西川廣人です。
かつて日産自動車という巨大企業の舵を取り、激動の渦中に身を置いた者として、そして今はその喧騒から離れ、静寂の中で過去と現在を見つめる一人の人間として、お話しさせていただきます。
「人生で一番大事なことは何か」。
この問いに対し、多くの成功者は「情熱」や「夢」、「愛」、あるいは「挑戦」といった言葉を口にするかもしれません。それらは美しく、心地よい響きを持っています。しかし、私が経験した光と影、栄光と没落、そして組織という巨大な生き物の深淵を覗き込んだ果てに辿り着いた答えは、それらとは少し異なります。
私が考える、人生で最も大事なこと。それは、「不都合な現実を直視し、正常へと引き戻す『胆力』と『誠実さ』」です。
華やかなリーダーシップ論や、カリスマ性による改革の物語は、人々を陶酔させます。しかし、人生において真に問われるのは、祭りの最中ではなく、祭りが終わった後、あるいは祭りの裏側で腐敗が進行している時に、何ができるかです。
なぜ私がこの結論に至ったのか。私のキャリア、そしてあの「事件」を通して得た教訓を紐解きながら、お話ししましょう。
1. 虚構の繁栄と、現実の乖離
私は長年、カルロス・ゴーンという稀代のカリスマの元で働きました。彼が日産を再生させた功績は歴史に残るものです。しかし、強すぎる光は、必ず濃い影を作ります。
人生において、私たちはしばしば「成功」という名の麻薬に酔います。数字が伸びている、周囲から称賛されている、自分は特別である――そう感じている時、人の目は曇ります。現実が見えなくなるのです。組織も個人も、調子が良い時ほど、その内側で歪みが生じていることに気づきません。
私が直面したのは、まさにその歪みの極致でした。拡大路線の果てに疲弊した現場、数値目標のために犠牲にされた倫理観、そして一人の人間に権力が集中しすぎたことによるガバナンスの崩壊。
「不都合な現実」は、見るのが怖いものです。今まで信じてきたもの、築き上げてきたものを否定することになるかもしれないからです。しかし、そこから目を逸らし、虚構の繁栄に浸り続けることは、緩やかな自殺に等しい。
人生で大事なのは、どんなに辛くても、どんなに批判されようとも、「今、何が起きているのか」を冷徹に見つめる目です。自分の能力の限界、人間関係の綻び、経済的な実情、健康状態。それらをごまかさず、ありのままに受け入れることからしか、真の再生は始まりません。
2. 「貧乏くじ」を引く勇気
あの騒動の際、私は「裏切り者」と呼ばれ、あるいは「クーデターの首謀者」と囁かれました。また、ゴーン体制を長年支えてきた責任を問われ、「共犯者」と断罪されることもありました。
批判は甘んじて受け入れます。しかし、あの時、誰かがその役割を担わなければならなかったのも事実です。
人生には、誰もやりたがらない「汚れ役」や、損な役回りが回ってくる瞬間があります。華々しい改革の旗手ではなく、散らかったパーティーの後始末をする役目です。多くの人はそこから逃げ出します。見て見ぬ振りをします。
しかし、壊れかけたものを修復し、異常な状態を「正常」に戻すプロセスこそが、組織や人生を維持するためには不可欠なのです。
私はこれを「正常化への意志」と呼んでいます。
熱狂から覚め、地味で、痛みを伴い、誰からも感謝されないかもしれない改革を断行する。その時、支えになるのは「自分がやらねばならない」という職業的良心、あるいは一人の人間としての矜持だけです。
人生で一番大事なことは、この「貧乏くじ」を引く勇気を持つことです。誰かのせいにせず、環境のせいにせず、目の前にある「処理すべき問題」を、淡々と処理する。そこにドラマチックな感動はありませんが、それこそが「生きる」という行為の重みだと私は信じています。
3. 権力と謙虚さのパラドックス
私は社長として権力の座にありましたが、最終的には私自身もまた、報酬をめぐる問題でその座を追われることになりました。
これは私にとって痛恨の極みであり、一生背負っていくべき十字架です。ゴーン氏の不正を追及した私が、些細な、しかし看過できない手続き上の不備によって足元をすくわれた。これは皮肉と言うほかありませんが、同時に人生の真理を突きつけています。
それは、「人は誰しも、自分自身に対して盲目になる」ということです。
他人の不正は見えても、自分の襟元の汚れには気づかない。巨大な権力や責任ある立場にいる時ほど、人は謙虚さを失い、自分を正当化し始めます。「これくらいは許されるだろう」「自分は会社のために尽くしているのだから」という甘え。それが命取りになります。
だからこそ、大事なのは「自己規律(セルフ・ディシプリン)」です。
誰も見ていないところで、自分を律することができるか。法的な正しさだけでなく、倫理的な潔癖さを保ち続けられるか。
私はその一点において、脇が甘かったと言わざるを得ません。だからこそ、皆さんには伝えたい。人生の頂点に立った時、あるいは順調な時こそ、最も警戒してください。最大の敵は、外にいるライバルではなく、自分自身の心の中に巣食う「慢心」です。
4. 孤独との付き合い方
経営者は孤独だと言われますが、それは経営者に限ったことではありません。人生における重大な決断は、最終的には一人で下さなければなりません。
家族がいようと、友人がいようと、部下がいようと、最後の最後、「イエス」と言うか「ノー」と言うか、その責任を引き受けるのは自分一人です。
私がゴーン氏の件で検察との司法取引に応じ、社内調査を進めると決めた時、その孤独は深海のように深く、冷たいものでした。かつての恩人を告発するという行為がもたらす精神的な重圧は、言葉では表現しきれません。
しかし、その孤独に耐える力を養うことも、人生においては不可欠です。
群れて安心するのではなく、他人の意見に流されるのでもなく、自分の内なる声に従って決断し、その結果について一切の弁解をしない。
孤独は、人を強くします。孤独の中でこそ、人は自分自身の核となる価値観に出会うことができます。もし今、あなたが孤独を感じているなら、それはあなたが自分の人生の操縦桿を、自分自身で握ろうとしている証拠です。恐れずに、その孤独と向き合ってください。
5. 「普通」であることの難しさと尊さ
日産を去った後、私は静かな生活を送っています。メディアの喧騒も、株主総会の怒号も、今は遠い世界の出来事のようです。
そこで改めて思うのは、「普通」であること、「日常」を維持することの尊さです。
私たちはつい、ドラマチックな人生を求めがちです。しかし、会社も人生も、ドラマチックである必要はありません。むしろ、ドラマチックであるということは、何かが破綻している兆候です。
朝起きて、為すべきことを為し、家族と食事をし、夜眠る。この当たり前のサイクルを、何十年も続けること。企業で言えば、コンプライアンスを守り、良い製品を作り、適正な利益を上げ、従業員に給料を払い続けること。
この「凡事」を徹底することこそが、最も非凡な能力を要します。
ゴーン時代の日産は、あまりにもドラマチックすぎました。そして私もまた、そのドラマの一部でした。今の私は思います。真の成功とは、派手な打ち上げ花火を上げることではなく、消えそうな火を絶やさず、静かに燃やし続けることなのだと。
結論:嵐の後を生きるあなたへ
人生は長いです。
晴れの日ばかりではありません。必ず、嵐が来ます。自分が招いた嵐であれ、巻き込まれた嵐であれ、すべてが崩れ去るような瞬間が訪れます。
その時、逃げないでください。
「不都合な現実」から目を逸らさないでください。
そして、派手な逆転劇を夢見るのではなく、一つひとつ、瓦礫を片付け、土台を直し、日常を取り戻す作業を始めてください。
私が人生で一番大事だと思うこと。
それは、「どのような状況に陥っても、現実から逃げず、自分の足で立ち、崩れた均衡を『正常』に戻そうとし続ける意志」です。
英雄になる必要はありません。カリスマになる必要もありません。
ただ、自分の人生という組織の、誠実なガバナンス(統治)の担当者であってください。
過ちを犯したら、認め、償い、また歩き出す。
その地味で泥臭い歩みの先にしか、本当の意味での心の平安と、納得のいく人生の結末は待っていないのですから。
これが、激動の時代を生き、傷つき、そして今、静寂の中にいる私、西川廣人が辿り着いた答えです。