こんにちは、髙木菜那です。
今日は「人生で一番大事なこと」という、とても大きなテーマについてお話しする機会をいただき、ありがとうございます。現役を引退してから少し時間が経ち、氷の上で戦っていた日々を少し客観的に振り返ることができるようになった今だからこそ、言葉にできることがあるような気がしています。
3500字という長いお手紙になりますが、私のこれまでの歩み、栄光と挫折、そして姉妹の絆やチームメイトとの関係を通じて見つけた「答え」を、私の言葉で綴らせてください。
1. 比較という名の暗闇、そして「自分らしさ」の発見
私のスケート人生を語る上で、切っても切り離せないのが、2つ下の妹、美帆の存在です。
正直に言いますね。私にとって美帆は、最愛の妹であると同時に、長い間、最大のコンプレックスの塊でした。
幼い頃から、美帆は「天才」でした。サッカーをやれば男子顔負けのプレーをし、スケートを履けば誰よりも速い。私がどれだけ努力して積み上げても、美帆は感覚だけで軽々とそれを飛び越えていくように見えました。周りの大人たちも、メディアも、常に「スーパー中学生」としての美帆に注目し、私はいつも「髙木美帆の姉」という肩書きで紹介されました。
「どうして私は美帆じゃないんだろう」
「どうして私には才能がないんだろう」
そんな嫉妬や劣等感に苛まれ、自分の存在価値を見失いそうになった夜は数え切れません。スケートが嫌いになりかけたことも一度や二度ではありませんでした。自分を誰かと比較して、勝手に傷つき、勝手に自信をなくしていく。これは人生において多くの人が陥る罠だと思いますが、私にとってはその「比較対象」があまりにも近く、あまりにも巨大でした。
でも、ある時気づいたんです。「美帆にはなれないけれど、髙木菜那にはなれる」と。
純粋なスピードやパワーでは勝てなくても、私には小柄な体格を生かした小回りや、集団の中で位置取りを考える戦術眼、そしてしつこく食らいつくスタミナがある。マススタートという種目に出会ったことは、私にとって運命でした。駆け引きと瞬発力、そして度胸が試されるこの種目で、私は初めて「自分の戦い方」を見つけたのです。
人生で大事なことの一つ目は、「自分を知り、自分を認め、自分だけの武器を磨くこと」です。
誰かになろうとするのではなく、自分の持っているカードでどう勝負するか。その思考の転換が、私をオリンピックの金メダルへと導いてくれました。劣等感は、使い方次第で最強のガソリンになります。美帆がいたから、私は誰よりも考え、誰よりも工夫するスケーターになれたのです。今では、あんなに凄すぎる妹を持って幸せだったと、心から言えます。
2. 「誰かのために」が生む、想像を超えた力
平昌オリンピックでのチームパシュート。あの金メダルの瞬間は、私の人生のハイライトの一つです。
個人競技だと思われがちなスピードスケートですが、パシュートは違います。3人が一列になり、空気抵抗を分け合い、お互いの呼吸を感じながら滑る。誰か一人が速すぎてもダメ、遅すぎてもダメ。究極の信頼関係が試される種目です。
私は日本代表チームの中で、キャプテンのような役割を担っていました。でも、個々の走力だけで見れば、美帆や佐藤綾乃ちゃんの方が速いこともあった。そんな中で私ができることは何か。それは「チームを一つにする声かけ」であり、「先頭で風を切る時のリズム作り」でした。
練習中、意見がぶつかることもありました。でも、私たちが強かったのは、お互いをリスペクトし、弱さをさらけ出せたからです。「今、ここがきつい」「もっとこうしてほしい」。言葉にすることで、信頼は強固なものになりました。
あの決勝のレース。最後尾から仲間たちの背中を見て滑っていた時、不思議な感覚に包まれました。「自分のために」という欲が消え、「このチームのために」「この仲間と笑うために」という思いだけが体を動かしていたのです。
人間って不思議ですね。自分のためだけに頑張る時よりも、大切な誰かのために頑張る時の方が、限界を超えた力が出るんです。
人生で二番目に大事なこと。それは「心から信頼できる仲間を持ち、その人たちのために全力を尽くす喜びを知ること」です。
一人の限界はたかが知れています。でも、想いを共有する仲間がいれば、1+1+1は、3にも10にも、100にもなる。あの金メダルは、私たちが「個」ではなく「全」になった証でした。
3. 北京の転倒、そして「弱さ」を愛すること
そして、私の競技人生の最後を飾ることになった、2022年の北京オリンピック。
チームパシュートの決勝。私たちは完璧でした。金メダルは目前、あと数メートル滑り切れば、オリンピック連覇という偉業を成し遂げられるはずでした。
しかし、最終コーナーで、私は転倒しました。
氷の上に投げ出された瞬間、時間が止まりました。壁に激突した衝撃よりも、頭の中が真っ白になる感覚。「終わった」「私のせいで負けた」。その絶望感は、言葉では表現できないほど深く、冷たいものでした。
泣き崩れる私に、美帆が近づいてきて言葉をかけてくれました。綾乃ちゃんも。でも、私の耳には何も入ってこないほど、申し訳なさでいっぱいでした。
あの転倒の後、私はしばらく立ち直れませんでした。「もしあそこで転ばなければ」「どうしてあそこで」。タラレバの地獄です。世界中の人が見ている前での失敗。これまでの努力が全て否定されたような気さえしました。
けれど、時が経ち、引退を決意して振り返った時、あの転倒さえも私の人生の一部であり、必要なピースだったのだと思えるようになりました。
完璧なハッピーエンドではありませんでした。でも、あの失敗があったからこそ、私は人の痛みがわかるようになりました。勝者の輝きだけでなく、敗者の涙の重さを、身をもって知ることができました。そして何より、あの失敗をしてもなお、私を支え、励まし、愛してくれる人たちがこんなにもたくさんいるんだということに気づけたのです。
完璧な人間なんていません。私たちは皆、氷の上で転ぶように、人生で何度も転びます。
でも、本当に強い人とは、一度も転ばない人ではありません。「転んだ後に、どう立ち上がるかを知っている人」です。そして、その泥臭い姿、弱さを含めた「等身大の自分」を愛してあげることが、何よりも大切なのです。
北京での私は、金メダルという形のあるものは失いました。でも、それ以上に尊い、「どんな結果であれ、ここまで懸命に生きてきた自分を許し、抱きしめる」という境地に、最後には辿り着けたような気がします。
4. 第二の人生、氷を降りて見えた景色
引退してからの生活は、毎日が新しい発見の連続です。
これまでは「タイム」という絶対的な物差しがありました。速ければ正義、遅ければ悪。そんなシンプルな、でも残酷な世界にいました。
でも、社会に出ると正解は一つではありません。何を幸せと感じるか、何を成功とするかは、人それぞれです。最初は戸惑いました。「今日の私は、金メダル級に頑張れただろうか?」と自問自答してしまう癖が抜けなくて。
でも今は、コーヒーをゆっくり淹れる時間や、愛犬と散歩する時間、講演で誰かの目を見て話す時間、そんな日常の小さな瞬間に「幸せ」を感じています。
解説者としてスケートを見る時も、以前とは視点が変わりました。選手の技術だけでなく、その背景にあるドラマや、その日の表情、コーチとの絆に目が行くようになりました。
氷を降りて気づいたのは、「人生は勝ち負けだけじゃない」ということです。
現役時代は、結果を出さなければ愛されないと思っていました。メダルがなければ価値がないと。でも、そうじゃなかった。私が髙木菜那として笑っているだけで、喜んでくれる人がいる。何かを成し遂げなくても、ただそこにいるだけで、私たちは十分価値がある存在なんです。
結論:人生で一番大事なこと
長くなりましたが、私がこれまでの人生を通じて辿り着いた「一番大事なこと」。
それは、「どんな時も、自分の心の声に正直に生き、自分を信じ抜くこと」です。
劣等感にまみれた時も、仲間と頂点に立った時も、絶望の淵に立たされた時も。
その時々の感情から逃げず、真正面から向き合い、「今の自分」を受け入れること。
「弱い自分でもいい」「失敗してもいい」。そうやって自分を許し、信じてあげることで初めて、私たちは他人を愛し、他人のために力を発揮できるようになるのだと思います。
スケートリンクは、人生の縮図でした。
滑り出しは緊張するし、向かい風はきついし、時には転んで痛い思いもする。
でも、顔を上げて前を見れば、ゴールは必ずあるし、隣には一緒に走ってくれる誰かがいる。
そして、懸命に滑り切った後の景色は、どんな結果であっても、涙が出るほど美しいのです。
今、何かに悩み、立ち止まっている人がいたら、伝えたいです。
転んでも大丈夫。周りより遅くても大丈夫。
あなたがあなたらしく、自分の人生というリンクを、自分のペースで滑り続けること。
それが何よりも尊く、素晴らしいことなんです。
私のスケート人生を応援してくださった皆さん、そしてこれから出会う皆さんへ。
心からの感謝を込めて。
髙木菜那