スズキ株式会社の元相談役(元会長・社長)、鈴木修(すずき おさむ)の視点と語り口で、人生において最も大切にすべきことについて語ります。
「現場に立て。汗をかけ。そして、1円を笑うな」
私はスズキという会社を、町の織機メーカーから世界的な自動車メーカーへと育て上げてきました。世間では私のことを「カリスマ」だの「ワンマン」だのと呼びますが、私自身は自分のことを「浜松の中小企業のオヤジ」だと思っています。
婿養子として鈴木家に入り、創業家の重圧を背負いながら、半世紀以上にわたって経営の第一線を走り続けてきました。軽自動車という「小さなクルマ」にこだわり、インドという「未開の市場」に飛び込み、GMやフォルクスワーゲンといった巨人と渡り合ってきました。
そんな私が、90年を超える人生と、泥臭い経営の中で確信した「人生で一番大事なこと」。それは決して高尚な哲学や、美しい言葉ではありません。
人生で一番大事なこと、それは**「現場・現物・現実を直視し、自ら汗をかいて行動すること(やらまいか精神)」です。そして、その根底にある「足るを知り、無駄を憎む心」**です。
長くなりますが、私が人生をかけて学んだ「生きるための極意」をお話ししましょう。
1. 理屈をこねる前に、まず「現場」へ行け
今の世の中、頭のいい人が多すぎます。机の上でデータを分析し、会議室で立派なプレゼン資料を作る。今の若い人たちはスマートです。しかし、人生においても仕事においても、真実は会議室には落ちていません。真実は常に「現場」にあります。
私が社長時代、何度も何度も言い続けたのは「現場百回」です。工場へ行け、販売店へ行け、と。
工場の床に油が落ちていないか、ラインの動きに無駄がないか、働いている人間の目は死んでいないか。それはレポートには書いてありません。自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じなければ分からないのです。
人生も同じです。ネットで検索すれば答えらしきものは出てくるでしょう。しかし、それは他人の経験であって、あなたの経験ではない。
悩んでいる暇があったら、現場へ行くことです。人と言い争う前に、相手の顔を見に行くことです。商売がうまくいかないなら、お客さんが使っているところを見に行くことです。
私はインド進出を決めた時、多くの反対を受けました。「あんな貧しい国で車が売れるわけがない」と。しかし、私は実際にインドへ行きました。そして、人々の熱気、向上心、そして「移動の自由」を渇望する目を見ました。「ここには需要がある」と、現場の空気が私に教えてくれたのです。
データは過去の数字ですが、現場には未来の予兆があります。
人生で迷った時、一番大事なのは、自分の足を使い、自分の目で現実を確かめることです。頭でっかちになるな。靴底を減らせ。それが私の最初の教えです。
2. 「やらまいか」の精神で飛び込め
私の故郷、遠州(静岡県西部)には「やらまいか」という言葉があります。「あれこれ考えずに、まずはやってみようじゃないか」という意味です。
スズキだけでなく、ホンダさんやヤマハさん、トヨタさんといった世界的企業がこの地域から生まれたのは、この精神があったからです。
失敗を恐れて動かないことこそが、最大のリスクです。
私が1979年に「アルト」という車を出した時、価格は47万円でした。当時の常識では考えられない安さです。社内の技術者からは「社長、そんな値段では作れません」と猛反発を受けました。
しかし、私は主婦の皆さんに話を聞いていた。「買い物や子供の送り迎えに使える、サンダルのような車が欲しい」と。立派な装備はいらない、とにかく安くて動く車が欲しいと。
だから私は言いました。「部品を減らせ、コストを削れ、常識を捨てろ。まずはやってみろ(やらまいか)」と。
結果、アルトは大ヒットし、スズキの屋台骨となりました。もしあの時、できない理由ばかりを並べて何もしなければ、今のスズキはなかったでしょう。
人生においても、「準備が整ったら始めよう」と思っている人は、一生何も始められません。準備なんて一生整わないのです。
走り出しなさい。走りながら考え、走りながら直しなさい。
失敗したらどうするか? 簡単です。すぐに謝って、すぐに直せばいいのです。
「朝令暮改」という言葉は悪い意味で使われますが、私は良いことだと思っています。朝言ったことでも、昼に間違いだと気づいたら、夕方には変えればいい。最悪なのは、間違いに気づいているのにメンツにこだわって変えないことです。
3. 「ケチ」は美徳である
私はよく「ケチの鈴木」と言われますが、これは私にとって褒め言葉です。
私が言う「ケチ」とは、単にお金を使わないことではありません。「価値のないものに金を使わない」「資源を大切にする」という哲学です。
1円を稼ぐことがどれほど大変か。汗水たらして働いて、ようやく得た利益です。それを湯水のように使うなど、私には信じられません。
私が社長になって最初にしたことの一つは、工場のトイレの電気のスイッチを「細かく分ける」ことでした。誰もいない場所の電気をつけておく必要はない。紙の裏を使うのも当たり前です。
「社長、そんな細かいこと」と笑う人もいました。しかし、1円のコストダウンができなければ、1億円のコストダウンはできません。
人生も同じです。小さな時間を大切にできない人は、大きな仕事はできません。小さな約束を守れない人は、大きな信頼を得られません。
無駄を省くということは、本当に必要なところに資源を集中するということです。
見栄やプライドのために高い時計を買ったり、高級車を乗り回したりするのは、私に言わせれば「田舎者のコンプレックス」です。
本当に大事なのは中身です。質実剛健。飾らないこと。
自分の人生という限られた時間とエネルギーを、見栄のために浪費してはいけません。本当に自分が大切だと思うもの、家族や仕事や情熱を注げるものにだけ、徹底的に投資しなさい。それが私の言う「ケチの美学」です。
4. 「中小企業のオヤジ」であり続けろ
スズキは売上高数兆円の企業になりましたが、私は社員に対して常に「大企業病にかかるな」と言い続けてきました。
大企業病とは何か。それは「自分が偉くなったと勘違いすること」です。
会社の看板で仕事をしているだけなのに、自分の実力だと錯覚する。業者さんを下に見る。お客様の顔が見えなくなる。これは組織のガンであり、人間の驕りです。
私はいつまでも「中小企業のオヤジ」でいたいと思っています。
オヤジは、社員一人ひとりの顔を見て、「おい、元気か」「ちゃんと飯食ってるか」と声をかけます。悪いことをすれば本気で怒鳴ります。それは、社員を家族だと思っているからです。どうでもいい相手なら怒りもしません。
人生において一番大事なのは、どんなに成功しても、どんなに地位が上がっても、人間としての「謙虚さ」と「泥臭さ」を忘れないことです。
偉ぶってはいけません。ふんぞり返ってはいけません。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。
私のような婿養子がここまでやってこれたのは、自分が天才ではないと知っていたからです。天才ではないから、人の話を聞いた。天才ではないから、人一倍働いた。天才ではないから、1円を惜しんだ。
自分の弱さを知り、等身大の自分を受け入れること。そして、周りの人への感謝を忘れないこと。
私が会長を退いた後も、こうして皆さんにメッセージを送れるのは、私が何かを成し遂げたからではなく、多くの仲間に支えられてきたからです。
5. 最後に:人生は「死ぬまで挑戦」
私はもう90歳を超えましたが、気持ちは現役のつもりです。
人間、引退したと思った瞬間から老け込みます。「もうこの辺でいいか」と思った瞬間、成長は止まります。
人生で一番大事なこと。
それは、今日より明日はもっと良くしようと、もがき続けることです。
現状維持は後退です。世の中は常に動いています。だから、私たちも動き続けなければならない。
若い皆さん。
スマートに生きようとするな。泥にまみれることを恐れるな。
失敗してもいい。笑われてもいい。
「なにくそ!」という反骨心を持って、自分の人生という車を、自分のハンドルで運転しなさい。
助手席に乗っていては、人生の本当の面白さは分かりません。
「やるなら今しかない。やらまいか!」
この言葉を、私の人生の結論として贈ります。
小さな一歩でいい。まずは動いてみなさい。そこからすべてが始まります。
鈴木 修