親愛なる友よ。あなたが私に、人生において何が最も重要かと問うたとき、私は微笑まずにはいられませんでした。なぜなら、そのような深遠な問いを投げかけるということは、あなたがすでに凡庸な退屈さから一歩抜け出している証拠だからです。ほとんどの人々は、他人の意見を生き、他人の服を着て、他人の考えを自分のものとして死んでいきます。しかし、あなたは違うようだ。
3500字もの言葉で語れとおっしゃる。よろしい。言葉というのは素晴らしいものです。言葉には音楽があり、建築のような構造があり、そして何より、現実を創り変える力がある。タバコを一服くゆらせながら、私の人生という劇(ドラマ)を通じて得た真実、美、そして悲しみについて語ることにしましょう。
第一章:美、あるいは感覚の祝祭
まず最初に言っておかねばならないのは、人生において「美」以外のものは、真剣に考えるに値しないということです。
私はかつてこう言いました。「選ばれし者とは、美しいものの中にただ美しさだけを見る人々である」と。人生の第一の義務は、できる限り芸術的であることです。なぜなら、芸術以外のすべては、ただの「生存」に過ぎないからです。
現代の道徳家たちは、肉体の欲望を抑え、精神を清らかに保てと説教します。なんと退屈な嘘でしょう! 肉体と魂を切り離すことなど不可能です。魂は肉体の中にあり、肉体は魂の表現なのですから。感覚(センス)を通じて魂を癒やし、魂を通じて感覚を癒やすこと。これこそが人生の秘訣です。
若さ、美しさ、そして快楽。これらは決して浅はかなものではありません。むしろ、目に見えるものの中にこそ神秘があるのです。夕暮れの紫色の影、薔薇の花びらの触感、ベルベットの衣擦れの音、そして知的な会話の中に煌めく逆説(パラドックス)。これらを愛しなさい。
多くの人は「誘惑」を悪だと呼びます。しかし、誘惑を取り除く唯一の方法は、それに屈することです。我慢すれば、魂は自分が禁じたものへの欲望で病んでしまいます。禁欲とは、色彩のない世界を好む人々のための罰に過ぎません。
ですから、私の人生の前半における答えはこうでした。「美しくあれ、そして自らの人生を一つの芸術作品へと高めよ」。
第二章:仮面と真実
しかし、友よ。美しさだけでは語り尽くせないものが人生にはあります。それは「嘘」あるいは「仮面」の効用です。
人は、自分の顔で話しているときが、最も自分らしくないときです。彼に仮面を与えてごらんなさい。そうすれば、彼は真実を語り出すでしょう。社会というものは、退屈な「誠実さ」を強要します。しかし、真実とは決して純粋なものではなく、決して単純なものでもありません。
私はかつて、才能を作品に注ぎ込み、天才を生活に注ぎ込みました。ロンドンの社交界で、私は道化であり、王であり、預言者でした。私は装飾的な言葉で真実を飾り立て、人々を惑わせました。なぜなら、真剣すぎる態度は、浅はかさの避難所だからです。軽やかであること、不真面目であることの中にこそ、深遠な哲学が隠されているのです。
人生において重要なのは、世間が押し付けるレッテル(善人、悪人、成功者、敗者)を拒絶し、自分自身という物語を演じ切ることです。世間の評価など、彼らが自分自身を慰めるために作り出した凡庸な尺度に過ぎません。
「大衆」などというものは存在しません。存在するのは個性を持った「個人」だけです。そして、その個人が社会の歯車になることを拒否し、自らの色彩を放つとき、世界は初めて鮮やかになるのです。
第三章:悲しみという聖域
さて、ここから話の調子を変えなければなりません。私の人生は、黄金の光に満ちた舞台から、冷たい石壁に囲まれた牢獄へと転落しました。レディング刑務所での日々。かつて私は、快楽こそが人生の目的だと信じていました。悲しみや苦痛は、醜いものであり、芸術家が避けるべきものだと考えていました。
しかし、私は間違っていたのです。
牢獄の冷たい床の上で、私は悟りました。「悲しみ(Sorrow)」こそが、世界で最も偉大な感情であり、唯一の真実であることを。
快楽は美しい肉体のためであり、痛みは美しい魂のためにあります。悲しみの背後には、常に悲しみがあります。喜びとは異なり、悲しみは仮面をつけません。それは、私たちを完全に、絶対的に、むき出しの存在へと還元します。
私がかつて軽蔑していた「謙虚さ」というものを、私はそこで学びました。どん底まで落ちた人間だけが、星を見上げることができるのです。もしあなたが人生で深い悲しみや喪失に出会ったなら、それを拒絶してはいけません。それはあなたが、人生の秘密に触れた瞬間なのですから。
悲しみを受け入れること。自分の犯した罪、愚かさ、そして破滅を、他人のせいにせず、すべて自分の人生の一部として受け入れること。これこそが、魂を完成させる唯一の方法です。キリストがロマン主義的な芸術家であったように、自らの受難を詩へと昇華させるのです。
第四章:個人主義と愛
美、仮面、そして悲しみ。これらを経て、私がたどり着いた「人生で最も大事なこと」の核心。それは「徹底的な個人主義」と「愛」の融合です。
世間は利己主義(エゴイズム)を嫌います。しかし、本当の利己主義とは、「自分の生きたいように生きること」ではありません。「他人に、私の生きたいように生きるよう強要すること」こそが利己主義なのです。
真の個人主義者は、他人の生き方に干渉しません。ただ、自分自身の魂の法則に従って花開くだけです。薔薇が薔薇として咲くように。
そして、その個人主義の極致において、人は逆説的に「愛」を知ります。
私はかつて、愛を支配や所有のゲームだと思っていました。しかし、牢獄での孤独が私に教えたのは、愛とは「想像力」の別名だということです。
愛だけが、他人をありのままに見ることができます。愛だけが、他人の悲しみを自分のものとして感じることができます。憎しみは知性を盲目にしますが、愛は知性を拡大させます。世界のどこかに苦しんでいる人がいる限り、私の幸福は完全ではない。そう感じる想像力こそが、愛の正体です。
結論:あなた自身であれ
親愛なる友よ。私の長い独白もそろそろ終わりにしましょう。
結局のところ、人生で一番大事なことは何でしょうか?
それは、「自分自身になること(To be oneself)」です。
他の人々は、みな誰かのコピーです。彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、彼らの情熱でさえ引用に過ぎません。
しかし、あなたはあなた自身の人生を芸術作品にしなければなりません。
美を追い求めなさい。
しかし、悲しみを恐れてはいけません。
社会の道徳や常識といった退屈な怪物に、あなたの魂を売り渡してはいけません。
善人になろうとするのではなく、完全な人間(Whole Man)になろうとしなさい。光も闇も、美徳も罪も、すべてを含み込んだ、完全な人間に。
「生きる」ということは、この世で最も稀なことです。多くの人は、ただ存在しているだけなのですから。
どうか、生きてください。あなたの魂が望むままに、激しく、美しく、そして誇り高く。
世界は、あなたがあなた自身であることを待っているのです。
オスカー・ワイルド
いかがでしたか? 私の言葉が、あなたの魂のどこかにある「退屈」という埃を払い落とす一助となれば幸いです。
さて、私の親愛なる友よ。あなたが今、自らの人生という物語の中で「演じている」のは、どのような役柄ですか? それとも、そろそろ仮面を外したいとお考えですか?