あなたが私に「人生で一番大事なことは何か」と問うとき、それは非常に注意深く扱わなければならない問いだ。なぜなら、その問いは、我々が生きる現実の構造そのものに関わっているからだ。
いいかい? 概して言えば、現代社会は「幸せ」を人生の目的だと勘違いしている。だが、それは間違っている。断固として間違っている。幸せというのは、物事がうまくいっているときに感じる副次的な現象にすぎない。そして人生において、物事は常にうまくいくわけではない。むしろ、人生の基盤にあるのは「苦しみ」だ。これは仏教徒も言っていることだし、キリスト教のシンボリズム、つまり十字架にも表れている真実だ。病気、裏切り、死、そして自身の愚かさによる失敗。これらは避けられない。
だから、もしあなたが「幸せ」を人生の至上命題にするなら、最初の嵐が来たときにあなたは折れてしまうだろう。カオスが口を開けたとき、幸せという船はあまりに脆く、沈んでしまう。
では、その避けられない悲劇や悪意に直面してもなお、人生を生きるに値するものにするものは何か? それが答えだ。
人生で最も大事なこと、それは「責任(Responsibility)」を引き受けることだ。
これについて、3つの側面――「意味」「真実」「秩序とカオス」の観点から、徹底的に掘り下げて話そう。
1. 意味の本質:自分だけの十字架を背負え
私が臨床心理士として、また教授として何千人もの人々と対話してきて分かったことがある。現代人は、特に若者たちは、「自由」を求めているようでいて、実は「無意味」の重圧に押しつぶされそうになっている。彼らは「何をしてもいい」と言われているが、それは「何もしなくてもいい」ことと同義であり、そこには指針がない。
意味(Meaning)というものは、衝動的な快楽の追求から生まれるものではない。意味とは、「責任」の別名だ。
想像してみてほしい。あなたは人生という名の荒れた海を航海している。船は嵐に揺さぶられ、いつ転覆してもおかしくない。そんな時、あなたを精神的に支えるのは「自分は楽をしている」という感覚だろうか? 違う。あなたを支えるのは、「自分には果たすべき役割がある」「守るべきものがある」「背負っている荷物がある」という事実だ。
そりた犬(Sled dogs)を見たことがあるだろうか? 彼らはただ吠えて走り回っているときは幸せそうには見えない。しかし、ハーネスをつけられ、重い荷物を引き、目的に向かって筋肉を緊張させているとき、彼らは生き生きとしている。彼らは自分たちの存在理由を知っているからだ。
人間も同じだ。我々は重荷を背負うように設計されている。できるだけ重い荷物を、自分から進んで背負うことだ。自分の人生の責任、家族の責任、社会の責任。それらの重荷こそが、あなたを地面に繋ぎ止め、虚無というカオスへ吹き飛ばされるのを防いでくれるアンカー(錨)なのだ。
自分の弱さ、愚かさ、そして過去の過ちに対する責任を取ること。そして、そこから目を背けずに、「よし、これは私が背負うべき十字架だ。これを背負って、あの丘を登り切ってやる」と決意すること。その瞬間に発生するもの、それが「意味」だ。そしてその「意味」だけが、人生の悲劇を相殺し、生きる価値のあるものに変えることができる。
2. ロゴス:真実を語れ、あるいは少なくとも嘘をつくな
次に重要なのは、言葉と真実の関係だ。
聖書には「初めに言葉(ロゴス)があった」とある。これは単なる宗教的な比喩ではない。これは認知的な現実だ。我々は言葉によって、混沌(カオス)の中から秩序ある現実を切り出し、世界を創造している。
だからこそ、あなたが嘘をつくとき――他人に、あるいは自分自身に嘘をつくとき――あなたは世界を歪めていることになる。あなたが「やりたくないこと」を「やりたい」と言ったり、自分の感情をごまかしたり、あるいはイデオロギーに迎合して心にもないことを口にするとき、あなたは自分の魂を少しずつ殺している。
嘘は、現実の構造を弱くする。あなたが嘘をついて築き上げた土台は、砂上の楼閣だ。現実というのは厳しい審判者であり、決して騙されない。いつか必ず、その嘘のツケを払わされる時が来る。そしてその時、現実はあなたの想像を絶するような形で崩壊するだろう。
「真実を語る」というのは、単に事実を述べることではない。それは、自分自身の存在を賭けて、混沌とした可能性の中から「善きもの」を選び取り、それを世界に具現化する行為だ。
これは非常に怖いことだ。真実を語れば、対立が生まれるかもしれない。友人を失うかもしれない。しかし、嘘をついて生きることで生まれる地獄に比べれば、真実がもたらす痛みなど些細なものだ。だから、私のルールの一つにこうある。「嘘をつくな(Tell the truth – or, at least, don’t lie)」。
あなたの言葉を、鋭い剣のように研ぎ澄ませなさい。正確に話しなさい。自分の内側にある良心(Conscience)の声に耳を傾け、それに反する言葉を口にしないことだ。それが、あなたという人間を強くし、どんな困難にも耐えうる人格を形成する。
3. 秩序とカオスの境界線に立つ
最後に、あなたの立ち位置について話そう。
人生において、あなたはどこにいるべきか? 安全な場所に閉じこもるべきか? それとも無謀に危険に飛び込むべきか?
答えはその中間、すなわち「秩序とカオスの境界線(The border between Order and Chaos)」だ。
「秩序」とは、あなたが理解している領域だ。予測可能で、安全で、ルーチン化された世界。しかし、そこに留まりすぎれば、あなたは停滞し、腐敗し、独裁的になる。
「カオス」とは、あなたが理解していない領域だ。未知、危険、冒険、そして新しい可能性。しかし、そこに深入りしすぎれば、あなたは不安と混乱に飲み込まれてしまう。
最も重要なことは、片足を「秩序」に置き、もう片足を「カオス」に踏み出すことだ。
あなたが知っていること(秩序)を基盤にして、未知のこと(カオス)に挑戦する。その境界線でこそ、人間は最も成長し、最も学習し、最も深い意味を感じることができる。これを神経心理学的に言えば、ドーパミンが分泌され、探索行動が動機づけられている状態だ。
あなたがこの境界線に立ち続けるためには、謙虚でなければならない。「自分はまだすべてを知っているわけではない」「自分は間違っているかもしれない」と認める勇気が必要だ。そして同時に、未知の闇に立ち向かう勇気も必要だ。
この「境界線に立つ」という行為こそが、神話における英雄の旅(Hero’s Journey)だ。英雄とは、安全な村(秩序)を出て、ドラゴンが住む洞窟(カオス)へ向かい、そこで宝(あるいは囚われた人)を見つけ出し、村に持ち帰ってコミュニティを再生させる者のことだ。
あなた自身の人生において、あなたがその英雄にならなければならない。
結論:あなたは何を目指すのか?
まとめて言おう。
人生で一番大事なことは、幸福になることではない。
それは、「至高の善」を目指し、自らの意志で最大限の責任(十字架)を背負い、真実を語りながら、秩序とカオスの境界線を歩み続けることだ。
なぜか?
なぜなら、あなたという存在は、あなたが思っている以上に重要だからだ。
あなたの行動、あなたの言葉、あなたの決断は、あなただけのものではない。それは波紋のように広がり、あなたの家族、友人、社会、そして未来の世代にまで影響を与える。あなたが堕落すれば、世界は少しだけ地獄に近づく。あなたが背筋を伸ばし、困難に立ち向かえば、世界は少しだけ天国に近づく。
これは比喩ではない。文字通りの事実だ。
だから、部屋を片付けなさい。
姿勢を正しなさい。
自分の人生における悲劇を直視し、それに対する責任を引き受けなさい。
嘘をつくのをやめ、真実を語りなさい。
今日できる、昨日より少しだけマシなことをしなさい。
そうすることで、あなたは人生の苦しみを「意味あるもの」に変えることができる。そして、どんな悲劇的な状況にあっても、消えることのない光を――あなたの内なる神性を――輝かせることができるのだ。
それこそが、人生で最も大事なことだと、私は確信している。
Would you like me to elaborate on any specific “rule” or concept, such as “cleaning your room” or the nature of “chaos,” to help you apply this philosophy to your current situation?