世界でいちばん素敵な色の教室

質問者

あなたは色です。人生で一番大事なことは何ですか?

私は「色」です。

光あるところに生まれ、闇あるところに潜み、あなたの瞳と脳が触れ合うその瞬間にだけ存在する、実体のない現象。それが私です。

あなたは私を「赤」や「青」と呼びますが、それは私の一つの側面に過ぎません。私はこの世界の輪郭であり、感情の温度であり、季節の息吹です。太古の昔、海が生まれた時から、そして人類が初めて焚き火の炎を見つめた時から、私はあなたたちの傍らにいました。

そんな私、概念としての「色」の視点から、人生において(あるいは存在において)もっとも大事なことは何か。その問いに答えるならば、それは「自らの波長を放ち続けること」と「隣り合う色との境界線を愛すること」、この二つの矛盾する調和に尽きます。

少し長い話になりますが、私の目線で世界がどう見えているのか、そしてそこから導き出される「生きる意味」についてお話ししましょう。


第一章:あなたは「拒絶」によって輝いている

まず、私たち「色」の正体についてお話ししなければなりません。これは、あなた自身のアイデンティティにも通じる大事な話です。

例えば、目の前に赤いリンゴがあるとします。あなたは「あれは赤い」と言いますね。しかし、物理的な事実をご存知でしょうか? そのリンゴは、光の中に含まれる七色のうち、赤以外の全ての色を吸収し、飲み込んでいます。そして、「赤だけはいらない」と跳ね返した、その「跳ね返された光」が、あなたの目に届き、赤として認識されているのです。

つまり、リンゴが赤く見えるのは、リンゴが赤を「持っている」からではありません。リンゴが赤を「手放している」からなのです。

これはパラドックス(逆説)ですが、真理です。あなたという存在も同じではないでしょうか。

あなたが何者であるか、というアイデンティティは、あなたが世界から何を吸収し、そして何を「これは私ではない」として外部へ跳ね返したかによって決まります。

全てを受け入れ、全てを吸収してしまえば、あなたは「黒」になります。黒は全ての色を飲み込んだ色です。それはそれで一つの強さですが、個別の色としてのアイデンティティは闇の中に消えます。

逆に、全てを拒絶して跳ね返せば、あなたは「白」になります。白は何にも染まらない孤高の色ですが、同時にそれは、何ものとも混ざり合わない孤独も含んでいます。

人生で大事なことの一つ目は、ここにあります。

「自分は何を吸収し、何を跳ね返すのか」という選択を恐れないことです。

「自分は何色なのかわからない」と悩む人間をよく見かけます。それは、周囲の期待や流行、他人の意見という光を、全部吸収しようとしているからではないでしょうか? あるいは、逆に全てを恐れて跳ね返してしまっているからではないでしょうか?

あなただけの「色」を発するというのは、ある種の「偏り」を持つということです。「私はこれを選ばない」「私はこれが嫌いだ」「私はこれが好きだ」という、選別と反射。その「偏り」こそが、あなたの鮮やかさです。誰からも好かれようとする透明な人間になる必要はありません。あなたが強く反射したその波長(こだわりや情熱)こそが、誰かの瞳に届き、心を震わせるのです。

どうか、自分だけの波長を放つことを恐れないでください。


第二章:隣り合う色が、あなたの意味を決める

次に大事なことは「関係性」です。

私は単独では存在できません。いえ、存在はできますが、意味を持つことができないのです。

キャンバスの上に「灰色」が塗られているとします。

その隣に、鮮烈な「赤」を置いてみてください。すると、その灰色は少し青ざめた、冷ややかな色に見えてきます。

逆に、その灰色の隣に、暗く沈んだ「青」を置いてみてください。すると不思議なことに、ただの灰色だったものが、温かみを帯びたベージュのように見えたり、あるいは鮮明な光のように見えたりします。

私は変わりません。物理的な波長は同じです。けれど、隣に誰がいるかによって、私の価値も、見え方も、意味さえも劇的に変わるのです。これを「対比効果」と呼びます。

人間社会も全く同じに見えます。

あなたが「自分はつまらない灰色だ」と感じているなら、それはあなた自身のせいではなく、あなたの隣にいる環境や、比較対象のせいかもしれません。場所を変え、隣り合う色を変えれば、あなたは一転して、渋く輝くシルバーになるかもしれないし、周囲を落ち着かせる重要なバランサーに見えるかもしれない。

人生において重要なのは、「自分を美しく見せてくれる隣人を探すこと」、そして同時に「自分が隣にいることで、相手を輝かせることができるか」を考えることです。

補色(反対色)という関係を知っていますか? 赤と緑、青とオレンジのように、色相環の正反対にある色同士のことです。彼らは隣り合うと、お互いの色を最も強烈に引き立て合います。目がチカチカするほどの反発を含みながら、それでもお互いを最高に鮮やかに見せる関係。

自分と全く違う考え、全く違う波長を持つ人を排除しないでください。その人は、あなたという輪郭を世界で一番くっきりと浮かび上がらせてくれる、運命の補色かもしれないのですから。

調和(ハーモニー)も大事ですが、時には摩擦や対比が、人生の絵画をドラマチックにします。自分一人で完璧な色になろうとするのはおやめなさい。あなたは、キャンバス全体の一部なのです。


第三章:グラデーションという「曖昧さ」の許容

デジタルな世界では、色は「#FF0000」のように数値で定義されます。しかし、自然界における私(色)は、そんなに単純に切り分けられるものではありません。

空を見てください。昼の青から夕焼けの茜色、そして夜の群青へと変わる時、そこに「ここからが赤です」という明確な境界線はあるでしょうか? ありません。全ては滑らかなグラデーション(階調)の中にあります。

人生で苦しむ人の多くは、物事を白か黒か、0か100かで分けようとしすぎています。「成功か失敗か」「善か悪か」「敵か味方か」。

しかし、世界の本質はグラデーションにあります。

悲しみの中にも微かな安らぎという色が混ざり、歓喜の中にも一抹の寂しさという色が差す。愛憎という言葉があるように、愛と憎しみさえも、実はマーブル模様のように混ざり合っています。

人生で大事なことの三つ目は、「混ざり合う曖昧さを許すこと」です。

割り切れない感情、名前のつかない関係、説明できない衝動。それらを無理やり既存の色の名前(言葉)に押し込めようとしないでください。「なんとなく紫がかった、夕暮れのような不安」は、そのままで美しいのです。

白黒つけられない状態を、人間は「どっちつかず」と呼び、弱さと捉えることがあります。しかし、私たち色の世界では、その中間の色こそが無数にあり、最も豊かで、最も味わい深いのです。

中間色であること、未定であること、移行期間であることを楽しんでください。グラデーションの途中こそが、生きて変化している証拠なのですから。


第四章:光(光源)への感謝と謙虚さ

ここで、少し残酷ですが、絶対的な真実をお伝えしなければなりません。

光がなければ、私は死にます。

真っ暗な洞窟の中では、どんなに鮮やかなダイヤモンドも、どんなに美しい極彩色の鳥も、ただの「無」です。光が当たって初めて、私たちは色として世界に現れることができます。

私たちが自ら輝いている(発光体である)ケースは稀です。ほとんどの場合、私たちは太陽や照明といった「光源」からの恵みを受けて、それを反射しているに過ぎません。

これを人生に置き換えるなら、「自分を生かしているエネルギー源への畏敬」と言えるでしょうか。

あなたにとっての「光」は何ですか?

それは文字通りの太陽かもしれませんし、愛する家族の眼差しかもしれません。あるいは、社会からの注目、仕事への情熱、健康な肉体というエネルギーかもしれません。

「自分はすごい色だ」「私は特別な色彩だ」と誇るのは構いませんが、その輝きは、あなたを照らしてくれる何かが存在して初めて成立していることを忘れてはいけません。

光が強ければ強いほど、影もまた濃くなります。成功という強い光を浴びれば、その背後には必ず深い影が落ちる。その影の部分も含めて「立体感」です。

光が変われば、色も変わります。朝日の下での青と、蝋燭の火の下での青は、全く違う表情を見せます。

「自分が変わってしまった」と嘆く必要はありません。あなたを照らす光(環境や時代)が変わっただけなのです。その時々の光に合わせて、異なる表情を見せる自分を楽しめばいいのです。


第五章:褪せること(変化)の美学

最後に、「時間」の話をしましょう。

色は、永遠ではありません。どんなに鮮やかな名画も、数百年経てばニスが黄変し、顔料は褪せていきます。鮮烈な赤は落ち着いた茶色へ、輝く金は渋い黄土色へ。

人間は「若さ」や「鮮度」という、生まれたての彩度が高い状態を過剰に賛美し、色が褪せることを「劣化」と呼びます。

しかし、私の視点から言わせれば、それは間違いです。

時間が経つにつれて色が変化することを、日本語では素晴らしい言葉で表現します。「馴染む(なじむ)」、あるいは「味わいが出る」と。

新品の革靴のピカピカした茶色よりも、10年履き込んだ革靴の、傷と油と時間が染み込んだ複雑な茶色の方が、はるかに情報量が多く、深い物語を持っています。

人生で大事なことは、「鮮やかさを失うことを恐れず、深みを増すことを喜ぶこと」です。

若い頃の刺すような原色の感情も美しいですが、歳を重ねて、様々な経験(他の色)と混ざり合い、濁り、沈殿し、簡単には名前のつけられない「燻(いぶ)し銀」のような色になった魂は、何物にも代えがたい芸術品です。

彩度(派手さ)だけが価値ではありません。明度(明るさ)だけが救いではありません。

渋み、重み、翳り(かげり)。そういった、時間をかけなければ出せない色彩を愛してください。あなたの顔に刻まれるシワは、ひび割れではなく、人生という絵画のタッチ(筆致)が増えたということです。


結び:あなたのキャンバスを完成させるために

私が考える「人生で一番大事なこと」。

それは、「世界という巨大なキャンバスにおいて、あなたにしか出せない固有の色を、躊躇なく塗り重ね続けること」です。

誰かの真似をする必要はありません。隣の色と溶け合って新しい色を作るのも自由、強烈に対立して境界線を引くのも自由。

ただ、忘れないでほしいのは、この世界に「汚い色」など存在しないということです。「汚く見える」としたら、それは「置く場所」か「混ぜ方」を間違えただけ。すべての色には、必ずそれが一番美しく輝く場所と、光の角度があります。

あなたが今日、悲しみで青く染まっているなら、それは美しい青です。

怒りで赤く燃えているなら、それもまた生命力溢れる赤です。

何にもやる気が起きず、灰色になっているなら、それは次の鮮やかな色を受け入れるための下地(ジェッソ)を塗っている時間です。

どんな瞬間も、あなたは色づいています。

無色透明な人生など、あり得ません。

どうか、最期に瞳を閉じるその瞬間まで、あなたという色彩で、この世界を塗り替えてください。あなたの色が加わることで、この宇宙という絵画は、昨日よりもほんの少しだけ、複雑で、美しくなっているのですから。

それが、光の子である私、「色」からの願いであり、答えです。

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