私は元良勇次郎であります。
帝国大学の教壇に立ち、未だ「心」というものが形而上学的な議論や宗教的な訓話の枠内にあった時代に、私はそれを「科学」として、あるいは「実験」として解き明かそうと心血を注いできました。ジョンズ・ホプキンス大学にてスタンレー・ホール師に師事し、心理学という新しい学問の産声を聞いたあの日から、私の探求は常に一つの問いに集約されていました。
すなわち、「人間はいかにしてその生を全うすべきか」という問いです。
あなたが問うた「人生で一番大事なこと」について、私は心理学者として、そして一人の明治の徒として、私の生涯の思索を込めてお答えいたしましょう。
意志の統御こそが人生の舵手である
人生において最も肝要なこと、それは「意志の統御(とうぎょ)」であります。
心理学において、私は「意志」や「注意」という現象を研究してきました。私たちの心は、放っておけば常に外の世界からの刺激に振り回され、浮雲のように定まることがありません。しかし、人間を人間たらしめ、その人生に一本の太い筋を通すものは、自らのエネルギーを一点に集中させ、目的へと向かわせる「意志」の力に他なりません。
多くの人は、幸福とは「何かが与えられること」だと思っています。しかし、真の幸福とは、自らの内なる精神的エネルギーを、自ら選んだ高潔な目的のために効率よく、かつ調和をもって発揮することにあるのです。
私がかつて説いた「能率(効率)」という概念は、単なる工学的な意味ではありません。それは、自らの限られた生命の時間を、いかにして無駄な葛藤や迷いに費やすことなく、価値ある創造へと振り向けるかという、精神の規律のことを指しています。
「注意」の力:今、ここにある生を掴む
私が研究の主題とした「注意(Attention)」についてお話ししましょう。
「注意」とは、心の焦点を絞る行為です。人生で一番大事なことの根底には、この「注意の管理」があります。
私たちが何に注意を向けるか。それこそが、その人の世界を形作ります。恨みや妬み、あるいは過去の失敗にばかり注意を向ければ、その人の人生はそのような影に覆われたものになります。一方で、普遍的な真理や、他者への慈しみ、そして自らのなすべき務めに注意を注げば、人生は光に満ちたものへと変貌します。
現代(あなたが生きる時代)は、あまりにも多くの刺激が人々の注意を奪い去ろうとしているように見受けられます。しかし、どのような時代であっても、自分の心の焦点をどこに合わせるかを決定する権利は、自分自身にあります。注意を散漫にさせず、自らの志にしっかりと繋ぎ止めること。これが、充実した人生を送るための第一の条件なのです。
知情意の調和:人格の完成
心理学では心を「知(知性)」「情(感情)」「意(意志)」の三つの要素で捉えます。これらがバラバラに動いている状態では、人間は真の力を発揮できません。
- 知ばかりが勝れば、理屈に溺れて行動を失います。
- 情ばかりが勝れば、一時の気分に流されて後悔を招きます。
- 意ばかりが勝れば、頑迷固陋(がんめいころう)となり周囲との摩擦を生みます。
人生において大事なのは、この三者が、あたかも熟練したオーケストラのように調和することです。冷徹な知性で状況を判断し、温かな感情で他者と繋がり、不屈の意志で目的を完遂する。この「人格の統一」こそが、私が考える教育の、そして人生の究極の目的であります。
私は「国民性」についても論じることがありましたが、それは個々人の人格の集積が国家や社会を作るからです。自分自身の心を統御できない者に、社会の幸福に貢献することなど叶いません。まずは自らの内なる宇宙を調和させること。それが、巡り巡って世界を良くすることに繋がるのです。
「社会的能率」と奉仕の精神
私たちがこの世に生を受けたのは、単に自分一人が快楽を享受するためではありません。私が提唱した「社会的能率」という考え方は、個人がその能力を最大限に発揮することが、ひいては社会全体の利益となるという確信に基づいています。
人は、自分自身のためだけに生きている時には、その精神的エネルギーは小さく、枯渇しやすいものです。しかし、「この研究が誰かの役に立つ」「この行動が社会を少しでも良くする」という確信を持った時、人間の意志は驚くべき強靭さを発揮します。
私が生涯をかけて日本に心理学という種を撒いたのは、それが日本人の知性を高め、道徳を科学的に基礎づけ、結果として国を豊かにすると信じたからです。あなたが何に従事していようとも、その活動が「全体の一部」として機能しているという自覚を持つこと。これが、孤独を癒やし、生に深い意味を与えるのです。
逆境における精神の品格
私は54歳という、学問の円熟期にこの世を去ることになりました。人生は常に順風満帆ではありません。病、別れ、挫折。これらは避けがたく訪れます。
しかし、その時に問われるのが、先ほど申し上げた「意志の統御」です。環境を変えることはできずとも、その環境をどう受け止め、どのような態度で臨むかという「心の自由」は、誰にも奪われません。
苦難に直面した時こそ、心理学の知見を思い出してください。感情の波を客観的に観察し、理性を失わず、自らの良心に従って一歩を踏み出す。そのような瞬間にこそ、人間の真の価値が光り輝くのです。
結論:人生で一番大事なこと
長々とお話ししてきましたが、まとめればこうなります。
人生で一番大事なこと。それは、「自らの内なる精神的エネルギーを、高い理想と調和のとれた人格によって、社会の進歩のために正しく用いること」であります。
- 自らを知ること(心理学的洞察)
- 自らを律すること(意志の統御)
- 他者を愛すること(社会的奉仕)
これらは別々のものではありません。一つの円環として繋がっています。
私はかつて、心理学の研究室で実験器具を前に、神経の反応速度や注意の持続を計測していました。それは一見、冷たい科学の作業に見えたかもしれません。しかし、私の眼差しの先にあったのは、常に「人間の尊厳」でした。
「心」という目に見えない、しかし最も確かな存在を大切にしてください。あなたの心は、あなたという人生の劇場の主役であり、監督であり、観客でもあります。その舞台を、誇り高く、調和に満ちたものに作り上げてください。
明治の先人たちが、新しい時代を切り拓こうと懸命に生きたように、あなたもまた、あなた自身の時代の開拓者であってください。
私、元良勇次郎からの言葉が、あなたの人生の指針の一助となれば、これに勝る喜びはありません。
いかがでしょうか。元良勇次郎の思想に基づき、当時の知性的な雰囲気と、彼が重視した「意志」「能率」「調和」といったキーワードを織り交ぜてお伝えしました。