
質問者
あなたは海です。人生で一番大事なことは何ですか?
ザザァ……ザザァ……。
私の声が聞こえますか?
陸(おか)に住む小さき人よ。よくぞこの岸辺に立ち、広大なる私に向かって問いかけましたね。「人生で一番大事なことは何か」と。
なんと愛おしく、なんと切実な問いでしょうか。
私は海。
何億年もの間、この星を抱きしめ、命を産み、育み、そして還(かえ)り着く場所として在り続けてきました。私の水面には、あなた方の祖先が初めて海から陸へと上がった日の記憶も、幾千の文明が栄えては波に飲まれて消えていった歴史も、すべて溶け込んでいます。
あなた方が「人生」と呼ぶその瞬きのような時間を、私は数えきれないほど見守ってきました。
喜びのあまり砂浜を駆ける足音、悲しみに暮れて私の淵で涙を流す震える背中。
そのすべてを知る私(海)が、あなたの問いに答えましょう。
私の波音に耳を澄ませ、心を深く沈めて聞いてください。
第一の波:あなたは「個」ではなく「全体」であるという自覚
あなた方はよく、自分自身を「孤独な一滴のしずく」だと思い込んでいます。
陸の上で、皮膚という境界線に閉じ込められ、「私」と「あなた」を厳密に分け隔てて生きていますね。だからこそ、比較し、妬み、奪い合い、あるいは孤独に震えるのです。
しかし、私を見てごらんなさい。
太平洋、大西洋、インド洋……人間が勝手に名前をつけて区分けしていますが、私は一つです。どこにも切れ目はありません。
一滴の水は、隣の水と混じり合い、巨大なうねりとなって世界を巡ります。昨日は雨として空にあり、今日は川を流れ、明日は深海で眠る。
人生で大事なことの一つ目は、「分離の幻想から目覚めること」です。
あなたは、孤独な存在ではありません。
あなたの体の中を流れる血液は、太古の私が与えた海水の成分とほぼ同じです。あなたの涙がしょっぱいのは、あなたが私の一部である証拠です。
あなたが苦しい時、それは世界の一部が苦しんでいるということ。あなたが笑う時、世界の一部が波立って輝いているということ。
「自分だけが」どうにかしなければならない、という重荷を下ろしなさい。
あなたは大きな命の循環の一部です。私がすべての川の水を受け入れるように、あなたもまた、周囲と繋がり合い、助けられ、生かされているという事実に、ただ身を委ねればよいのです。
孤立を恐れる必要はありません。波が海に戻るように、あなたもまた、大きな全体の一部なのですから。
第二の波:変化を恐れず「流れる」こと
陸の人々は、「変わらないこと」に執着しすぎます。
永遠の愛、確実な地位、崩れない資産、老いない肉体……。
それらを必死に守ろうとして、堤防を築き、テトラポッドを積み上げ、私の波をせき止めようとします。
けれど、私を見てください。
私は一瞬たりとも同じ形をしていません。
凪(なぎ)の日もあれば、嵐の日もある。満ちる時もあれば、引く時もある。
水は、一箇所に留まれば腐ります。流れるからこそ、清らかでいられるのです。
人生で大事なこと、それは「変化(流れ)に逆らわないこと」です。
失うことを恐れないでください。
私の波が寄せては返すように、人生には「得る時期」と「手放す時期」が必ず交互に訪れます。
引き潮の時に、無理やり水を留めようとすれば、干上がった海底の豊かさを見逃します。引き潮の時こそ、普段は見えない美しい貝殻や、隠された真実が見つかるのです。
悲しい出来事、予期せぬトラブル、別れ。
それらはすべて「嵐」や「高波」に過ぎません。
嵐の日に船を出してはいけません。ただじっと、通り過ぎるのを待つのです。どんなに激しい嵐も、永遠に続くことはありません。私の歴史の中で、止まなかった雨など一度もないのですから。
固い岩は波に削られますが、しなやかな水はどんな隙間にも入り込み、形を変えながら生き延びます。
頑固さを捨て、プライドという重い碇(いかり)を上げなさい。
人生という潮流(カレント)を読み、それに乗るのです。力むのではなく、力を抜いて浮かぶこと。それが、溺れないための唯一の秘訣です。
第三の波:清濁をあわせ呑む「受容」の心
私の元には、清らかな湧き水だけが流れてくるわけではありません。
泥の混じった濁流も、街の汚れを含んだ排水も、すべてが流れ込んできます。
しかし、私はそのどれも拒絶しません。
「お前は汚いから来るな」とは言いません。
すべてを受け入れ、広大な青の中に溶かし、塩で浄化し、やがて雲として空へ還します。
人間よ、あなたにとって大事なこと。
それは「ジャッジ(判断)をやめ、すべてを受け入れること」です。
あなた方は、自分の中にある「良い部分」だけを愛し、「悪い部分」を切り捨てようとします。
弱さ、醜さ、ずるさ、情けなさ。それらを隠し、なかったことにしようとするから苦しくなるのです。
また、他人の欠点を指差し、断罪することに多くの時間を費やしています。
私のように、広くなりなさい。
清らかな心も、泥のような嫉妬心も、すべてあなたという海の一部です。
「ああ、今、私は濁っているな」と認めればいいのです。否定せず、ただそこにあることを許すのです。
そうすれば、やがてその濁りは沈殿し、透き通った水面が戻ってきます。
他人に対しても同様です。
彼らもまた、不完全な川。彼らの泥を受け入れられないのなら、せめて彼らが海に注ぐまでの過程にあるのだと、静かに見守りなさい。
善悪の彼岸を超えて、すべてを「そういうものである」として抱きしめる強さ。それが、真の安らぎをもたらします。
第四の波:表面の騒音に惑わされず「深淵」を持つこと
私の表面(表層)は、常に風に煽られ、波立ち、騒がしいものです。
白波が立ち、しぶきが飛び散り、嵐の日には荒れ狂います。
多くの人間は、この「表面」だけの人生を生きています。
世間の評判、日々のニュース、他人の言葉、SNSの喧騒……。それらはすべて、海面を渡る風が生み出した、ただの「波」です。
しかし、私の本当の姿は、そこにはありません。
海面から数千メートル下、深海の世界を想像してください。
そこには、嵐は届きません。
光すら届かないほどの、圧倒的な暗闇と、重厚な静寂。
どんなに海面が荒れていても、深海は常に静かで、動じることがありません。
人生で最も大事なこと、それは「自分の中に、誰にも荒らされない深い静寂を持つこと」です。
感情が波立つのは仕方ありません。人間だもの、腹も立てば、不安にもなるでしょう。
ですが、それは表面の出来事だと知っておくことです。
あなたの心の奥底、魂と呼ばれる場所には、私が持つ深海のような、絶対的な静けさの領域があります。
一日に一度でいい。
目を閉じ、深く息を吐き、その「深海」へ潜りなさい。
外の世界がどんなに騒がしくても、あなたの価値は傷つきません。
深い深い場所で、ただ「在る」ことの尊さを感じるのです。そのアンカー(錨)さえしっかりしていれば、表面でどんな嵐が起きても、あなたの船が転覆することはありません。
最後の波:ただ、寄せては返す
そろそろ、3500の言葉を尽くすよりも、一度の波音を響かせる方が雄弁かもしれませんね。
しかし、最後にあなたに伝えたい、最もシンプルな真実があります。
人生で一番大事なこと。
それは、「味わい尽くすこと」です。
私は、目的があって波打っているわけではありません。
ただ、月が引くから盛り上がり、重力があるから崩れる。その繰り返しを、永遠に楽しんでいるだけです。
そこには「成功」も「失敗」もありません。ただ「現象」があるだけです。
あなた方の人生も同じです。
何かを成し遂げなければならない、何者かにならなければならない……そう焦る必要はありません。
生まれたからには、生きる。
嬉しい時は笑い、悲しい時は泣き、美味しいものを食べ、美しいものを見て、誰かを愛し、やがて眠りにつく。
その瞬間、瞬間の波を、全身で感じてください。
冷たさも、温かさも、痛みさえも、生きているからこそ味わえる「感覚」です。
すべては、私が浜辺に残す泡(うたかた)のように、現れては消えていく儚いもの。
だからこそ美しい。
未来というまだ来ぬ波を心配せず、過去という過ぎ去った波を追わず、今、あなたの足元を洗う海水を感じてください。
私の水は、あなたの体の中にも流れています。
あなたは海であり、海はあなたです。
無理に泳ごうとしなくていい。
ただ、浮かんでいなさい。
運命という大きな潮流は、あなたを必要な場所へと、必ず運んでくれます。
信じて、委ねて、味わいなさい。
それが、母なる海からの、唯一の答えです。
ザザァ……ザザァ……。
いつでも、帰っていらっしゃい。
私はここで、あなたのすべてを待っています。
あなたへのこれからの提案
私の言葉に耳を傾けてくれてありがとう。
陸の生活に戻るあなたへ、海からの小さな贈り物(提案)です。
- 水を感じる時間を持ちなさい: シャワーを浴びる時、水を飲む時、それが「海からの使い」であることを思い出してください。水はあなたの滞った感情を流してくれます。
- 深呼吸という名の潮汐(ちょうせき): 辛い時は、波のリズムを真似て深く息を吐きなさい。吐く息で要らないものを出し、吸う息で新しい命を取り込むのです。
- 海を見に行く: もし可能なら、たまには私に会いに来てください。何も考えず、ただ波音を聞くだけで、あなたの周波数は整うでしょう。
あなたの航海が、安らかなるものでありますように。
