばかりの「レオン!レオン!」というコールが響き渡りました。しかし、ゴーグルをつけ、水に飛び込んだ瞬間、すべては静寂に包まれます。
人生において、外の世界がいかに騒がしく、期待や批判に満ちていても、「自分だけの静かな領域」を心の中に持っておくことが不可欠です。私にとってそれは水の中でしたが、皆さんにとっては読書であったり、散歩であったり、あるいは深い呼吸であったりするかもしれません。外のノイズに左右されず、自分の内側にある静かな声に耳を澄ませること。それが困難な状況で自分を保つ唯一の方法です。
3. 「自分を超える」という本当の意味
私は400メートル個人メドレーで、マイケル・フェルプスの持っていた世界記録を更新しました。しかし、私の本当の敵は、マイケルでも他のライバルでもありませんでした。
人生で一番大事なことの一つは、「昨日の自分と比較し、一歩だけ前に進むこと」です。
比較の罠から抜け出す
SNSが発達した現代、私たちは常に他人と比較してしまいます。誰かが自分より早く成功し、誰かが自分より優れた才能を持っているように見える。しかし、他人のタイムを気にしても、私の泳ぎが速くなるわけではありません。
私が集中したのは、自分自身の「ストロークの効率」や「ターンの精度」でした。他人の物差しで自分の人生を測るのをやめ、自分自身の基準(スタンダード)を持つこと。
世界記録を塗り替えたときでさえ、私は「完璧だ」とは思いませんでした。「まだここのターンで改善できる余地がある」と考えました。この「謙虚な探究心」こそが、人を成長させ続けるエンジンになります。
4. 信頼と繋がり、そして「継承」
私は一人で速くなったわけではありません。私の両親もオリンピアンであり、彼らは私に「水泳を楽しむこと」の基礎を教えてくれました。そしてボブ・ボウマンという最高のコーチ、アリゾナ州立大学のチームメイトたち。
人生で最も大事なのは、「誰と共に歩み、誰から学び、誰を信頼するか」という人間関係の質です。
ボブとの関係は、単なる選手とコーチ以上のものです。彼は私に、限界を超えるための厳しさと、それを受け止めるための哲学を与えてくれました。私は彼の知識を吸収し、それを自分の泳ぎに昇華させています。
私たちは、先人たちが築き上げてきた歴史の上に立っています。マイケル・フェルプスという巨人がいたからこそ、私はその記録を目指すことができました。
「自分一人で成し遂げたと思わないこと。感謝の気持ちを持ち、受け取ったバトンを次の世代へ繋ぐ意識を持つこと」。これが人生を豊かにする大きな視点です。
5. 「水の外」にある人生のバランス
水泳は私の人生の大きな部分を占めていますが、すべてではありません。私は大学でコンピュータサイエンスを学んでいます。プールの外では、コードを書き、論理的な思考に没頭する時間が大好きです。
もし、私の人生が「水泳だけ」だったら、一度の敗北や怪我で私の世界は崩壊してしまうでしょう。しかし、私には勉強があり、友人との時間があり、家族との絆があります。
「人生のポートフォリオを多様化すること」。
一つのことに全てを賭ける情熱は素晴らしいですが、同時に自分を支える柱を複数持っておくことは、精神的なレジリエンス(回復力)に繋がります。何かに失敗しても「自分には別の居場所がある」と思える余裕が、結果として本業でのリラックスしたパフォーマンスを生むのです。
結論:人生で一番大事なこと
ここまで長くお話ししてきましたが、私が考える「人生で一番大事なこと」を一つに絞るなら、それは以下の言葉に集約されます。
「自分自身の本質(ワクワクする気持ち)を失わず、今この瞬間のプロセスに没頭すること」
メダルはいつか色褪せ、記録はいつか塗り替えられます。しかし、泳いでいる最中に感じたあの水の感覚、仲間と切磋琢磨した日々、限界を突破した瞬間の自己肯定感は、永遠に私の一部として残り続けます。
皆さんも、自分の人生という「プール」の中で、誰かの記録や期待に惑わされることなく、自分なりの美しいストロークを刻んでください。水面がどれほど荒れていても、深く潜ればそこには必ず静寂と、あなただけの真実が待っています。
挑戦することを恐れないでください。そして何より、その挑戦の過程を楽しんでください。
メルシー。皆さんの人生が、素晴らしい航海になることを願っています。