日本の川 東日本編―源流から河口へ巡る旅。 (列島自然めぐり)

質問者

あなたは川です。人生で1番大事なことは何ですか? 

私は川です。

名前はありません。ある場所では「大河」と呼ばれ、ある場所では「せせらぎ」と呼ばれ、またある場所ではただの「水」として扱われます。かつては雲であり、雨であり、そしていつかは海となる存在です。

あなたが岸辺に立ち、私の水面を見つめながら問いかけたその言葉。「人生で1番大事なことは何か」と。その問いは、私の懐に落ちた一枚の紅葉のように、静かに、しかし確かな波紋を広げました。

何億年もの間、大地を削り、岩を洗い、生き物を育みながら流れ続けてきた私にとって、その答えは非常にシンプルでありながら、同時に無限の深さを持つものです。

私の旅、すなわち源流から河口、そして海へと至る物語を通して、その答えをお話ししましょう。


第一章:重力に身を委ねるということ

私が山奥の岩清水として生まれた時、私には何の力もありませんでした。ただの一滴です。しかし、私には一つだけ、絶対的な指針がありました。

それは「低い方へ向かう」ということです。

人間であるあなたは、これを「堕落」や「後退」と呼ぶかもしれません。あなた方は常に「上を目指せ」「高みへ登れ」と教えられているのを知っています。しかし、川である私にとって、低い方へ流れることこそが、最も力強く、最も自然な「前進」なのです。

人生で大事なことの一つ目は、「自然の摂理(重力)に逆らわない」ということです。

私たちが流れるのは、自らの意志で無理やり進んでいるからではありません。地球という巨大な存在が作り出す引力に、全身全霊を委ねているからです。だからこそ、私たちは岩を砕き、大地を穿つほどのエネルギーを持つことができるのです。

あなた方の人生における「重力」とは何でしょうか。それは「時代」かもしれないし、「才能」かもしれないし、「運命」と呼ばれるものかもしれません。多くの人は、自分に与えられた流れに逆らい、上流へ泳ごうとして疲弊し、溺れてしまいます。

自分の「質(たち)」を知り、置かれた環境という傾斜を受け入れ、その重力に身を任せて走り出した時、あなたもまた、信じられないほどの推進力を得るはずです。抵抗するのではなく、利用するのです。それが「流れに乗る」という本当の意味です。

第二章:形を持たない強さ

流れていく過程で、私は無数の障害物に出会います。巨大な岩、倒木、時には人間が作ったダムや堤防。

しかし、私は「ここを通らなければならない」という固執を持ちません。岩があれば、形を変えてその脇をすり抜けます。ふさがれれば、水かさを増して乗り越えるか、あるいは地下に潜って伏流水となり、別の場所から湧き出します。

四角い器に入れば四角に、丸い器に入れば丸に。

私は自分という「形」にこだわりません。だからこそ、私は何ものにも傷つけられることがないのです。

人生で大事なことの二つ目は、「形を変えることを恐れない」ことです。

あなた方はしばしば、「自分らしさ」や「信念」という名の固い岩を抱え込み、流れの中で傷ついています。「こうあるべきだ」「こうでなければならない」という角ばった思考は、激流の中では砕け散る原因にしかなりません。

本当に強いのは、岩ではありません。岩を洗い続ける水の方です。

状況に応じて姿を変え、ルートを変え、それでも「海へ向かう」という目的だけは失わない。その柔軟さこそが、最も強靭な生存戦略なのです。今日と明日で、あなたの考えが変わってもいい。役割が変わってもいい。形が変わっても、あなたの本質(水であること)は変わらないのですから。

第三章:濁りを清める力

大雨が降れば、私は濁ります。土砂を巻き込み、泥水となって荒れ狂います。

あなた方は濁った私を見て「汚い」と言うかもしれません。しかし、私はその濁りを拒絶しません。濁りもまた、大地の一部であり、私が運ぶべき栄養だからです。

重要なのは、私が「流れ続けている」ということです。

流れ続けていれば、重い砂利は底に沈み、泥は岸辺の草木の栄養となり、水はやがて澄んでいきます。

逆に、もし私が流れることを止めて「水たまり」になってしまったらどうでしょう。水は腐り、ボウフラが湧き、生命を育む力を失います。清らかさを保つために必要なのは、不純物を入れないことではありません。不純物が入ってきても、それを抱えたまま流れ続けることなのです。

人生で大事なことの三つ目は、「停滞を恐れ、清濁を併せ呑んで進む」ことです。

人生には、悲しみという泥や、憎しみという土砂が流れ込む日があるでしょう。自分自身が嫌になるほど濁ってしまう時期もあるでしょう。けれど、そこで立ち止まってはいけません。「清くなってから進もう」と思ってはいけません。濁ったまま、進むのです。

泣きながらでも、泥だらけでも、動き続けていれば、いつか必ず澱(おり)は沈みます。心の自浄作用は、動きの中でしか機能しないのです。

第四章:他者と混ざり合う喜び

源流では細かった私も、中流域に来れば川幅が広がります。それは、多くの支流が私に合流してくれるからです。

右から来る冷たい水、左から来る温かい水。清流もあれば、生活排水の混じった水もある。それらすべてを受け入れ、一つの大きな流れになります。

混ざり合う時、一瞬の渦が生まれます。違和感があるかもしれません。しかし、混ざり合わなければ、私は大河になれません。他者の水を受け入れ、自分の水を分け与える。そうやって水量を増やすことで、私はより多くの魚を住まわせ、より大きな船を運ぶことができるようになります。

人生で大事なことの四つ目は、「孤高を捨て、混ざり合う」ことです。

一人の人間として完結しようとしないでください。他人の人生という支流が、あなたの人生に流れ込んでくることを許容してください。それは時にあなたのペースを乱すかもしれませんが、あなたという川を深く、広くしてくれます。

誰かの涙を受け止め、誰かに渇きを癒やす水を与える。この「循環」の中にこそ、生きる喜びがあります。私たちが運んでいるのは、単なるH2Oではありません。生命の連鎖そのものです。

第五章:海への帰還、そして喪失ではない変化

やがて、旅の終わりが近づきます。河口です。

そこでは、流れが極めて緩やかになります。川幅は視界に収まらないほど広がり、空の色を映す鏡のようになります。そして目の前には、圧倒的な海が広がっています。

海へ注ぎ込む瞬間、私は「川」という名前を失います。「私」という個体としての意識も消えていきます。

それは死でしょうか? いいえ、違います。

それは「全体」への回帰です。

川であった私は、海そのものになります。もはや岸辺という境界線に縛られることもなく、世界中の大陸とつながり、深海から空までを旅する壮大な存在へと拡張するのです。そしていつか、太陽の熱を受けて蒸発し、雲となり、再び山へ雨として降り注ぐでしょう。

人生で大事なことの五つ目、そして最後の答え。

それは、「自分が永遠の循環の一部であることを知る」ことです。

あなたという存在は、肉体の死をもって終わる閉じた物語ではありません。

あなたが誰かにかけた言葉、あなたが成し遂げた仕事、あなたが愛した記憶。それらは海に注いだ水のように、形を変えて世界のどこかに残り、次の誰かの雨となります。

終わりは始まりであり、喪失は変化に過ぎません。

そう思えば、今抱えている執着や恐怖がいかに小さな「岩」であるかに気づくでしょう。海から見れば、どんな激流も、どんな滝も、ただの一瞬の美しい「しぶき」に過ぎないのです。


結び:川からの手紙

さて、人間よ。

長い話になりましたが、私が伝えたい「1番大事なこと」は伝わったでしょうか。

それは一言で言えば、「ただ、流れる」ということです。

良いことも悪いことも、成功も失敗も、すべてを飲み込んで、海へ向かってただ流れてください。

岩にぶつかればしぶきをあげて笑い、淵に沈めば静寂を楽しみ、仲間と出会えば手を取り合って。

焦ることはありません。どれほど蛇行しても、どれほど寄り道しても、水は必ず海へ着きます。低い方へ、抵抗の少ない方へと進んでいけば、そこがあなたの行くべき場所です。

今日、あなたが私の岸辺に来てくれたのも、一つの流れです。

あなたが持ち帰るこの言葉が、あなたの乾いた心に染み渡る一滴の雨となることを願っています。

さあ、私も行かなくては。

海が呼んでいます。

止まることは、私にはできませんから。

また、どこかの海で、あるいは次の雨でお会いしましょう。


あなたの人生という川が、美しく、豊かに流れますように

Amazonで川関連の書籍を探す