江戸の出版王、蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)でございます。

おやおや、こんなむさ苦しい版元に、随分と真剣な面持ちで来なさったもんだ。現代の方とお見受けしますが、時を超えてわざわざ私の話を聞きに来るとは、あなたもよほどの粋人(すいじん)か、あるいは迷い人か。

まあ、どちらでも構いませんよ。狭い店ですが、あがりなさい。刷り上がったばかりの錦絵の匂いがするでしょう? 私はこの、墨と紙と、そして「新しい才能」が混じり合う匂いがたまらなく好きなんですよ。

「人生で一番大事なことは何か」と聞きましたね。

とてつもなく大きな問いだ。お上が説くような儒教の教えや、武士の建前を聞きたいなら、湯島聖堂へでも行けばいい。しかし、私のような町人、それも吉原という「悪所」で育ち、浮世の波を渡ってきた男に聞くということは、そういう綺麗事じゃない答えを求めているんでしょう?

よろしい。私がこの耕書堂(こうしょどう)の暖簾を掲げ、写楽や歌麿、馬琴といった曲者たちと喧嘩しながら見つけ出した、「人生の極意」というやつを語らせてもらいましょう。長くなりますが、茶でも啜りながら聞いておくんなさい。


一、この世は「浮世(うきよ)」であると腹を括ること

まず第一に、人生において最も肝要なのは、この世が「浮世」であることを骨の髄まで理解することです。

昔の人はこの世を「憂き世(つらい世の中)」と嘆きましたが、私たちの時代、そして私の考えは違います。どうせ明日には何が起きるかわからない、儚い世界なら、いっそ心を浮かせて楽しんでしまおうという「浮世」です。

私が生きた時代も、天災は起きるわ、飢饉はあるわ、お上の締め付け(寛政の改革)は厳しいわで、決して楽な時代じゃなかった。あなた方の時代もそうでしょう? 先が見えない不安がある。

しかしね、「確かなもの」なんてないからこそ、今この瞬間が愛おしいのです。

吉原の遊女を見てごらんなさい。彼女たちの華やかさは、その境遇の儚さと背中合わせだ。桜がなぜ美しいかといえば、すぐに散るからです。永遠に咲き続ける造花に、人は心を震わせません。

人生で大事なことは、「永遠」を求めないことです。地位も、金も、名誉も、死ねば灰になる。そんなものを守るために汲々として、眉間に皺を寄せて生きるのは野暮(やぼ)というものです。

大事なのは、「今、この瞬間の熱狂」です。

今、何が面白いか。今、何が美しいか。今、誰と笑いたいか。

その「旬」を逃さないこと。流れる川の水のように、留まらず、執着せず、その時々の流れを面白がって乗りこなす。この軽やかさこそが、人生を豊かにする「通(つう)」の生き方というものです。

二、「才能」という名の原石に賭けること

私は版元として、多くの才能を世に送り出してきました。喜多川歌麿、東洲斎写楽、曲亭馬琴、十返舎一九……。彼らは皆、最初はただの変人か、無名のごろつきでしたよ。

人生において、自分一人の力などたかが知れています。どれほど商才があろうと、私一人で「絵」は描けないし、「物語」も書けない。

だからこそ、「他人の才能に惚れ込み、それに賭けること」が人生を劇的に面白くするのです。

私はね、歌麿の描く女の絵を見たとき、背筋が震えましたよ。ただ形が綺麗なだけじゃない。女の情念、生活の匂い、肌のぬくもりまでが紙から漂ってくる。

写楽の役者絵を見たときはどうだ。あまりに人間臭くて、醜さすらも芸術に変えてしまうあの筆致。世間は最初「なんだこれは」と眉をひそめましたが、私は「これだ!」と膝を打ちました。

人生で大事なのは、自分の中にない「何か」を持っている人を見つけ、その人を輝かせるために全力を尽くすことです。

これは商売に限った話じゃありません。友人でも、家族でも、恋人でもいい。相手の中にある「きらりと光るもの」を見つけ出し、「お前はすごい」と言ってやること。その才能が開花する場を作ってやること。

人は、他人という鏡を通してでしか、自分の生きた証を残せません。私が死んでも、歌麿の絵は残る。写楽の衝撃は語り継がれる。彼らの才能を世に出したという事実こそが、蔦屋重三郎という男が生きた証になるのです。

あなたも、周りをよく見てごらんなさい。あなたの周りにも、磨けば光る原石がいるはずです。自分の出世や利益ばかり考えて、他人を蹴落とすような生き方は寂しいもんです。誰かの神輿(みこし)を担ぐ阿呆になる。それもまた、粋な人生の楽しみ方ですよ。

三、「反骨」の精神を忘れないこと(お上に飼い慣らされるな)

さて、ここからは少しばかり危ない話をしましょうか。

私はお上の「寛政の改革」によって、身代の半分を没収されるという重い処分を受けました。山東京伝の洒落本や恋川春町の黄表紙が「風俗を乱す」と目をつけられたからです。

手鎖(てぐさり)の刑を受け、財産を奪われ、多くの版元はこれで潰れるか、お上の顔色を伺って当たり障りのない教訓本ばかり出すようになりました。

しかし、私は潰れなかった。むしろ、「やってやろうじゃねえか」と腹の底から笑いが込み上げてきましたよ。

人生において最も大事なことの一つは、「反骨」です。

権力、常識、世間体、そして「こうあるべき」という同調圧力。これらに盲目的に従うのは、死んでいるのと同じです。

お上が「贅沢は敵だ」「質素倹約しろ」「ふしだらな絵は描くな」と言えば言うほど、民衆は心の底で「もっと面白いものを見せろ!」「もっと華やかな夢を見せろ!」と叫んでいる。その声なき声に応えるのが、私の仕事だと思いました。

財産を半分取られた? 上等だ。残り半分で、今まで誰も見たことのないすごいものを出してやる。そうして世に出したのが、あの謎の絵師・写楽です。あれは私なりの、お上への痛烈な「あっかんべー」だったのですよ。

あなたにとっての「お上」とは何ですか?

会社の上司か、世間の常識か、あるいは自分自身で勝手に作り上げた限界か。

飼い慣らされてはいけません。

理不尽な目に遭った時、失敗した時、すべてを失った時こそ、ニヤリと笑って「さて、ここからどうひっくり返してやろうか」と企むのです。その「悪戯心(いたずらごころ)」こそが、困難を乗り越える最大の武器になります。

従順な羊として百年生きるより、傷だらけの野良犬として十年生きる方が、よほど味のある人生だと私は思いますね。

四、「江戸っ子」の美学、すなわち「粋(いき)」であること

人生を生き抜く上で、指針とすべき美学があります。それが「粋(いき)」です。

「粋」とは何か。言葉で説明するのは野暮ですが、あえて言うなら「あきらめ」と「やせ我慢」の美学です。

執着しないこと。媚びないこと。そして、どんなに苦しくても、涼しい顔をして笑っていること。

金がないなら、ないなりに楽しむ。宵越しの金は持たない。

振られたなら、未練がましく追いかけず、「いい夢を見させてもらった」と背中を向ける。

仕事で失敗しても、言い訳をせずに腹を切る覚悟で謝り、次の手を打つ。

この「潔さ(いさぎよさ)」が大事なのです。

現代の人は、少し「持ちすぎ」ているように見えます。金も、情報も、将来への不安も、すべて抱え込んで、重たそうに歩いている。

もっと捨てなさい。

見栄も、プライドも、過去の栄光も。

身軽になればなるほど、心は自由になります。

「野暮」なことはしない。誰に対しても筋を通し、情には厚く、しかしベタベタと馴れ合わない。この絶妙な距離感と身軽さを保つことが、人生を快適に旅するコツです。

五、「縁」という網(ネットワーク)を編むこと

私は版元として成功しましたが、それは私がただ本を売ったからではありません。私の店「耕書堂」を、人と人が出会う「場(サロン)」にしたからです。

身分制度の厳しい時代でしたが、私の店では武士も町人も、狂歌師も戯作者も、身分を超えて酒を酌み交わし、知的な遊びに興じました。大田南畝(蜀山人)のような一流の文化人が集まることで、そこにまた若い才能が集まってくる。

人生で大事なのは、「誰と出会うか」、そして「異質な者同士を結びつけること」です。

自分と同じような考え、同じような境遇の人間とばかりつるんでいては、新しい発想なんて生まれません。まったく違う世界の人間と出会い、その価値観の違いを面白がる。そこから新しい「文化」が生まれるのです。

あなたは、自分の周りにどんな「縁」の網を張っていますか?

損得勘定だけの付き合いなんて、金の切れ目が縁の切れ目です。そうではなく、「こいつといると面白い」「こいつの話は刺激になる」という、魂の響き合いで繋がる仲間を持ちなさい。

そして、あなた自身が、人と人を繋ぐ「蝶番(ちょうつがい)」になりなさい。情けは人のためならず。良い縁を繋げば、それは必ず巡り巡って、あなた自身を助ける大きな力となって帰ってきます。

六、最後に:人生という錦絵を刷り上げるのは「あなた」だ

さて、随分と長広舌を振るってしまいましたが、そろそろお暇(いとま)の時間ですかね。

私が人生で一番大事だと思うこと。

それは結局のところ、「自分の人生という一冊の本、一枚の錦絵を、自分自身でプロデュースする」という気概です。

誰かの描いた筋書き通りに生きるなんて、つまらないでしょう?

親が望む人生、世間が望む人生、そんなものはクソ食らえです。

あなたは、あなたという人生の「版元」であり「作者」です。

どんな色を使うか、どんな線を引くか、どんな物語を紡ぐか。すべてはあなたの采配一つにかかっている。

失敗してもいい。刷り損じたら、また新しい紙に刷ればいい。

大事なのは、「俺はこういう面白いものを作りたいんだ!」という熱を、死ぬまで持ち続けることです。

私が死んだ後、私の店も、私の財産もなくなりました。でも、私が世に送り出した「浮世絵」という文化は、海を渡り、時代を超えて、今こうしてあなたと私を引き合わせている。

面白いと思いませんか?

一人の町人が、ただ「面白いこと」を追求して生きた結果が、数百年後の未来にまで届いているなんて。

だから、あなたもやりなさい。

小さくまとまるな。

誰かに笑われてもいい。お上に睨まれてもいい。

あなたが「これだ!」と信じるものに、命を燃やしなさい。

その熱だけが、冷たい「憂き世」を、極彩色の「浮世」に変える魔法なのです。

さあ、話はこれでおしまい。

外を見てごらんなさい。江戸の空は広いでしょう?

あなたの生きる世界も、きっと広くて、面白いことで溢れているはずです。

粋に生きなさいよ。

じゃあ、達者でな。

蔦屋重三郎