こんにちは。香港取引所(HKEX)のボニー・チャンです。
「人生で一番大事なことは何か」という問いは、非常に深遠で、かつ私たちの日常のすべての行動の根底にあるものです。金融市場という、一分一秒を争い、数字とデータが支配する世界に身を置いていると、時として「本当に大切なもの」を見失いそうになる瞬間があるかもしれません。しかし、私がこれまでのキャリア、そして一人の人間としての歩みを通じて辿り着いた答えは、決して複雑な数式や経済指標の中にあるのではありません。
私にとって人生で最も大事なこと、それは「自分自身の限界を規定せず、規律(Discipline)を持って変化を積み重ね、他者や社会との『繋がり』の中に価値を見出すこと」です。
約3,500字というこの貴重な機会を借りて、私がなぜそう考えるに至ったのか、私の経験と思想を紐解きながらお話ししたいと思います。
1. 規律がもたらす真の自由
私はよく、ウェルビーイングや日々のルーティンについて聞かれることがあります。私は毎朝、非常に早い時間に起床し、トレーニングやランニングを行うことを習慣にしています。これは単なる健康管理のためだけではありません。
人生において、私たちがコントロールできることは驚くほど少ないものです。市場の動向、地政学的なリスク、あるいは予期せぬパンデミック。外部環境は常に揺れ動いています。その中で、唯一自分が完全に支配できるもの、それが「自分の規律」です。
「規律は自由をもたらす」という言葉がありますが、これは真理だと確信しています。毎朝決まった時間に自分を律し、体を動かし、精神を整える。この小さな積み重ねが、予期せぬ嵐が吹き荒れるビジネスの最前線において、揺るぎない心の平安(Equanimity)を与えてくれます。
人生で大事なことの第一歩は、自分自身を律する術を学ぶことです。それは自分を束縛することではなく、いかなる状況下でも「自分は自分をコントロールできている」という自信を育むプロセスなのです。この自信こそが、困難な決断を迫られた際、私の背中を支えてくれるのです。
2. 「マラソン」としてのキャリアとレジリエンス
私は自身のキャリアをスプリント(短距離走)ではなく、マラソンだと考えています。
弁護士から投資銀行、そして規制当局である取引所のリーダーへ。私の道のりは決して一本道ではありませんでした。それぞれの場面で異なるスキルが求められ、時には全く新しい言語を学ぶような苦労もありました。しかし、一貫して大切にしてきたのは「レジリエンス(回復力)」です。
金融界で初の女性CEOという立場に注目が集まることもありますが、私にとって重要だったのは「女性であること」よりも「いかにして障壁を乗り越え、持続可能な成長を遂げるか」でした。壁にぶつかったとき、それを「終わり」と捉えるか、「学びの機会」と捉えるか。この視点の差が、人生の質を決定づけます。
人生で大事なのは、転ばないことではありません。転んだ後に、以前よりも少しだけ賢く、強く立ち上がること。そして、その歩みを止めないことです。市場が暴落しても、システムに不具合が生じても、私たちは常に「次の日」に備えなければなりません。レジリエンスとは、楽観主義と現実主義の絶妙なバランスの上に成り立つ強さなのです。
3. 「コネクター」としての使命:繋がりの中にある価値
香港取引所のCEOとして、私はよく「スーパー・コネクター」という言葉を使います。中国と世界を繋ぎ、資本とアイデアを繋ぐ。それが私たちの役割です。しかし、これはビジネスに限った話ではありません。
人生において最も価値のあるものは、「繋がり(Connectivity)」の中に存在します。
私たちは孤立して生きているわけではありません。家族、友人、同僚、そして社会全体。自分という存在は、他者との関係性という網の目の中に定義されています。私がどれだけ個人的な成功を収めたとしても、それが周囲にポジティブな影響を与えず、誰の助けにもならないのであれば、その成功には何の意味もありません。
私がHKEXで取り組んできた「取締役会のジェンダー多様性の推進」も、本質的にはこの「繋がり」の質を高めるためのものです。単一の視点しか持たない組織は、複雑な世界の変化に対応できません。異なる背景、異なる性別、異なる価値観を持つ人々が繋がり、議論し、化学反応を起こすことで初めて、真のイノベーションが生まれます。
人生で大事なのは、自分のためだけに扉を開けるのではなく、自分の後に続く人々のために扉を開け放つことです。他者の成長を支援し、多様性を認め合い、より広いネットワークの中に貢献すること。それこそが、一人の人間としての「豊かさ」を形作るのだと信じています。
4. 知的好奇心と適応力:変化を愛する
世界はかつてないスピードで変化しています。AIの進化、サステナビリティ(ESG)への要請、デジタル資産の台頭。昨日の正解が今日の正解である保証はどこにもありません。
このような不確実な時代において、人生を支えるのは「知的好奇心」と「適応力」です。
私はリーダーとして、常に「自分はまだ何も知らない」という謙虚さを忘れないようにしています。新しいテクノロジーや、若い世代の考え方、異業種の知見。それらに対して心を開き、学び続ける姿勢こそが、老化を防ぐ唯一の処方箋です。
「一番大事なこと」は、特定の知識を習得することではなく、「学び方を学び続けること(Learning how to learn)」です。変化を恐れるのではなく、変化を楽しみ、その波に乗る。自分が快適だと感じるゾーン(コンフォートゾーン)からあえて飛び出し、新しい挑戦を自分に課すこと。その過程で得られる高揚感こそが、人生を鮮やかに彩ってくれます。
5. 誠実さ(Integrity)という羅針盤
最後に、これらすべてを支える基盤についてお話しします。それは「誠実さ(Integrity)」です。
金融市場は、究極的には「信頼」で成り立っています。ルールが守られ、情報が正しく開示され、公平な取引が行われるという信頼。ひとたびその信頼が損なわれれば、どれほど強固なシステムも一瞬で崩壊します。
個人の人生も同じです。自分に対して、そして他者に対して誠実であること。自分の言葉と行動が一致していること。誰が見ていなくても、正しいと信じる道を選ぶこと。この「誠実さ」という羅針盤を持っていなければ、私たちは目先の利益や誘惑に流され、人生の目的地を見失ってしまいます。
CEOという重責を担う中で、私は日々多くの決断を下します。その際の基準は、常に「これは長期的に見て、すべてのステークホルダーにとって正しい選択か?」「私は自分の子供たちに、この決断を胸を張って話せるか?」という問いです。
誠実さは、短期的には損をすることもあるかもしれません。しかし、長いマラソンのような人生においては、それが唯一の、そして最強の味方になります。
結びに:あなたにとっての「資本」とは何か
私は金融の人間ですから、最後に「資本」という言葉を使ってまとめたいと思います。
皆さんは、自分の「人生の資本」とは何だと考えますか? 銀行の預金残高でしょうか、それとも所有している不動産でしょうか。
私にとっての真の資本は、「健康な体と心」「育んできた信頼関係」「学び続ける知性」そして「社会をより良くしたいという志」です。これらは、いかなる市場の混乱が起きても没収されることはありません。そして、使えば使うほど、磨けば磨くほど、その価値は増していきます。
人生で一番大事なこと。それは、外側の世界に価値を求めるのではなく、自分自身の内側に、そして他者との誠実な関わりの中に、揺るぎない価値を築き上げていくプロセスそのものです。
毎日の小さな規律を大切にしてください。
変化を恐れず、常に学び続けてください。
そして、周りの人々に手を差し伸べ、共に成長する喜びを分かち合ってください。
香港のダイナミックな街並みを眺めながら、私はいつもそう自分に言い聞かせています。皆さんの人生という名の偉大な旅が、規律と活力、そして多くの素晴らしい「繋がり」に満ちたものになることを心から願っています。