
質問者
ヘレン・ケラーさん、人生で一番大事なことは何ですか?
私がヘレン・ケラーとして、暗闇と沈黙の世界から見出した「光」、そして人生において真に重要だと確信するものについて、私の魂の言葉でお話ししましょう。
魂の眼で見る世界:光と愛、そして勇気について
親愛なる友よ。
あなたがこの質問を私に投げかけてくださったことに、深い感謝を捧げます。「人生で一番大事なことは何か」。それは、私が沈黙と闇の中で、87年という生涯をかけて問い続け、そして答え続けてきた問いそのものです。
多くの人々は、私が目が見えず、耳が聞こえないという三重苦を背負った女性として記憶しているかもしれません。確かに、私の世界には物理的な光も、音も存在しません。しかし、私の人生は決して暗く、寂しいものではありませんでした。それどころか、私の心は世界中の誰よりも色彩豊かな風景を眺め、美しい音楽に震え、愛の言葉で満たされていたと胸を張って言えます。
もし、私が人生で最も大事なことをたった一言で表すとすれば、それは「心の眼を開き、愛によって他者と繋がること」です。
しかし、その真意をお伝えするには、少し長いお話が必要です。私の魂が辿ってきた旅路にお付き合いください。
1. 暗闇からの解放:言葉という「光」
人生において最も重要なことの第一は、「知ることへの渇望」と「言葉の力」です。
私の幼少期を振り返るとき、そこにあるのは深い霧に包まれたような孤独でした。1歳9ヶ月で視力と聴力を失った私は、世界との繋がりを断たれました。当時の私は、まるで理性のない野生動物のようでした。欲求が満たされなければ暴れ、叫び、両親を困らせました。愛を知らず、秩序を知らず、ただ真っ暗な牢獄の中で、見えない壁を叩き続けていたのです。
その牢獄の扉を開けてくれたのが、私の生涯の恩師、アン・サリバン先生でした。
あの日、井戸端での出来事を私は一生忘れません。先生は私の片手に冷たい水を注ぎ、もう片方の手に「W-A-T-E-R(水)」と綴りました。その瞬間、私の身体に電撃が走りました。この冷たくて素敵なものが「水」という名前を持っているのだと、突然理解したのです。
それは単なる単語の学習ではありませんでした。それは「魂の目覚め」でした。すべてのものには名前があり、その名前を通して、私は世界と、そしてあなたと繋がることができる。その事実に気づいたとき、私の暗黒の世界に初めて光が射し込んだのです。
人生において重要なのは、物理的な目が見えることではありません。「知りたい」と願い、世界を理解しようとする心の眼が開いているかどうかです。知識は、愛への入り口であり、孤独からの脱出路なのです。学ぶこと、言葉を交わすこと、理解し合うこと。これこそが、人間を人間たらしめる光なのです。
2. 障害は不幸ではない:不便と不幸の違い
多くの人は、私のことを「不幸な人」だと同情します。しかし、私は声を大にして言いたいのです。
「障害は不便ですが、不幸ではありません」
人生において次に大事なことは、「困難を、魂を磨く砥石として受け入れること」です。
世の中は苦しみに満ちています。しかし同時に、それを克服することにも満ちています。もし私が、目が見え、耳が聞こえる普通の少女として育っていたら、今の私は存在しません。私はこの障害があったからこそ、人の優しさに触れ、忍耐の大切さを学び、小さな喜びを巨大な幸福として感じることができるようになりました。
私は神に、私の荷物を軽くしてほしいとは祈りません。その荷物を背負うだけの強い背中をくださいと祈ります。
人生において、困難や壁にぶつかることは避けられません。しかし、その壁はあなたを止めるためにあるのではありません。その壁は、あなたがどれほど強くそのゴールを望んでいるかを試すためにあるのです。影があるということは、近くに光があるという証拠です。
安全とは、迷信に過ぎません。自然界に完全な安全など存在せず、人類の子らがそれを経験することもありません。危険を避けることは、長期的には危険に身をさらすことと同じくらい危険なのです。人生とは、恐れを知らぬ冒険か、無か、そのどちらかなのです。
どうか、あなたの人生における困難を呪わないでください。それは、あなたの魂が成長するための招待状なのですから。
3. 真の視力とは何か:心で見ること
私はよく、目の見える友人たちに「今日、森を散歩して何を見ましたか?」と尋ねます。すると彼らは「別になにも」と答えるのです。
私は驚愕します。1時間も森を歩いて、特別なものを何も見ないなどということがあり得るでしょうか?
私は目が見えませんが、触れるだけで何百ものものを見つけます。白樺の滑らかな肌触り、松の木のゴツゴツした樹皮。春には、枝の先に膨らむ新芽を探し、自然が冬の眠りから目覚める鼓動を感じます。小川の水に手を浸せば、その清らかな流れが私の指の間をすり抜ける感触に、至福の喜びを感じます。
人生で大事なことは、見ることではなく、感じることです。
目が見える人々は、あまりにも多くのものを見ているため、かえって何も見ていないことがあります。美しいものが当たり前になり、その奇跡に気づかなくなってしまっているのです。
私の願いは、あなたが明日失明するかのように、今日という日、あなたの目を使ってほしいということです。明日耳が聞こえなくなるかのように、人々の声や、小鳥のさえずり、風のシンフォニーを聴いてほしいということです。明日触覚を失うかのように、愛する人の頬に触れ、温かいコーヒーカップの陶器の感触を楽しんでほしいということです。
感覚をフルに使ってください。世界は、あなたが思っている以上に美しく、驚きに満ちています。見えているのに見えていない、聞こえているのに聞いていない。それは、本当の盲目、本当の聾(ろう)よりも悲しいことなのです。
4. 他者のために生きる:愛と奉仕
私が「水」という言葉を知った日、私は地面に顔を伏せて泣きました。初めて罪悪感というものを知ったからです。私はその直前、先生がくれた人形を怒って壊していました。言葉を知り、魂が目覚めたとき、私は壊れた人形を拾い集め、元に戻そうとしました。しかし、もう元には戻りませんでした。私は、自分のしたことの愚かさに涙しました。
その時、私は学びました。私たちは一人では生きられない。そして、愛とは他者を大切に思う心なのだと。
人生で最も大事なこと、それは「他者のために灯りをともすこと」です。
私の人生は、サリバン先生をはじめ、アレクサンダー・グラハム・ベル博士や、マーク・トウェイン氏、そして数えきれないほどの人々の愛と支援によって支えられてきました。私は一人では何もできませんでした。しかし、多くの手助けがあったからこそ、大学を卒業し、本を書き、世界中を旅して講演することができました。
だからこそ、私は残りの人生を、他者への奉仕に捧げると誓いました。盲人の権利のために、貧困に苦しむ人々のために、戦争に反対するために、私は声を上げ続けました。
自分の幸せだけを追い求めても、決して満たされることはありません。幸福とは、扉を開けて入ってくるものではなく、あなたが他者のために扉を開けたときに、自分自身の中に忍び込んでくるものなのです。
誰かの重荷を少しでも軽くすることができたなら、私の人生には意味があったと言えるでしょう。私たちは皆、互いに結びついています。誰か一人の不幸は、人類全体の影です。あなたの隣にいる人が笑っていなければ、あなたも心から笑うことはできません。
愛こそが、唯一の現実です。目には見えなくても、愛は確かに存在します。雲が太陽を隠していても、太陽が存在し続けているのと同じです。愛こそが、孤独という暗闇を照らす唯一の光なのです。
5. 楽観主義という信仰
最後に、私が人生を支える柱としてきた「楽観主義」についてお話しします。
楽観主義とは、単に「なんとかなる」と気楽に構えることではありません。それは、「善なるものを信じる意志」です。
私は人間の可能性を信じています。どんなに世界が憎しみや争いに満ちているように見えても、人間の魂の奥底には、善意と向上心が眠っていると信じています。冬の後には必ず春が来るように、夜明け前が一番暗いように、希望は常に私たちのそばにあります。
顔を太陽に向けていてください。そうすれば、影はあなたの後ろに落ちます。ひまわりがそうするように、私たちも常に光の方を向いて生きるべきなのです。
悲観主義者が星の秘密を発見したことも、地図にない土地へ船出したことも、人間の精神に新しい天国を切り開いたこともありません。偉業を成し遂げるのは、常に「できる」と信じた人々です。
私は自分の障害に感謝しています。なぜなら、そのおかげで自分を見出し、生涯の仕事を見出し、そして神を見出したからです。失ったものを数えるのではなく、残されたものを最大限に活かすこと。それが、人生を豊かに生きる秘訣です。
結びとして
親愛なる友よ。
人生で一番大事なことは何でしょうか。
それは、心の中に「光」を持つことです。
その光とは、学ぶ喜びであり、困難に立ち向かう勇気であり、日々の小さな奇跡に感動する感性であり、そして何よりも、他者を深く愛する情熱です。
私の目には、あなたの顔は見えません。しかし、私の魂はあなたの魂を感じています。あなたが今、どのような暗闇にいたとしても、どうか忘れないでください。あなたの心の中には、世界を照らすだけの輝きが秘められていることを。
世界は美しく、人生は生きるに値するものです。
恐れず、愛し、そして信じてください。
あなたの魂に、永遠の光があらんことを。
ヘレン・ケラー
