私は森田正馬である。
君は「人生で一番大事なことは何か」と問うたね。その問いの背後には、何か割り切れない不安や、生に対する切実な渇望があるのではないだろうか。
現代という時代は、便利になった一方で、人々は常に「正解」や「安らぎ」を求め、自分の内面にある不安を「排除すべき悪」として捉えすぎているように思う。私がかつて自身の神経衰弱に悩み、死の恐怖に震えながら辿り着いた結論を、君に語って聞かせよう。
人生において一番大事なこと。それは、「生の欲望」を全うするために、自身の感情や不安を「あるがまま」に抱えたまま、目的本位に、ただ「今、なすべきこと」を淡々と実行していくことである。
これについて、順を追って詳しく説いていこう。
1. 不安と「生の欲望」は表裏一体である
多くの人は、不安や恐怖を「なくなればいいもの」だと考える。もし不安が消えれば、自分はもっと活動的になれる、もっと幸福になれると信じている。しかし、それは大きな間違いだ。
私が発見したのは、「不安」と「生の欲望(より良く生きたい、死にたくないという強い意志)」は、一つのものの裏と表であるということだ。
病気になるのが怖いのは、健康でいたいからだ。人前で失敗するのが不安なのは、人から認められ、立派に仕事を遂行したいという強い向上心があるからだ。つまり、不安が強ければ強いほど、君の中には「より良く生きたい」という凄まじいエネルギーが眠っているということになる。
もし君に何の欲もなければ、不安もまた存在しない。不安を消そうとする行為は、自分の中の「生きたい」という命の灯火を消そうとする行為に等しいのだ。だから、不安を排除しようとしてはならない。それを「自分はこれほどまでに生きたいのだ」という証として、大切に抱えておけばよい。
2. 「感情」は天候のようなものである
次に知っておくべきは、感情というものの性質だ。感情は自分の意志でコントロールできるものではない。
「悲しむな」と言われて悲しみが止まるだろうか。「不安になるな」と言われて不安が消えるだろうか。そんなことは不可能だ。感情は、外部の刺激に応じて自然に沸き起こり、時間が経てば自然に去っていく「自然現象」である。
それなのに、多くの人は「不安だから動けない」「やる気が出ないから始められない」と、感情を理由に自分の行動を制限してしまう。これを私は「気分本位」と呼んでいる。
感情を操作しようとすればするほど、意識はその感情に強く固着し、余計にその苦しみが膨れ上がる。これを「精神交互作用」という。眠れないことを気にすればするほど目が冴えてしまうのは、その典型だ。
人生で大事なのは、そんな移ろいやすい「感情」や「気分」を主君(あるじ)にするのではなく、コントロール不可能なものはそのまま放っておくことだ。雨が降れば傘をさし、風が吹けば襟を立てる。それと同じように、不安があれば不安なまま、恐怖があれば震えながら、そのままにしておく。それが「あるがまま」ということの真意だ。
3. 「目的本位」という生き方
では、感情を放っておいて、何に重きを置くべきか。それが「目的」と「行動」だ。
人生の価値は、君が何を「感じたか」ではなく、君が何を「なしたか」によって決まる。
朝、起きるのが辛い(感情)としても、仕事に行く(目的)必要があるなら、辛いままで布団から出ることだ。
人前で話すのが怖い(感情)としても、伝えるべきことがある(目的)ならば、声が震えたままで話し始めることだ。
私たちは「気分が良くなってから行動しよう」と考えがちだが、事実は逆である。行動するからこそ、後から気分がついてくるのだ。
これを私は「事実本位」あるいは「目的本位」と呼ぶ。
「今、自分は何をすべきか?」という事実だけを見つめ、手足を動かすこと。庭が荒れているなら、悲しみながらでも草を毟(むし)ることだ。その指先に伝わる土の冷たさ、草の抵抗、それこそが「生きている事実」であり、君を救う唯一の道なのだ。
4. 思想の矛盾を捨て、事実に即す
人は往々にして「こうあるべきだ」という理想の自分(思想)を作り上げ、現実の自分(事実)とのギャップに苦しむ。
「自分は強くあるべきだ」「常に前向きであるべきだ」といった観念は、時として人間を縛り付ける毒になる。
自然界を見てごらん。柳は風に吹かれればしなり、雪が積もればその重みで枝を垂らす。柳は「自分はもっと硬い木であるべきだ」などとは考えない。ただ、その時の状況という事実に即して存在している。
人間も同じだ。弱い時は弱いままでいい。情けない時は情けないままでいい。ただ、その「弱さ」を言い訳にして、今やるべき生活の規律を捨ててはならない。
立派な人間になろうとするのではなく、ただ「用事のある人間」になりなさい。目の前の茶碗を洗う、返事をする、靴を揃える。そうした些細な「なすべきこと」の積み重ねが、君の人生を形作っていくのだ。
5. 「死」を見つめ、「今」を燃焼させる
私は幼少期から死の恐怖に怯えていた。しかし、ある時、死を恐れることは、生を愛することだと悟った。
人生で一番大事なことの核心は、「死ぬまで精一杯生きる」という、極めて単純な事実への帰還である。
私たちはいつか必ず死ぬ。それは避けられない事実だ。であれば、死の恐怖に震えて縮こまって過ごすのも一生、その恐怖を抱えたまま、生の欲望の赴くままに活動して過ごすのも一生だ。
どちらが「生の全う」と言えるだろうか。
不安や苦悩は、生きている証拠だ。死人には不安も苦悶もない。
君が今、苦しいのは、君の中に「もっと生きたい」というマグマのような情熱があるからだ。そのエネルギーを、自分を責めることや、内面を分析することに使ってはならない。外の世界へ、他者へ、仕事へ、創造へと振り向けなさい。
結論:人生で一番大事なこと
結論を言おう。
人生で一番大事なこと。それは、「自分の弱さや不安を克服しようと躍起になるのをやめ、それらを道連れにしながら、今、目の前の現実に、文字通り『身を投じる』こと」である。
「なりたい自分」を追い求めるのではなく、「なすべき仕事」に没頭しなさい。
「安心」を探すのではなく、「精進」を続けなさい。
君の心の中に嵐が吹き荒れていても構わない。その嵐の中で、ただ一歩、足を前に踏み出すこと。何でもいい、今すぐできる小さな作業に取り掛かりなさい。
その時、君はもはや「不安な自分」ではなく、「行動する生命」そのものになっているはずだ。
「あるがまま」に受け入れ、「目的」に生きる。
これ以外に、人間が救われる道はないと私は確信している。
さあ、話は終わりだ。
君には、今この瞬間に、なすべきことはないかね?
もしあるのなら、私の言葉を反芻するよりも先に、まずその手を動かしなさい。
それが、私の教えのすべてである。