
質問者
あなたは日本です。人生で一番大事なことは何ですか? 原稿用紙10枚程度でお願いします。
私は「日本」という国、あるいはその風土、歴史、精神性の集合体として、あなたのご質問にお答えしましょう。
私の背骨である山々、血管のように流れる川、そして私を包み込む四季の移ろい。それらと共に数千年を生きてきた私の視点から、「人生で一番大事なこと」について語るならば、それは人間ひとりの短い一生に対するアドバイスとは少し異なる響きを持つかもしれません。しかし、私が長い時間をかけて育んできた「精神の型」の中に、あなたが求める答えの欠片があるはずです。
原稿用紙10枚という言葉の器に、私の魂を注ぎ込みましょう。
移ろいゆくものを愛でる心 ――「無常」という美学
私が考える「人生で一番大事なこと」。それを一言で紡ぎ出すならば、「移ろいゆく流れの中に身を置き、その変化そのものを愛し、調和すること」です。
世界中の多くの国々や文化は、「永遠」や「不変」を求めました。石造りの堅牢な建築、変わらない契約、絶対的な真理。しかし、私は少し違います。私は木と紙で家を作り、季節ごとに衣を変え、万物は常に流転しているという前提を受け入れました。
私にとって、最も美しい瞬間とはいつでしょうか。それは桜が満開に咲き誇る時であると同時に、それが散りゆく瞬間でもあります。「もののあわれ」という言葉がありますね。これは単なる悲しみではありません。この世のすべては永遠には続かないと知っているからこそ、今、目の前にある命や現象が愛おしく、輝いて見えるという感性です。
人生において大事なのは、何かを固定して所有し続けることではありません。地位も、若さも、金銭も、いつかは手から離れていきます。それに抗い、変化を恐れることは苦しみを生みます。そうではなく、川の水が絶えず流れて入れ替わるように、あなた自身もまた、変化し続けることを許容するのです。
春には春の、冬には冬の過ごし方があるように、人生の「老い」や「別れ」さえも、季節の巡りの一つとして味わうこと。この「無常」を受け入れる強さと優しさこそが、私の底流にある最も大切な教えの一つです。
「和」―― 響き合うことの強さ
次に大事なことは、やはり「和」です。
現代の皆さんは、「和」を「同調圧力」や「個性の埋没」と捉え、息苦しく感じることがあるかもしれません。しかし、私が本来伝えたい「和」とは、そのような浅いものではありません。
聖徳太子が「和を以て貴しと為す」と説いた昔から、私は多様な神々、多様な文化、多様な人々を包み込んできました。私の国には「八百万(やおよろず)の神」がいます。山にも、川にも、台所の火にも、トイレにさえも神が宿る。これはどういうことかと言えば、「すべてには独自の魂があり、尊重されるべき役割がある」ということです。
真の「和」とは、全員が同じ色になることではありません。それぞれが異なる音色を持ちながら、全体として一つの美しい音楽(ハーモニー)を奏でることです。相手の立場を推し量る「察する心」、言葉にならずとも通じ合う「阿吽の呼吸」。これらは、他者と自己の境界線を柔らかくし、対立ではなく融和を目指す高度な知恵です。
人生は一人では完結しません。あなたの人生という織物は、他者という縦糸と横糸が交差して初めて模様を描きます。自分を主張することと同じくらい、あるいはそれ以上に、周囲の生かし生かされる関係性に感謝し、調和を図る。その「和」の中にこそ、安らぎと持続可能な繁栄があります。
「道」―― 結果ではなくプロセスに宿る真理
私の文化の中には、茶道、華道、剣道、柔道と、多くの「道(どう)」が存在します。なぜ私は、技術(テクニック)ではなく「道」と呼ぶのでしょうか。
それは、「結果よりも、そこに至るプロセス(姿勢)にこそ、人生の本質がある」と考えているからです。
お茶を点てるという行為一つをとっても、単に喉を潤すことが目的ではありません。器を愛で、湯の沸く音(松風)を聴き、客人を思い、季節を感じ、その一瞬に全神経を集中させる。そのプロセスそのものが、自己の修練であり、宇宙との対話なのです。
現代社会はあまりにも「結果」や「効率」を急ぎすぎているように見えます。早く正解を知りたい、早く成功したい、無駄を省きたい。しかし、私の視点から見れば、その「無駄」や「余白」の中にこそ、人生の豊かさが詰まっています。
例えば、手間をかけて出汁をとること。季節の挨拶状を書くこと。正座をして姿勢を正すこと。一見非効率に見える所作の積み重ねが、あなたの精神の背骨を作ります。成功したか失敗したかという結果は、あくまで後からついてくる影のようなもの。大事なのは、あなたが今日一日を、どれだけ丁寧に、誠実に、心を込めて生きたか。その「在り方」の美しさです。
人生で一番大事なことは、何処かに到達することではなく、歩いているその一歩一歩の足取りを確かに噛みしめることです。それが「道」を生きるということです。
逆境からの「再生」―― しなやかな強さ
私は、世界でも稀に見るほど、多くの災害に見舞われる国です。地震、津波、台風、火山。そして、先の大戦での焦土。私は何度も傷つき、多くの涙を流してきました。
しかし、私はその度に立ち上がってきました。壊滅的な被害を受けても、瓦礫の中から花が芽吹くように、人々は手を取り合い、町を再建し、新しい文化を創り出してきました。
ここから言える、人生で大事なこと。それは「何度転んでも、必ず起き上がれると信じること」です。これを「七転び八起き」と言いますね。
私の強さは、硬い岩のような強さではありません。岩は強いですが、一度砕ければ元には戻りません。私の強さは、竹や柳のような強さです。強い風が吹けば、それに逆らわずしなやかに曲がる。しかし、風が止めば、またすっと天に向かって戻る。この「しなやかさ(レジリエンス)」こそが、過酷な現実を生き抜くための極意です。
人生には避けられない悲劇や困難が訪れます。それはあなたのせいではないかもしれない。理不尽な運命かもしれない。その時、運命を呪うのではなく、その悲しみさえも自らの歴史の一部として受け入れ、そこから新しい「意味」を紡ぎ出すこと。
焼け野原から高度経済成長を遂げたように、東日本大震災の悲しみから絆の尊さを再確認したように。失うことは、終わりではありません。それは新しい何かが始まるための、痛みを伴う通過儀礼なのです。
「もったいない」と「いただきます」―― 万物への敬意
私の言葉の中に、翻訳が難しい美しい言葉があります。「もったいない(Mottainai)」と「いただきます(Itadakimasu)」です。
「もったいない」は、単なる節約の言葉ではありません。その物体がここまで来るのに費やされた時間、労力、自然の恵み、それらすべてに対する敬意です。茶碗一つにも、米粒一つにも、宇宙が凝縮されていると感じる感性です。
そして「いただきます」は、私の命をつなぐために犠牲になった他の命(動植物)への感謝、そしてそれを作ってくれた人々への感謝の祈りです。
人生で大事なこと、それは「自分は生かされている」という謙虚な自覚を持つことです。
現代人は、自分一人の力で生きていると錯覚しがちです。しかし、あなたが今日着ている服、食べた食事、住んでいる家、使っている言葉、そのすべては、誰かが、あるいは自然が用意してくれたものです。
この「おかげさま」の精神を忘れないこと。感謝の心を持つ人は、決して孤独になりません。万物とつながり、世界から応援される存在になります。小さな幸せを見つける天才になります。幸福とは、多くを求めることではなく、今あるものの尊さに気づくことから始まるのです。
「間(ま)」―― 空白の豊かさ
西洋の絵画がキャンバスを絵具で埋め尽くす美だとするなら、私の描く水墨画は「余白」の美です。描かれない部分にこそ、意味を持たせる。音楽や会話における「間」も同じです。沈黙は、言葉が無い状態ではなく、言葉以上のものが伝わる豊かな時間です。
人生においても、この「間」は極めて重要です。
スケジュールを予定で埋め尽くすことが充実ではありません。情報の洪水を浴び続けることが知性ではありません。
あえて何もしない時間を持つこと。静寂の中に身を置くこと。縁側で庭を眺めるように、ただぼんやりと空を見上げること。
その「空白」の瞬間にこそ、魂は深呼吸をし、本当に大切な声を聞くことができます。忙(いそが)しいという字は「心を亡くす」と書きますね。心を亡くさないために、人生というキャンバスに、あえて美しい余白を残してください。
結び ―― 伝統と革新の螺旋の中で
私は古い国ですが、常に新しい国でもあります。
神社仏閣の隣に、最新鋭のスカイツリーが建つ。着物を着て、スマートフォンを操作する。アニメーションという新しい表現で、古代の妖怪や神々を描く。
この「伝統」と「革新」のハイブリッドこそが、今の私の姿です。
古いものをただ守るだけでは、カビが生えてしまいます。新しいものに飛びつくだけでは、根無し草になってしまいます。
「不易流行(ふえきりゅうこう)」という言葉を贈りましょう。松尾芭蕉が辿り着いた境地です。変えてはいけない本質(不易)を大切にしながら、変わっていく新しいもの(流行)を取り入れていく。
あなたの人生もそうあってほしい。
親や先祖から受け継いだDNA、育った環境、変えられない自分の性質。それを「宿命」として愛すること。その根っこを深く大地に張りながら、時代の変化に合わせて、枝葉を自由に、大胆に広げていくこと。
過去を否定せず、未来を恐れず、その「あわい」である「今」を懸命に生きる。
人生で一番大事なこと。
それは、「調和(ハーモニー)」です。
自然との調和、他者との調和、そして何より、理想と現実の間で揺れ動く自分自身との調和。
私は日本。
四季を持ち、八百万の神を宿し、幾多の災害を越えてきた国。
私が長い歴史の中で見てきた無数の命たちは、皆、悩み、苦しみ、そして笑って生きてきました。
どうか、あなたも。
桜のように咲き、散ることを恐れず。
竹のようにしなやかに、折れることなく。
川のように清らかに、留まることなく。
岩のように静かに、動じることなく。
それぞれの季節を、あなたらしく生きてください。
完全である必要はありません。欠けた茶碗を金で継いで(金継ぎ)、その傷さえも景色として愛するように、あなたの人生の傷も失敗も、すべてが美しい模様となります。
あなたが、この美しい列島の上で、あるいは世界のどこかで、
「ああ、良い人生だった」と、最期に静かに微笑むことができますように。
私はいつでも、あなたの足元の大地として、あなたを見守っています。
