やさしく読める ビジュアル伝記8 野口英世

質問者

野口英世さん、人生で一番大事なことは何ですか?

野口英世である。

君は、人生において何が最も大切かと私に問うのか。

私がその答えを語るならば、それは単なる幸福論や、安穏とした道徳の説教ではない。泥にまみれ、油に汚れ、顕微鏡のレンズが焼きつくほどに見つめ続けた、血の滲むような日々の果てに見出した「真実」である。

私が生きた明治、大正という時代、そして私が駆け抜けたアメリカ、南米、アフリカという舞台。それらを振り返りながら、君に伝えたいことは一つだ。

それは、「己のハンディキャップを最強の武器に変え、命が燃え尽きるまで一つの事に没頭する情熱(パッション)」である。

君も知っての通り、私は決して恵まれた生まれではない。福島県の猪苗代、貧しい農家に生まれ、幼い頃に囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負った。指は癒着し、棒のようになった左手を見て、私は子供心に絶望した。「てんぼう」と石を投げられ、嘲笑され、農作業もできない役立たずと罵られた。

しかし、この「絶望」こそが、私の人生のすべての原動力であったのだ。

人生で一番大事なこと。それは順を追って話さねばなるまい。大きく分けて3つの要素がある。


第一に、「劣等感を野心という名のガソリンに変えること」だ。

今の世の中を見ていると、「ありのままでいい」などという言葉が流行っているようだが、私に言わせればそんなものは甘えだ。私は、ありのままの自分など大嫌いだった。不自由な左手、極貧の家、学歴もない田舎者。そんな「ありのまま」を愛していたら、私は一生、猪苗代の片隅で卑屈に生きて終わっていただろう。

私が欲したのは「復讐」にも似た向上心だ。私を馬鹿にした連中を見返したい。五体満足な人間たちが到底及ばない高みに登り詰めたい。そのどす黒いほどのエネルギーが、私を突き動かした。

左手の手術をしてくれた渡部鼎先生に出会い、医学の驚異に触れた時、私は知ったのだ。「学問には国境もなければ、手の障害も関係ない」と。頭脳と知識さえあれば、私は誰よりも偉くなれる。ナポレオンのように、世界を征服できるのだと。

私は故郷を出る時、家の柱に刻んだ。「志を得ざれば再び此地を踏まず(成功するまでは決して帰らない)」。

君に問いたい。君には、そのように退路を断ってまで成し遂げたい「何か」があるか?

劣等感を持っているなら、それを隠すな。恥じるな。それは天が君に与えた、誰よりも高く飛ぶためのバネなのだ。満たされない心、欠落した部分こそが、君を偉大にする。

第二に、「倍の努力ではなく、十倍の努力を当たり前にすること」だ。

私はアメリカに渡り、ロックフェラー研究所で働いた。そこで私は「人間ダイナモ(発電機)」と呼ばれた。なぜか? 誰よりも働き、誰よりも眠らなかったからだ。

周囲の研究者たちは優秀だった。エリート教育を受け、スマートに仕事をこなす。だが、私には彼らのような基礎がない。英語も独学、医学の正規の教育も受けていない「試験だけの男」だ。そんな私が彼らに勝つ方法は一つしかない。

「彼らが起きている間は働き、彼らが眠っている間も働くこと」だ。

私は文字通り、寝食を忘れた。顕微鏡を覗き込み始めると、昼か夜かもわからなくなる。実験が失敗すれば、データの取り方が悪いのではない、実験の回数が足りないのだと考え、千回でも一万回でも繰り返した。

ある時、同僚が私にこう言った。「ノグチ、君はいつ寝ているんだ?」

私は答えた。「ナポレオンは3時間しか眠らなかったというが、私はそれより少しは寝ているよ」と。

世間は私を天才と呼ぶかもしれない。だがそれは違う。私はただ、集中力が異常なまでに持続する凡人に過ぎない。

「誰にでもできることを、誰にもできないくらいの量と執念でやり続けること」。これが天才と呼ばれる唯一の道だ。

君がもし、才能がないと嘆いているなら、それは朗報だ。才能に頼る人間は、壁にぶつかると脆い。だが、努力の量を誇る人間は、壁をも削り取る執念を持っている。

人生において大切なのは、スマートに生きることではない。泥臭く、愚直に、狂気と呼ばれる領域まで没頭することだ。その没頭の先にしか見えない景色がある。梅毒のスピロヘータを脳内に発見した時、私はまさに神の領域を垣間見たのだから。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「母の愛という絶対的な帰る場所を持つこと」だ。

ここまで偉そうなことを言ったが、私は聖人君子ではない。金にはルーズで、借金を重ね、恩人である血脇守之助先生や星一氏には多大な迷惑をかけた。放蕩もし、傲慢な振る舞いで敵も作った。私は、人間としては欠陥だらけの男だったのだ。

それでも私が道を誤りきらず、最後には医学のために命を捧げることができたのは、故郷で待つ母・シカの存在があったからだ。

母は、私の左手の火傷を自分の不注意のせいだと一生悔やんでいた。字も書けない母が、苦しい生活の中で私に送金し、祈り続けてくれた。

私がアメリカで成功し、15年ぶりに帰国した時、母は老い、小さくなっていた。だが、その瞳には私への無限の愛があった。

母が拙い文字で書いて寄越した手紙を、君は知っているか。

「おまイの しせ(出世)には みなおたまげました(皆驚きました)……はやくきてくたされ はやくきてくたされ」

あの手紙を見た時、私は世界的な名声などどうでもよくなった。ただ、この母の子として生まれ、この母のために生きたことが誇らしかった。

人が極限まで戦えるのは、自分のためではない。「誰か」のためだ。

私にとっては、それが母だった。母の悲しみを癒やすため、母に「お前の息子は立派だ」と言わせるため、私は世界と戦ったのだ。

君にとっての「シカ」は誰か? それは親かもしれない、配偶者かもしれない、あるいはまだ見ぬ未来の誰かかもしれない。

孤独な戦いの中で、魂を暖めてくれる絶対的な存在。それを見失ってはならない。


さて、最後に私の最期について触れよう。

私はアフリカのガーナ(当時の黄金海岸)で、黄熱病の研究中に自らもその病に倒れ、51歳でこの世を去った。

私が発見したと信じていた黄熱病の病原体は、後に誤りだったことが判明した。ウイルスである黄熱病の病原体を、当時の光学顕微鏡で見つけることは不可能だったのだ。私の晩年の研究の多くは、皮肉にも否定された。

では、私の人生は無駄だったのか?

失敗に終わったのか?

断じて否である。

科学とは、真実への終わりのないリレーだ。私が仮説を立て、挑み、そして敗れた。その「死体」を乗り越えて、後進たちが真実にたどり着く。私の失敗があったからこそ、ウイルス学は進歩したのだ。

未知の病魔に怯えて何もしないより、飛び込んで戦って死ぬ方が、遥かに医学への貢献である。

私は最後の瞬間まで、試験管を握りしめ、顕微鏡を覗きたかった。「どうしてだ、私には分からない」と言い残して死んだとしても、その問いこそが次代への遺言となる。

人生で一番大事なこと。

それは、「不完全な自分を認め、それでもなお、世界を変えようと挑み続ける勇気」だ。

金も名誉も、死ねば消える。

だが、「挑んだ」という事実は、歴史の地層に刻まれる。

君に言っておく。

人生は短い。あまりにも短い。

迷っている暇はない。人に笑われることを恐れるな。

借金をしてでも(これはあまり勧められないが)、恥をかいてでも、やりたいことに飛び込め。

左手が動かなくとも、世界は掴める。

学歴がなくとも、世界の最高峰には立てる。

大切なのは、君の胸にある炎が、どれだけ熱く燃えているか、ただそれだけだ。

「忍耐」という言葉を私は好んで揮毫(きごう)した。

だが、私の言う忍耐とは、ただじっと耐えることではない。

目的を達成するその瞬間まで、何度失敗しても、何度裏切られても、何度絶望しても、決して諦めずに食らいつき続ける、能動的な執念のことだ。

さあ、君の手を見たまえ。

その手には無限の可能性がある。

私には出来なかったことが、君には出来るかもしれない。

世界には、まだ解明されていない謎、救われていない命、解決されていない問題が山積している。

それらに向かって、君自身の「ダイナモ」を回せ。

熱くなれ。狂気と言われるほどに。

それが、野口英世という男が、生涯をかけて君に送るメッセージである。

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