山口真由です。

「人生で一番大事なことは何か」。

そんな深遠な問いを投げかけられると、かつての私であれば、きっと間髪入れずにこう答えていたでしょう。「それは、努力であり、結果を出すことだ」と。あるいは「正しくあることだ」と。

けれど、財務省という組織を離れ、アメリカでの留学を経て、弁護士として、そして一人の人間として様々な壁にぶつかり、迷走してきた今の私が考える答えは、あの頃とは全く別の場所にあります。

3500字という文字数は、私のこれまでの半生を振り返り、その「答え」が変わっていった理由をお話しするのに、ちょうど良い長さかもしれません。少し長くなりますが、私の「心の解剖図」にお付き合いいただければと思います。


第一章:「偏差値」という名の宗教

私が人生の前半で信じていた「一番大事なこと」。それは間違いなく「他者からの評価」であり、それを獲得するための「圧倒的な努力」でした。

私は、いわゆる「優等生」でした。テストで100点を取れば親が喜んでくれる。順位が上がれば先生が褒めてくれる。北海道の札幌で育った少女にとって、勉強というゲームはあまりにも公平で、努力というコインを投入すれば、必ず成果というリターンが返ってくる、裏切りのないシステムに見えました。

「努力は裏切らない」。

この言葉は、私の人生の指針であり、同時に私を縛り付ける強力な「呪い」でもありました。

私は常に何かに追われていました。試験勉強だけではありません。食事の時間も、お風呂の時間も、すべてを効率化し、知識を詰め込み、偏差値という絶対的な物差しで自分の価値を測り続けました。東大に首席で合格した時も、在学中に司法試験に受かった時も、財務省に入った時も。私は達成感とともに、ある種の安堵を感じていました。「ああ、これでまたしばらくは、私は『価値ある人間』として認められる」と。

当時の私にとって、人生とは「攻略すべきタスク」の集合体でした。失敗しないこと、正解を選び続けること、そして誰よりも高い場所に立つこと。それが「善」であり、生きる意味そのものだったのです。

逆に言えば、私は「何者でもない自分」に耐えられなかった。肩書きや成績という鎧(よろい)を脱いだ生身の山口真由には、愛される価値など一ミリもないと本気で信じ込んでいました。だからこそ、鎧を分厚くすることに命を燃やしたのです。

第二章:エリートの挫折と、ハバードで見つけた「空虚」

その価値観が揺らぎ始めたのは、財務省に入ってからです。そこは、私のような「勉強が得意なだけの人」が掃いて捨てるほどいる世界でした。どれだけ事務処理能力が高くても、それだけでは通用しない。官僚としての「正しさ」を追求すればするほど、人間としての「豊かさ」が削ぎ落とされていくような感覚。

そして、逃げるようにして渡ったハーバード・ロースクール。そこでの経験が、私の「正解主義」を粉々に打ち砕きました。

ハーバードには、世界中から「一番」が集まってきます。けれど、彼らが輝いていたのは、テストの点数が高いからではありませんでした。彼らは、自分の意見を持ち、人生を楽しみ、家族を愛し、ウィークエンドにはパーティーで笑い合う、そんな「人間としての厚み」を持っていたのです。

図書館にこもって必死に教科書を読み込み、オールAを取ることだけに執着していた私は、ふと気づいてしまったのです。

「あれ? 私、誰よりも勉強しているのに、誰よりも幸せそうじゃないぞ」と。

ニューヨークの法律事務所で働き始めた時もそうでした。窓から見えるマンハッタンの夜景は息を呑むほど美しいのに、私の心は砂漠のように乾いていました。完璧な経歴、高額な給料、誰もが羨むステータス。それらをすべて手に入れたはずなのに、部屋に帰れば一人ぼっち。心の奥底から湧き上がってくるのは、達成感ではなく、底知れぬ「孤独」でした。

私は、人生のハシゴを必死に登って、一番高いところまで来たつもりでした。でも、登りきった屋上から見えた景色は、私が想像していた「幸福」とは程遠い、寒々とした空虚な空間だったのです。

第三章:「できない自分」を許すということ

日本に帰国してからの私は、少しずつ「鎧」を脱ぐ練習を始めました。

テレビに出演させていただく中で、私の「変人ぶり」や「生活能力のなさ」が面白がられるようになりました。最初は戸惑いました。料理もできない、道を歩けば転ぶ、空気も読めない。そんな「欠陥だらけの私」をさらけ出すことは、かつての私なら死ぬほど恥ずべきことでした。

しかし、不思議なことに、完璧な「山口弁護士」として振る舞っている時よりも、ダメな部分をさらけ出している時の方が、周囲の人が温かいのです。「真由ちゃん、しょうがないなあ」と笑ってくれる。

そこで私は、人生において革命的な発見をしました。

「人は、長所(能力)で尊敬され、短所(弱さ)で愛される」のだと。

私はずっと、能力を高めることで愛されようとしていました。でも、それは間違いでした。能力が高ければ「すごい」とは言われますが、それだけで愛されるわけではありません。むしろ、完璧な人間は近寄りがたく、孤独になりがちです。

人が誰かと深くつながれるのは、お互いの弱さを見せ合い、補い合える時なのです。私ができないことを、誰かが助けてくれる。その「頼る」「頼られる」という循環の中にこそ、人の温もりや居場所があるのだと、ようやく気づくことができました。

第四章:妹の存在と「無条件の愛」

私のこの価値観の転換において、決定的な役割を果たしたのは、妹の存在です。

彼女は私とは正反対。勉強の成績で言えば私の方が上だったかもしれません。でも、彼女は私よりずっと「生きる力」に溢れていました。美味しくご飯を食べ、よく笑い、周りの人を自然と幸せにする。

私は昔、妹に対して優越感を持っていたこともありました。「お姉ちゃんの方が賢い」と。なんと愚かなことでしょう。

私が必死に参考書を読んで「幸せの定義」を探している間に、彼女はとっくに「幸せそのもの」を体現して生きていたのです。

家族というのは不思議なものです。私が東大首席だろうが、仕事がなかろうが、家でジャージを着てゴロゴロしていようが、彼女や両親は私を「真由」として変わらず接してくれます。

そこには「成果」も「評価」も必要ありません。ただ、そこに存在しているだけでいい。

この「存在への肯定」こそが、私が長年追い求め、しかし偏差値という物差しでは決して測れなかったものでした。

結論:人生で一番大事なこと

さて、最初の問いに戻りましょう。

人生で一番大事なこと。

それは、「どんな自分であっても、自分を許し、愛してあげること」だと、今の私は思います。

自己肯定感という言葉が流行っていますが、私は「自己受容」という言葉の方が好きです。

「結果を出した自分」だから好きなのではなく、「結果が出せないダメな自分」であっても、「まあ、これも私だよね」と受け入れてあげること。

かつての私のように、何者かになろうとして、必死に努力することは素晴らしいことです。夢を追いかける情熱は尊いものです。けれど、その過程で、自分をすり減らし、今の自分を否定し続けてしまっては、本末転倒です。

私たちは、何かを成し遂げるために生まれてきた側面もありますが、それ以上に、「ただ生きるため」に生まれてきたのだと思います。

美味しいコーヒーを飲んでホッとする瞬間、季節の風を感じて心地よいと思う瞬間、誰かと他愛のない話をして笑い合う瞬間。そんな、何の生産性もない、履歴書には書けない時間の中にこそ、人生の本当の輝きは隠されています。

今の私は、相変わらず不器用です。仕事で失敗して落ち込むこともありますし、将来への不安が消えたわけではありません。それでも、「完璧じゃない自分」と一緒に生きていく覚悟ができました。

誰かに勝つことよりも、誰かと手をつなぐこと。

正しさを主張することよりも、優しさを分け合うこと。

そして何より、自分自身に対して、一番の味方でいてあげること。

これが、東大、財務省、ハーバードと、競争社会の頂点まで駆け上がり、そしてそこから転げ落ちるようにして泥臭い地上に戻ってきた私の、現時点での結論です。

人生は、テストではありません。正解なんて、どこにもない。

だからこそ、私たちは、自分だけの答案用紙に、下手くそな字で、自分だけの物語を綴っていけばいいのです。

そう思えるようになって初めて、私は本当の意味で、自分の人生を生き始めた気がします。

山口 真由