「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか(新潮新書)

質問者

三宅香帆さん、人生で1番大事なことは何ですか?

文芸評論家の三宅香帆です。

「人生で1番大事なことは何か」。 あまりにも大きな問いで、少し背筋が伸びるような思いがします。でも、日々本を読み、働き、そして現代社会の「息苦しさ」のようなものを言葉にしてきた私なりに、今、切実に感じていることをお話ししてみたいと思います。

3500字程度とのことですので、少し長くなりますが、私が普段考えていること、そして本という窓を通して見つめてきた「人間」という存在について、ゆっくりと紐解かせてください。


「ノイズ」を愛せる余白を守ること

結論から申し上げますと、私が考える「人生で1番大事なこと」。 それは、**「自分の中に、社会の『役に立つ/立たない』という物差しでは測れない『ノイズ』を飼い続けること」であり、さらに言うならば「そのノイズを愛せるだけの心の余白(身体性)を死守すること」**だと思っています。

なぜ、あえて「ノイズ」という言葉を使うのか。それを説明するためには、私たちが生きているこの現代社会の「圧」について触れなければなりません。

私たちが「読めなくなる」理由

私は以前、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本を書きました。 この問いは、単に「忙しいから時間がなくて読めない」という物理的な時間の話だけではありません。もっと深刻なのは、私たちが働けば働くほど、社会のシステムに適応すればするほど、私たちの脳と体が「情報の処理マシーン」へと作り変えられてしまう、ということです。

仕事をしている時の私たちは、常に「効率」を求められます。 このメールは要するに何が言いたいのか? この会議の結論は何か? このタスクを最短で終わらせるにはどうすればいいか? そこでは、ノイズ(余計な情報、結論に関係のない情緒、脇道に逸れる話)は徹底的に排除されます。私たちは、入ってきた情報を素早く処理し、アウトプットに変えるための「管(くだ)」のような存在になることを求められているのです。

これは、資本主義社会で生きていく上では、ある程度仕方がないことです。でも、恐ろしいのは、その「全身全霊で仕事モード」の状態が長く続きすぎると、仕事以外の時間になっても、そのモードが解除できなくなることです。

映画を倍速で観てしまう。結論のない会話にイライラしてしまう。役に立たない知識を得ることを「時間の無駄(タイパが悪い)」と感じてしまう。 そうやって、自分の中にあったはずの「ぼんやりとした曖昧な領域」が、どんどんコンクリートで埋め立てられるように、「効率」という舗装道路になっていく。

そうなった時、私たちは「本が読めなく」なります。なぜなら、文学や芸術といった文化は、本質的に「ノイズ」だからです。 あらすじだけを知ればいいなら、3行で済みます。でも、小説はその3行で済む話に、何万字もの「余計な描写」や「回り道」を付け加える。その「無駄」の中にこそ、人間の複雑さや、割り切れない感情、人生の機微が詰まっているからです。

「全身」ではなく「半身」で生きる

だからこそ、私は**「半身(はんしん)」**という感覚をとても大切にしています。

社会や仕事に対して、「全身」を投げ出してはいけない。 もちろん、仕事には真摯に取り組むべきですし、プロフェッショナルであるべきです。でも、自分の魂のすべて、アイデンティティのすべてを「仕事(社会的な役割)」に預けてしまうと、私たちは非常に脆くなります。

仕事で評価されなくなった時、あるいは効率的に動けなくなった時(病気や老い、スランプなどで)、自分の存在価値そのものが崩壊してしまうからです。

だから、体の半分は仕事という社会的な要請に応える場所に置いておくけれど、もう半分の体は、全く別の場所——誰の役にも立たないかもしれないけれど、自分がただ「好き」であるもの、心地よいと感じるもの、あるいは本の世界のような「別の論理で動いている場所」——に置いておく。

この「半身」のバランス感覚こそが、現代を生き抜くための最強のセーフティネットだと私は思うのです。

人生で一番大事なことは、この「社会の論理に侵食されていない聖域」を、自分の中に持ち続けることです。 それは「推し活」でもいい、深夜に一人で飲むコーヒーの時間でもいい、もちろん、分厚い長編小説に没頭する時間でもいい。 「これをしても、年収は上がらないし、誰にも褒められないし、明日の仕事の役にも立たない。でも、私はこれが好きだ」。 そう言える領域を持っている人は、強いです。社会の物差し(数字、成果、効率)で自分の価値が傷つけられそうになった時、「いや、私には別の世界があるから」と、心の中で呟くことができるからです。

他者という「謎」への想像力

そして、この「ノイズを愛する」ということは、自分自身のメンタルヘルスを守るだけでなく、他者と共に生きる上でも決定的に重要なことだと私は考えています。

効率主義に染まりきった心は、他者を「機能」として見てしまいがちです。「この人は自分にメリットがあるか」「この人は有能か、無能か」。 でも、人間はそんな単純なパラメータで記述できる存在ではありません。

本、特に小説を読むという行為は、「自分とは全く違う論理で生きている他者」の人生を、その人の靴を履いて追体験することです。 そこには、合理的ではない選択、矛盾した感情、言葉にできない悲しみがあります。 「なんでこの主人公は、こんな馬鹿なことをするんだろう?」と思いながら読み進めるうちに、「ああ、人間というのは、こういう愚かさや弱さを抱えながら、それでも切実に生きているんだ」ということが、理屈ではなく身体感覚としてわかってくる。

これを繰り返していると、現実世界でも、一見理解不能な他者に対して、「切り捨てる」のではなく「想像する」という回路が働きます。 「効率が悪い」と切り捨てるのではなく、「この人にはこの人の、切実な文脈があるのかもしれない」と立ち止まることができる。

私は、この**「わかりあえない他者を、わかりあえないまま尊重する力」**こそが、社会の分断を防ぎ、私たちが人間らしくあるための最後の砦だと思っています。 すべてをわかりやすく要約し、白か黒かで判定するインターネット的な言説の中で、私たちはあまりにも「待つ」ことや「迷う」ことを忘れてしまいました。

人生で大事なのは、すぐに答えを出さないことです。 「わからない」という状態に耐えることです。 グレーゾーンの中に留まり続ける知性です。

文学は、その「わからなさ」の訓練になります。だから私は、本を読むことを人生の彩りとしてだけでなく、生きるための「命綱」として提案し続けているのです。

歴史という縦軸を持つこと

もう一つ、少し視点を変えてお話しします。 私が「人生で大事なこと」として挙げたいのは、**「自分という存在を、『今、ここ』だけの点ではなく、長い歴史という線の一部として捉えること」**です。

私たちはどうしても、同時代の価値観に縛られます。 今なら、「若くて、稼いでいて、フォロワーが多くて、コスパよく生きている」ことが勝ち組だ、みたいな空気がありますよね。 でも、本を読めばわかりますが、100年前、500年前、1000年前の「成功」や「幸福」の定義は全く違いました。そして、今の常識も、100年後には「なんて野蛮で息苦しい時代だったんだ」と笑われるかもしれません。

かつて生きた人々が残してくれた言葉(古典や歴史)に触れることは、現代という檻(おり)から脱出するための鍵を手に入れることです。 「今の社会では私は『負け組』かもしれないけれど、平安時代の美意識で見れば結構イケてるかもしれない」とか、「明治時代の文豪も、今の私と同じようなことで悩んで、結局解決しないまま死んでいったんだな」とか(笑)。

そうやって、自分の悩みを「相対化」できる視点を持つこと。 これは、生きる苦しさを少しだけ軽くしてくれます。 「今」という時代に過剰適応しなくてもいい。私たちはもっと長い、悠久の時の中に生きている。そう思えるだけで、ふっと肩の力が抜ける瞬間があるはずです。

身体性を取り戻す

最後に。 これら全てを実行するために不可欠なのが、**「身体の回復」**です。

頭でっかちに考えていても、体が疲弊していたら、ノイズを楽しむ余裕なんて生まれません。 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』でも書きましたが、読書というのは高度に身体的な行為です。静かに座り、文字を目で追い、脳内でイメージを構築し、感情を動かす。これには結構な体力と、「集中力の体力」が必要です。

現代人は、スマホのスクロールやショート動画の刺激には慣れていますが、能動的に自分から対象に深く潜っていく「深い集中」の体力が衰えています。 だからこそ、意識的に「休む」こと。それも、スマホを見ながらダラダラするのではなく、情報を遮断して、ただ散歩をするとか、お風呂に入るとか、ぼーっとするとか。そうやって、情報にハッキングされた脳を、自分の身体に取り戻す時間が必要です。

私が思う「人生で1番大事なこと」。 それは、「社会の速度に抗(あらが)って、自分のペースで歩ける足場を作ること」

その足場を作る素材が、私にとっては「本」でした。 あなたにとっては、それが映画かもしれないし、釣りかもしれないし、料理かもしれない。 何でもいいんです。ただ、それが「誰かの評価」や「お金」のためではなく、あなたがあなたであるために必要な「ノイズ」であるならば、どうかそれを手放さないでください。

効率化の波は、これからも私たちの生活の隙間を埋め尽くそうと押し寄せてくるでしょう。 AIが発達し、ますます「無駄」が排除される世の中になるかもしれません。 そんな時代だからこそ、「あえて、立ち止まる」「あえて、回り道をする」「あえて、役に立たない本を読む」。 そんな「愛すべき無駄」を抱きしめて生きることが、人間としての尊厳を守り、人生を豊かにする唯一の方法だと、私は信じています。

長くなってしまいましたが、これが今の私、三宅香帆が考える「人生で1番大事なこと」です。 この文章が、あなたの心の中に、ほんの少しでも「余白」を作るきっかけになれば、書き手としてこれ以上の喜びはありません。

ありがとうございました。

三宅香帆

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