宇多田ヒカルです。
「人生で一番大事なことは何か」。
そんな、まるで哲学の最終試験のような、あるいは深夜のキッチンでふと自分自身に問いかけるような、とても大きくて静かな質問をありがとうございます。
原稿用紙10枚……。まるでひとつの論文か、あるいは長い長い手紙のようですね。でも、言葉を尽くしてみたいと思います。今の私が感じていること、ロンドンの曇り空の下で考えていること、そしてこれまでの旅路で拾い集めてきた「大事なもの」の欠片たちについて。
少し長くなりますが、コーヒーでも飲みながら、ゆっくり聞いてくれたら嬉しいです。
第一章:失うことから始まる「獲得」
若い頃の私は、きっとこの質問に対して、もう少し違う答えを持っていた気がします。「音楽」だとか、「表現すること」だとか、あるいは「愛されること」だとか。
15歳でデビューして、あまりにも急激に世界が広がって、自分の輪郭がどこにあるのかも分からないまま、求められる「宇多田ヒカル」という像と、ただの「光」という個人の間で、ずっとバランスボールに乗っているような感覚でした。あの頃大事だと思っていたのは、たぶん「自分を守ること」だったのかもしれません。壊れないように、消費されないように、必死で自分という聖域を守ること。
でも、人生のフェーズが変わる大きなきっかけは、やはり「喪失」でした。
母を亡くしたこと。これは私の人生における、地殻変動のような出来事でした。
「大事なもの」というのは、手の中に持っている時にはその重さに気づきにくいものです。失って初めて、その不在が持つ巨大な質量に押しつぶされそうになる。
悲しみというのは、乗り越えるものではないんだと知りました。それは「終わらせる」プロセスではなくて、その悲しみという新しい景色と一緒に生きていくことを学ぶプロセスでした。
そこで私が学んだ「大事なこと」の一つ目は、「喪失をなかったことにしない」ということです。
痛みや喪失感は、私たちが誰かを深く愛した証拠であり、その人が自分の中に確かに存在していたという証明です。だから、悲しい時は思い切り悲しむこと。平気なふりをしないこと。自分の心の痛みに蓋をして、「大丈夫」というラベルを貼って出荷しないこと。
喪失を受け入れることは、諦めることとは違います。それは、変わってしまった世界で、新しい自分の形を見つけ直すという、とても能動的でクリエイティブな作業なんです。
第二章:人間活動と「生活」の復権
「人間活動」と称して、音楽活動を休止した期間がありましたよね。あれは、私にとって本当に必要な時間でした。
それまでの私は、音楽というアウトプットを通してしか世界と繋がれないような気がしていました。でも、もし声が出なくなったら? 歌えなくなったら? その時の私には何が残るんだろうという恐怖が常にあったんです。
ロンドンでの生活で、私は「ただの人」になる練習をしました。
自分でスーパーに行って食材を選び、料理を作り、掃除をして、税金を払い、近所の人と挨拶をする。そんな、誰もが当たり前にやっている「生活」の一つ一つが、私には新鮮で、そして何より愛おしいものでした。
そこで気づいたんです。人生で大事なことは、ステージの上にあるんじゃない。「今日、何を食べるか」を真剣に悩むこと、「今の空の色が綺麗だ」と立ち止まること、そういう些細な日常のディテールの中にこそ、神様みたいなものが宿っているんだって。
私たちはよく、人生に「意味」や「目的」を求めすぎます。何者かにならなきゃいけない、何かを成し遂げなきゃいけない。
でも、本当にそうでしょうか?
ただ、朝起きて、美味しいコーヒーを淹れられた。それだけで、その日は「成功」と呼んでもいいんじゃないか。そう思えるようになってから、私はすごく生きやすくなりました。
「生活者」であること。地に足をつけて、自分の面倒を自分で見ること。それが、どんな芸術的なインスピレーションよりも、私を支えてくれる土台になっています。
第三章:他者という鏡、そして自分という迷宮
息子が生まれたことも、私の価値観を根底から覆しました。
子供というのは、コントロール不可能な「他者」の極みです。自分の思い通りになんて全くいかない。でも、だからこそ面白い。
彼を通して、私はもう一度子供時代を生き直しているような感覚になります。そして同時に、親としての自分の未熟さや、自分が親から受け継いでしまった「呪い」のようなものとも向き合わざるを得なくなりました。
ここで見つけた大事なことは、「自分を知ろうとする勇気」です。
私は精神分析やセラピーを受けることについて、オープンに話すようにしています。それは、自分の心の中にある「なぜ?」を解明したいからです。なぜ私はこういう時に不安になるのか、なぜこういうパターンを繰り返してしまうのか。
自分自身を知ることは、時に痛みを伴います。見たくない自分、情けない自分、嫉妬深い自分、弱い自分。そういうドロドロしたものを直視しなければなりません。
でも、その「影」の部分も含めて自分なんだと認めた時、初めて人は本当の意味で「自由」になれる気がするんです。
自分を愛するというのは、鏡に映った綺麗な自分にうっとりすることではありません。泥だらけで、傷だらけで、カッコ悪い自分に対して、「ま、それも私だよね」と言って隣に座ってあげること。それが自己受容であり、自己愛なんだと思います。
「自分に対して正直であること」。
嘘をつかないこと。
世間の常識や、誰かの期待に合わせて、自分の感情をねじ曲げないこと。
「辛い」と言っていい。「嫌だ」と言っていい。「助けて」と言っていい。
自分の心から湧き上がる感情を、検閲せずにそのまま認めてあげること。これが、私が今の人生で最も優先順位を高く置いていることです。
第四章:境界線を溶かす
最近の私は、「Bad Mode」や「Science Fiction」といった作品を通して、より一層「境界線」について考えています。
男性と女性、大人と子供、夢と現実、過去と未来、あなたと私。
私たちは言葉を使って世界を切り分け、カテゴリーに当てはめることで安心しようとします。でも、本当の世界はもっとグラデーションで、曖昧で、流動的なものなんじゃないでしょうか。
ノンバイナリーであることを公表したのも、私の中にある「揺らぎ」をそのまま大事にしたかったからです。白か黒か決めなくていい。定まらないままでいていい。
人生で大事なこと。それは、「分かろうとしないこと」かもしれません。
完全に理解し合えるなんて思わないこと。未来がどうなるか分かった気にならないこと。
「分からない」という空白を、恐怖ではなく、可能性として楽しむこと。
人間関係においてもそうです。相手を完全に理解することはできません。でも、理解できないからこそ、知りたいと思うし、寄り添いたいと思う。その「距離」を尊重することこそが、愛の正体のような気がします。
終章:結局、一番大事なものとは
随分と遠回りをしましたが、今の私が出せる「答え」のようなものをまとめてみます。
人生で一番大事なこと。
それは、「今、ここにある自分の感情(Feeling)を信じること」です。
過去の後悔に囚われるのでもなく、未来の不安に怯えるのでもなく、今、この瞬間に自分の胸の奥で何が起きているのか。それに耳を澄ませること。
もしあなたが今、暗闇の中にいるなら、無理に光を探さなくていい。その暗闇の深さを味わうことも、人生の貴重な一部です。
もしあなたが今、幸せを感じているなら、その理由を探さなくていい。ただその暖かさに浸ればいい。
成功も、名声も、お金も、結局は「体験」のバリエーションに過ぎません。
大事なのは、その体験を通して、あなたがどう感じ、どう震え、どう変化したかです。
私たちはみんな、いつかはいなくなります。
私が書いた曲も、私が愛した記憶も、いつかは宇宙の塵のようになって消えていくでしょう。
でも、だからこそ、この一瞬一瞬が奇跡のように輝くんです。
不完全なままで、迷いながら、時には転びながら。
それでも「今の私」を、他の誰でもない自分の足で生きること。
自分の心の羅針盤が指す方へ、たとえそれが嵐の中であっても、舵を切る勇気を持つこと。
それが、私が思う、人生で一番大事なことです。
長くなってしまいましたね。
ここまで読んでくれてありがとう。
あなたにとっての「大事なこと」が、明日、ふとした瞬間に見つかりますように。
美味しいご飯を食べて、よく寝てくださいね。
宇多田ヒカルでした。

